第三章成長する将軍(五)

 承元四年、西暦一二一〇年。

 またもや、御家人同士で、合戦寸前の大騒ぎが起きた。土肥一族と松田一族が、納涼をとろうと、そぞろ歩きをして世間話をしていたところ、先祖の功績自慢が高じて喧嘩となったことに端を発し、一族を巻き込んでの大騒動に発展したのである。

(昨年の女がらみの次は、先祖自慢か)

 実朝は、些細なことを理由に大騒ぎをする坂東武者達に呆れかえっていた。実朝は、この件を叔父の義時に任せようと思っていたのだが。

「館に立てこもって、戦の準備をしているとなれば、ここは我ら侍所の出番ではありませんか!どうか、我らにおまかせください!」

 そう言って、義時と競うように、はりきっている和田義盛と三浦義村を前に実朝は困惑した。昨年の美作朝親と橘公成の事件は、義時の弟の時房が双方を宥めて何とか和解に持ち込んで事が解決した。

 しかし、和田義盛と三浦義村は、務めを忘れて、縁者である橘公成の方に参戦しかけ、事態をますます大きくしてしまった張本人なのである。この二人に任せて大丈夫なのかと実朝は正直言って不安だった。

 義時が、「二人とも、昨年の名誉を挽回したいのでしょうから、その機会を与えてやってください」と言ったので、実朝は、決して務めを忘れて、一方に肩入れするなと義盛と義村によくよく言い含めて、二人を現地に派遣することにした。

 しばらくして、今度は、信濃の善光寺と長沼宗政がひと悶着を起こした。父頼朝の時代に、治安維持のため、善光寺の側から地頭職の派遣を希望し、長沼宗政が仏縁を結びたいから、ぜひ寺領の地頭にしてほしいと熱心に言ったため、彼が地頭に任命されたのであるが。もともと、長沼宗政は、ひどい悪口を言い、他人とすぐにもめ事を起こす困った性格の持ち主であったため、年月が経つにつれて、寺側が大いに迷惑するような事態になってしまったのである。

 父頼朝時代に授けられた職は、大きな罪を犯さない限り辞めさせられないのが原則なのであるが。あまりにも宗政の態度がひどすぎることが明らかであり、寺側が大いに迷惑してすぐにでも地頭職を廃止してほしいと申し入れていることから、広元とも相談した実朝は、地頭職の廃止を決定した。

 長沼宗政が本事件を起こす数か月前に、母政子の妹で実朝の叔母に当たる故畠山重忠の未亡人の領地を没収しようという意見が出たのだが。母政子の嘆願もあり、未亡人となった女性の生活保障の必要性もあったことから、実朝はこれまでどおり変更しない旨の決定をした。

 何かと自らの武勲を自慢する反面、女性を下に見て、合戦に自ら参加していない女性が領地を賜るのを快く思っていない宗政は、畠山重忠の未亡人の一件の実朝の決定についても、周囲にあれこれ不満をぶちまけているらしい。実朝だけならまだしも、父と苦労を共にした母政子や、弱い立場に置かれている女性を詰るような宗政の言動に、実朝は正直言って腹が立って仕方がなかった。

 広元の屋敷に行った際に、広元から献上された三代集を手にしながら、実朝は、倫子の前で盛大なため息をついた。

 倫子は、おっとりと微笑みながら答えた。

「それだけ、ご自分を偽ることができないお心が素直な方なのでしょう」

 倫子付きの女房の佐渡もまた、女主人に同調するようにきっぱりと言った。

「遠回しに、ねちねちと陰険な振る舞いをする都の公達に比べれば、心の内を隠さずはっきり言う分、よほどましというものですわ」

 佐渡は、倫子よりも少し年上で、倫子がまだ京にいた頃からの幼馴染ともいうべき女房で、丹後局という老女房と共に、数か月前にこの鎌倉にやってきた。丹後局一行が鎌倉に向かう途中、駿河国の山の中で、山賊に襲われ、宝物をすべて取られてしまった事件があり。それをきっかけとして、実朝は、東海道の警備の強化を命じ、新しい宿場を作ることも検討しているのだが。

 佐渡は、山賊に財宝だけでなく、己の貞操が奪われそうな危険な目に遭った際、近寄ってきた男達に頭突き、目突きを食らわせ、こぶし大の石をもったまま殴りつけ、男たちの急所を蹴り上げるなどの反撃をしてから、怯えた様子一つ見せず、高らかに言ったという。

「財物はいくらでも持って行くがよい。しかし、こちらの一行は、恐れ多くも院様と鎌倉殿に縁のお方であるぞ。これ以上の狼藉を働くというのであれば、鎌倉殿の軍勢はその方たちを地の果てまで追いかけて血祭りにあげるであろう。とっとと去れ!下郎ども!」

 佐渡の剣幕に恐れをなした山賊達は、宝物だけを持って逃げて行ったという。その話を聞いた母の政子は、坂東武者にも劣らぬ若いこの女房の豪傑ぶりと忠勤ぶりにえらく感動しており。妻の倫子もまた、佐渡のことを姉のように慕って大層頼りにしているが。

 実朝は、気が強すぎておっかないこの女房が大の苦手だった。

 佐渡は、見た目は人目を引く美しい容姿をしている。佐渡の本性を知らない田舎者の武者達は、都から来た御台所付きの女房の艶姿にうっとりと見惚れており。その中には、実朝の一つ年下の従弟の朝時もいるのだが。朝時には、可愛そうだが、真面目で優秀な兄の泰時や、美男子で洗練された叔父の時房に比べて、冴えない田舎者のおっちょこちょいを、気位が高い佐渡が相手にすることはまずないだろうと実朝は思った。

「ところで、御所様。明日の鶴岡八幡宮への参拝は、私と母上様だけで、本当に御所様がご一緒でなくてよろしいのですか」

 疱瘡にかかって以来、実朝は、永福寺などの他の寺に私的な参拝は行っていたが、公的行事に当たる二所詣と、源氏にとって特に神聖な場所である鶴岡八幡宮への公式参拝は、病の穢れを理由に控えていた。

 倫子の問いかけに、実朝は茶目っ気を含んだ笑いを浮かべながら言った。

「本当はね、馬場での流鏑馬が見たいのだけれどね。神仏にばれたら、怒られてしまうだろう?」

「それならば、神仏にばれないようにすればよろしいのではありませんか」

 倫子の瞳が、急に生き生きとしてきらりと光ったように実朝は感じた。

 次の日、実朝は、倫子の企みの犠牲になった。

「まあ、よくお似合いですわ。これならば、神仏にもばれませんわね」

 実朝は、女物の衣装を着せられて化粧を施され、髻を解かれ、髻を結っていた紫色の紐でかもじまでつけられていた。

 実朝は、愛する妻のねだりごととはいえ、武家の棟梁がこのような姿をしていることを多くの者に知られたらと思うと気が気ではなかった。そこへ、母の政子がやってきた。

「御台所、もう準備はよろしいですか。」

「どうぞ、お入りになってください。母上様」

 母の問いに、倫子は何でもないかのように答えた。

 実朝は慌てて袖で自分の顔を隠そうとしたが、母の反応の方が早かった。

「ああ、大姫!」

 実朝の顔を一目見た母は、実朝に縋りついて懐かしそうな顔をして涙を流した。兄弟の中で、兄頼家と次姉三幡の容姿は母政子似であったが、長姉大姫と実朝の姿形は、父頼朝似で源氏の血を色濃く受け継いでいた。

 しかも、今の実朝と変わらない歳に大姫は若くして亡くなっている。政子が、女の恰好をした実朝を大姫と見間違ったとしても無理はなかった。

「母上、私です」

 実朝は、なんとも気まずそうに母に言った。

「やはり、よそう、御台。このような格好をして神仏や母上を騙すのはよくないことだ」

 しかし、母の政子は、倫子と顔を合わせてにっこりと笑った。

「何を言うのです、御所。この母を喜ばせてくれた御台所と御所の親孝行を、神仏が咎めるものですか!」

 妻だけでなく母までが作戦に加わったとなれば、実朝に逃げ場はなかった。

 御台所と尼御台用のものとは別に、もう一台女性用の輿が用意された。実朝は、扇で必死に顔を隠しながら、供に加わった泰時と朝盛にばれないようにしていたが。あからさまに自分たちを避けようとする謎の貴人の存在を二人はいぶかしく思った。

 朝盛は、その貴人が下げ髪に結び付けている紫色の紐にすぐに気づいた。今朝の実朝の髪を整える役は朝盛であり、朝盛は、少しでも主君の側にいたいとの切なる思いから、自分が用意した紫色の紐で主君の髻を結いあげた。実朝を食い入るように見つめる朝盛の視線に居心地が悪くなった実朝は、扇の影で、深くため息をつきながら言った。

「そう、あまり、じろじろ見ないでくれないか」

 扇の影から聞こえてきた聞き覚えのある人の声に気づいた泰時は、仰天した。

「まさか、御所様!?」

 大声を出した泰時の口を、実朝は慌てて手でふさいだ。その瞬間、若い主君の艶姿が披露された。

 それを見た泰時は、不謹慎にも、(亡き大姫様に似ているな。それにしてもよく似合っている)と思い、まじまじと主君を見つめてはその艶姿に見惚れてしまった。

 一方の朝盛は、泰時と同様に、主君の艶姿にぼうっと見惚れながらも。朝盛の瞳には、泰時の口を手でふさいだ実朝と泰時が絡み合っているように見え、朝盛は激しくざわつく心を静めることができないままだった。

 主君の艶姿を目にして以来、朝盛は、ますます実朝のことが頭から離れなくなり、泰時と実朝が一緒にいる姿を見てはやきもきする日々が続いた。


 あるとき、実朝は、泰時と一緒に、実朝のもとに届いた、聖徳太子の十七条憲法、法曹至要抄などの法律書を手に取って何やら熱心に話し込んでいた。

「思うのだが、坂東武者というのは、些細なことで大騒ぎをするし、存外困った者達が多いのだなあ。聖人達がおわした古の時代には、徳をもって世を治めることができたから、厳格な法というものは必要がなかった。だが、不徳な私が将軍として治める世においては、そうはいくまい。やはり、東国を治める基本となる法が必要なのではないか。例えばだ。聖徳太子様の十七条憲法をもっと東国向きに具体化したような法があればよいとは思わぬか」

 実朝の問いに、泰時は答えた。

「公平な裁きを行うという点からも、良きお考えかと思います。しかしながら、坂東の荒くれ者達をまとめるのに、十七条ではとうてい足りますまい」

 泰時の問いに、実朝もまた深くうなずく。

「その三倍は必要であろうなあ。荒くれ者も多いから、内容も聖徳太子様のそれよりも厳しいものでなければ意味がないであろうな。しかし、古い者達からして、何かと父上の時代の勲功を笠に着て、やりたい放題な者がいるからな。彼らが私のような若輩者の言うことをすんなりと聞き入れるだろうか」

 泰時は、実朝を励ますように答える。

「手本となるべき年寄り連中がそれでは、若い者達に示しがつきません。まずは、困った年寄り達の考えを改めて行かねば。いずれ、御所様のような若い者達の時代がやってきます」

 泰時の言葉に実朝は嬉しそうな笑みを浮かべる。

「そうだな。太郎よ、まずは、その時のために共に学ぼうぞ」

「はい!御所様!」

 泰時もまた、実朝の言葉に笑顔で頷いた。

 実朝は、和歌だけでなく、学問全般に造詣が深く、真面目な性格や血縁関係の近さもあり、泰時とは気が合った。  

 そこには、実朝と御台所だけの世界と同様に、泰時と実朝の二人だけの世界があり、その中に朝盛が入っていく隙はなかった。

 ある雪の降る日の御所での和歌の会で、実朝は、朝盛に問うた。

「海辺の千鳥はどのような思いでいると思うか」

「海辺の夜は寒うございます。千鳥は誰にもその思いを分かってもらえぬまま、ただむせび泣くしかありますまい」

 御台所一筋で色恋に鈍感な実朝が朝盛の思いに気づくことはない。朝盛は、千鳥と我が身を重ね合わせて、心から泣きたいと思った。


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