第三章成長する将軍(四)

 承元三年、西暦一二〇九年、三月。

 高野山から、大田庄の年貢が滞納されているとの訴えがあった。高野山領太田荘を巡っては、兄頼家の時代にも訴訟が起きており、その時頼家は、三善康信側の主張に正当性を認め、領家側の主張を退けた。

 今回の事件では、将軍の御前で、高野山側と大田荘の地頭を務める三善康信の代官とが激しい罵り合いをした。双方言い分があるのは分からないではないが、あまりにも酷すぎた。

 敷島の道は、言の葉をもって、人の心を和ませることにある、それを実際のまつりごとにも生かすようにと、実朝は、以前、叔父義時に言われたことを思い出す。実朝は毅然とした態度で両者に言い渡した。

「双方とも、いい加減、醜い言い争いはやめよ!これでは埒が明かぬ。審理はしばらく中断とする!」

 しばらくして、その三善康信が、実朝のもとに、自分の代官の御前での失態を詫びに来た。

「このたびのことは、私の管理不行届きが原因でもあります。誠に申し訳ないことを」

 平身低頭の康信に対して、実朝は、軽く笑って答えた。

「あまり気に病むことはない。それより、京より何か贈られてきたそうではないか」

 実朝の問いに康信は答えた。

「新しい御鞠でございます。京の院様も大層御執心であられると聞き及んでおります」

 実朝が和歌を熱心に学んでいるのと同じ理由で、兄頼家も、蹴鞠が朝廷とつながりを持ち、まつりごとの一環として重要な意味を持つとの理由から、熱心に蹴鞠の稽古に励み、頼家は達人ともいえる域に達していた。

 だが、兄とは違って、身体能力がそれほど高い方ではない実朝は、武芸にしろ蹴鞠にしろ、激しく体を動かす類のものは、上達のほどがはかばかしくなかった。

(院様にも、康信にも申し訳ないが、できれば書物の方が良かったなあ)

 実朝は、正直そう思った。

 とはいえ、せっかくの好意を無下にするのも憚られるので、実朝は、蹴鞠の会を催すことにした。蹴鞠の会には、幼くして命を落とした一幡の遺骨を高野山に納めた大輔房源性も加わっていた。


 四月に実朝は従三位に叙せられ、正式に政所開設の資格を得ることになり、なお一層、将軍として本格的に政務に携わるようになる。

 五月に入り、出羽国羽黒山からの訴えがあった。高野山のときと同様に、将軍の御前で、双方から口頭での弁論がなされた。

 もともと、羽黒山は、地頭の支配権が及ばぬ地域であり、地頭の干渉や武力行使が認められないことは、亡き父頼朝の文章からも明らかであった。寺の年貢を横取りし、余計な干渉をした地頭の大泉氏平に一方的に非があることも明らかであった。実朝は、父頼朝の時代の先例に従い、地頭側に勝手な振る舞いをやめるよう厳しく申し渡した。

 それから、まもなくして、今度は、父の重臣であった和田義盛が、実朝に、上総国の国司に任命してくれるように内々に頼んできた。

 実朝は、実直で面倒見がよく、情の厚い老将義盛のことを好ましく思っていたが、実朝との個人的な親しさを理由にしたとも思える義盛のねだりごとに、戸惑いを隠せないでいた。

(和田側の北条への対抗心であろうか。確かに、北条と自分は血縁関係にあるが、それだけで私は北条を贔屓しているわけではない。北条には実務能力の優れた者が多いが、和田は、武勇には優れているものの、どちらかと言えばあまり平時のまつりごとには向いていない。ひとまず、母上に聞いてみるのがよかろう)

 そう思った実朝は、母政子に相談した。

「御所が御立派に成人された以上、女の私が、まつりごとの細かいことに口を出すのは憚られますが。父上の慣例を基本として、これまで御所が判断をくだされてきたように、慎重によくお考えになってからお決めになって下さい」

 母政子は、控えめながらも実朝にそう助言した。

 和田義盛は、父頼朝以来の数々の功績を書き立て、上総国の国司になれないのであれば、生涯でこれほど心残りなことはないとまで述べた正式な嘆願書を提出してきた。和田は、源氏一門でもなく、北条のように将軍家と縁戚関係にある一門でもない。確かに、功績の著しい御家人が国司に任官した例は、数は少ないがないわけではなく、義盛の功績も大きい。

 しかし、直ちに、義盛に国司の地位を与えれば、再び他の御家人との均衡が崩れ、争いのもとになるおそれがあった。北条側との調整も必要となるだろう。微妙で難しい問題だった。

 それから間を置かずして、今度は、土屋宗遠という八十歳を過ぎた老人が、梶原景時の孫に当たる若い梶原家茂を殺害する事件が起きた。

 調書には、宗遠は、自分は父頼朝時代からの忠義者である、それに対して家茂は謀反人の孫である、そのような者を殺したからといって何故自分が捕らわれの身とならねばならないのかと言ったと書かれていた。その頃、実朝は、兄頼家の時代に起きた梶原一族の鎮魂のために法事を行っており、それに対する老臣の不満もあったのかもしれない。

 しかし、宗遠の言い分に筋が通っていないことは明らかだった。

(父上の功臣であるからといって、どのような不法な振る舞いでも許されてよいわけがない。父上とてお認めにはならないはずだ。だが、宗遠は、歳を取りすぎて判断能力が著しく衰えているものと思われる。そのような余命いくばくもない老人を今更処罰したところで、何になろうか)

 実朝は、理の通らぬ宗遠の弁明を叱りつけたが、しばらくして、父頼朝の月命日を理由とした恩赦の決定を下している。

 勉学や政務に追われる実朝の日常は、かなりの激務だ。実朝が心惹かれる和歌の世界、それすらもまつりごとの一つなのだ。極端に言えば、将軍であることそれ自体が公務なのだ。

 実朝と御台所倫子との心温まる二人の時間さえ、実朝一人の問題ではないのだった。周りからは、早く同衾して世継ぎをとの声が高まっていた。そのことを重々承知していたが、実朝は、誰よりも大切な人を、まつりごとの道具や実朝自身の汚れた情欲の犠牲にしたくはなかった。

 

 七月。実朝は、住吉神社に和歌二十首を奉納した。

 行くすゑもかぎりは知らず住吉の松に幾夜の年か経ぬらむ

 将来も限りがない長寿を保つ住吉の松はどれほどの年を経ているのだろうか。

 住吉の生ふてふ松の枝しげみ葉ごとに千代の数ぞこもれる

 住吉に生えているという松が大層繁茂しているので、葉ごとに千年の長寿の願いがこめらているのだ。

 君が世はなほしも尽きじ住吉の松は百度(ももたび)生ひ代わるとも

 住吉の松が百回生え代わったとしても、我が君の御世はやはり尽きたりはしない。

 また、実朝は、京にいる藤原定家にも三十首を提出して、和歌の指導を依頼している。

「京極殿には、なんとか合格点をいただき、和歌の指南書までいただいたよ」

「それはよろしゅうございました」

 嬉しそうに話す実朝に、倫子もまた笑顔で答えた。

 実朝は、これまで独学で主に新古今和歌集を教材としていたこともあってか、同時代の人の歌を手本とすることも多かったのだが、定家は、詞は古いものを慕い、心は新しいものを求め、寛平以前の余情妖艶の趣のものが理想であり、これを手本とするよう助言した。

「このようなすばらしい歌を作られるお方だ。京極殿は、立ち振る舞いもお心も、さぞかし優美なお方なのだろう」 

 感激した様子の実朝に対して、倫子の表情は微妙だった。

「それはどうでしょうか。御所様や私が生まれるよりもずっと前のお若い頃、口論の末、激怒なさって、脂燭で相手の方を殴って除籍となってしまわれたという話を聞いたことがございますわ」

 倫子の言葉に、実朝は驚いた。

「まさか、雅な京のお方が坂東の荒くれ者のような振る舞いをなさるとは」

 倫子は、苦笑しながら答える。

「京の者だからといって、粗暴な者はいくらでもおりますわ。恐れ多いことですけれども、院様もまたなかなか激しいご性格のお方であるとか。都の公達というのは、案外意地の悪いお方が多いのでございますよ、御所様。私には、坂東のお方の方がよほど心根の真っすぐな優しいお方が多いように思います」

「御台も、坂東のことが随分と分かってきたのだなあ」

 実朝は、倫子の優しさがたまらなく嬉しかった。

 その年は、伊勢神宮の第二十八回式年遷宮の年でもあった。それに合わせて、実朝は次のような歌を詠んだ。

 神風や朝日の宮の宮うつし影のどかなる世にこそありけれ

 伊勢神宮内宮の遷宮に際し、日の光ものどかな世であってほしい。

 もっとも、この歌は、定家の父俊成の詠んだ「神風や五十鈴の川の宮柱幾千代澄めと建て始めけむ」をふまえてのものであるとも言われている。もしも、これを定家が見たとしたなら、必ずしも定家の忠告を守っているとは言えない若い実朝の気ままさに苦笑いしていたかもしれない。

 

 十月。実朝は、鎌倉に下向した園城寺の高僧公胤に面会した。

 母政子の意向で、遠からぬうちに、善哉は、園城寺に入り、仏の道に進むことが決まっていた。

(兄上に関することも、いつまでも隠し通せるものではあるまい)

 そう思った実朝は、善哉のめのとである三浦義村を呼び出した。

「善哉は、近いうちに園城寺に入ることが決まっている。あの子には辛いことになると思うが、その前に、兄上のことも含めて、私の方から、すべてのことを話そうと思う」

 すべてを受け止める覚悟を決めた若い将軍の意思の強さに、義村もまた、亡き頼朝の姿を重ね合わせずにはいられなかった。

 一方で、歳の近い優しい叔父からすべてを知らされる善哉の受ける衝撃を思った義村は、動揺を隠せなかった。

「若君は、御所様のことをお慕いしておられます。若君には、私の方からお話いたしますから。御所様から若君に直接というのだけは、どうかご容赦くださいますよう」

 義村の意を理解した実朝は、静かに義村に言った。

「そうか。あの子のことをどうか頼むよ」

 実朝の意を受けた義村は、善哉にすべてのことを話した。

 自分が慕う若い叔父がただ優しいだけの人ではなかったということを知った善哉は、ひどく打ちのめされた。実朝自身が祖父北条時政に命を狙われたことすらあるというのに、若い叔父は、北条のしてきたことを将軍である己がしてきたことと同じことだと理解し、北条の人間達と、時には笑って冗談さえ言い合ったりしながら、まつりごとを動かしてきた。その事実を善哉は信じられぬ思いで聞いていた。

「御所様は、すべてを知って受け止めたうえで、己の責務を全うしようとなさっておられる、広く、強いお心をお持ちのお方です。それゆえ、多くの者にあのお方は慕われておられるのです。若君もどうか、立派な人間となられて、御所様の世を共に支えてまいりましょう」

(すべての者が、叔父上のように痛みに耐えて強くなれるわけではない。俺は、叔父上のようになりたくてもなれぬのだ)

 義村の言葉を聞いた善哉の中で、何かが崩れていく音が聞こえた。

  

 兄頼家のことを思い出すたびに、実朝もまた、古傷がひどく痛んだ。倫子とのことも、今のままで十分幸せだと思いつつも、淫らで醜い情欲が実朝の中で疼いて仕方がない。

 再び内に籠りがちとなった実朝を、叔父義時は見かねて言った。

「勉学もよろしいでしょう。ですが、お若いのです。部屋に閉じこもってばかりおらず、外に出て体を動かすことも大切でございますよ」

 実朝は、弱弱しく笑って自嘲気味に答えた。

「私は、どうもそちらの方は向いていないようだ。武芸だけでなく、蹴鞠の方も、努力してみても、一向に上達せぬ」 

 義時は、ためらいがちに、若い甥を気遣うように言った。

「いや。儂も、若い頃から力仕事の方は苦手で、この頃は、鍛錬を怠っておりますからな。偉そうなことは言えんのですが。何も、達人になるまでお体を酷使する必要はないのです。切り的の勝負でも催して、御所様のお元気な姿を皆にお見せするだけでもよいのですよ」

 その年の十一月。叔父の進言を聞き入れた実朝は、将軍主催の切り的の勝負を開催した。勝負の後は、皆をねぎらうための宴会が開かれた。

「武芸をもって朝廷を警護し奉れば、坂東の安泰にもつながりましょう」

 ほろ酔い加減の義時は、安堵したように実朝に言った。楽しい催し物のあとで、実朝の憂さも少しは晴れたように思われた。

 だが、男たちが集まっての大宴会となれば、卑猥な話も飛び交う。

「御所様も、もっと大胆になればよろしいのです。御台所も、御所様が男としての激しさをお見せになられれば、さぞお喜びになられるでしょう」

 いつになく泥酔した広元は、実朝に余計なことを言った。

「大官令殿、大官令殿。お言葉が過ぎますよ」

 慌てた義時が、広元を嗜めたが、実朝は再び暗い気持ちになった。

(それができたら、こんなに悩みはせぬ!)

 実朝は、鬱々とした気持ちを抱えながらも、将軍としての自らの責務を果たさなければならない。切り的の宴会の数日後、叔父義時が畏まったまま、ある願い事をしてきた。

「儂に長く仕えてきた家臣たちの中で、特に手柄のある者を御家人に準じて扱っていただけませぬか」

 内省的になりがちだったこの頃の実朝は、いろいろと疑い深くなっていた。

(いつもの叔父御らしくないな。義盛の嘆願に何か勘づいてけん制してきたか。叔父御は、義盛のことで私がどう判断するかを試しているに違いない)

 そう考えた実朝は、義時に対してはっきりと告げた。

「和田のじいといい、北条の叔父御といい。親しさを理由に法外なねだりごととは、まことに困ったものだ。陪臣と直参とを同等の扱いとすることを許したならば、身分秩序が乱れ、必ずや後の世の禍根となるであろう。ゆえに、未来永劫そのようなことを許すわけには行かぬ。このこと、しかと申し付けたぞ」

 実朝の毅然とした態度に、義時は心底驚いた顔を見せた。

(考えすぎであったか。叔父御は、ただ、自分の家臣達を労ってやりたかっただけなのかもしれぬ)

 言い過ぎたかと思った実朝は、表情を和らげて言い返した。

「叔父御の功績は、私もよく分かっているつもりだ。叔父御の家臣達の手柄は、叔父御自身の手柄として厚く遇するつもりであるから、その分を叔父御が皆に分け与えるということで手を打ってはくれまいか」 

「この叔父の考えが足りませんでした。そこまでお考えであったとは」

 義時は、実朝の理の通った指摘に感服しながら、深々と頭を下げた。

 

 実朝は、原則として父頼朝の時代の先例を重視していたが、土屋宗遠の事件の時のように、過去の功績をいいわけとして、不当な振る舞いをする者も少なくなく、それに対して厳正に対処する必要があった。

 ある時、守護たちが怠けているため、盗人が横行して年貢が横取りされて徴収できないとの訴えが国衙の役人からなされた。実朝は、自分の考えを重臣たちに述べた。

「守護は、代々その家の者が受け継ぐことが多くなっている。そうなれば、中には、先祖の功績に自惚れて、子孫が役目を怠ることも出てこよう。先祖伝来の職や土地が保障されるのは、忠勤に励んでいるからこそであろう。そうでない者に対処するためには、守護を交替制にして職務に当たらせるか、職を怠った者は解任するかなどの措置を取ることも考えねばならぬのではないか」

 守護の交替や解任となれば、反発が大きいのは目に見えている。

 だが、職務の怠慢は許すべきではない。実朝は、先祖伝来の職と、子孫が一代で新しく恩賞として得た職とを区別し直すために、まず、鎌倉に近い地域から順に、それぞれの職の由来を明らかにした命令書を提出させることを命じた。

 しばらくして、実朝は、この件に関し、父頼朝の命令書を持っている者に対しては、原則として、これまでどおり、多少の罪を犯したとしても、安易に職を変えるべきではないとの判断を示した。その代わり、実朝は、職務を怠らず忠勤に励むよう厳しく言い渡した。

 和田義盛の上総国の国司の嘆願についても、実朝は、慎重にことを進めることにした。今すぐには無理であろうが、時期を見ていずれ何とかなるかもしれぬ、そう考えた実朝は、義盛に、しばらく保留にするから、沙汰を待つようにと返答した。若い将軍の気遣いに、義盛は喜びを隠せなかった。

 もっとも、中には、潔癖な気のある実朝には、感覚的によく理解できない事件もあった。

 事の発端は、美作朝親が、隣の屋敷に住んでいた橘公成の妻に助平心を抱いて、二人ができてしまったことにある。それで、頭にきた橘公成が参戦を申し入れて、美作朝親、橘公成の双方に縁者がぞくぞくと駆けつけて合戦寸前の大騒ぎとなったのである。

 純情で潔癖症の気のある若い実朝は、人妻に手を出すという不埒な出来事に呆れ、そのような些細な出来事で縁者を巻き込んでの大騒ぎに驚いた。実朝は、使者を立てて、双方を宥めて和解させようと考えた。 

 和田義盛が名乗りを上げて出向いて行ったのだが。なんと、義盛は、同族の三浦一族と共に、務めを忘れて、橘公成の側に参戦しようとして、事態をますます大きくしてしまった。これには、実朝も頭を抱えた。

「息子の太郎を行かせて、現地の様子を確認させてまいりましょうか」

 叔父義時が実朝に進言した。実朝は考えてから、返答した。

「生真面目な太郎には、こういう類の問題は負担が大きかろう。こういうことは、五郎叔父の方が適任であると思う。五郎叔父に、何とかして双方を和解させるよう、頼んでもらえるだろうか」

(この方は、側に仕える者の適材適所もきちんと把握されておられる)

 若い甥に感嘆した義時は、実朝の言うとおり、弟の時房を現地に向かわせた。

(人の女に手を出して、合戦寸前の大騒ぎか。そう言えば、兄上も似たようなことをしでかして、母上にこっぴどく叱られたことがあったな)

 実朝は、ぼんやりとしながら、昔のことを思い出した。

(色好みで手の早いお方だった。私には、とうてい真似できぬ)

 実朝の沈んだ様子に気づいた義時は、実朝を気遣うように声をかけた。

「お疲れでいらっしゃいますか」

 叔父の問いに、実朝は、軽く首を振って努めて明るく答えた。

「いや。小四郎叔父のいうとおり、内に籠ってばかりいるから、いろいろと溜まるのであろう。太郎よ、皆を集めてくれ。たまには、武家の棟梁らしく、武芸の稽古にも精を出さねばな」

 外で相撲を楽しんでいた近習達の輪に、実朝は加わることにした。今は亡き次姉三幡に、無理やり相撲に付き合わされて吹っ飛ばされ、御所中を逃げ回って父頼朝に泣きついた幼い頃のことが懐かしく思い出された。

「手加減いたせよ、太郎」

「恐れながら、御所様。それでは、鍛錬になりませぬ」

 からかうように言う実朝に対し、従兄弟の泰時は、どこまでも真面目に答えた。

 実朝と泰時が相撲をとっている姿を見た和田朝盛は、泰時に組み敷かれる若い主君の淫らな姿を想像してしまい、ひどくうろたえていた。

 泰時と相撲を取っている最中の実朝は、朝盛と目が合った。その瞬間、実朝の脳裏には、再び幼い頃に見たある光景が浮かんできた。

 兄頼家に後ろから抱きすくめられて泣いているまだ少年の朝盛の姿は、やがて御台所倫子に変わった。兄頼家は、倫子の頤に手をやって、いやらしそうな顔で倫子の顔をまじまじと見据えた。

「よいものを持っているではないか。よこせ」

 幼い千幡がぎゅっと翡翠の数珠を握りしめていると、兄頼家が無理やりそれを奪おうとする。

「嫌だ!触らないで!」

 千幡は必死に抵抗したが、兄は聞く耳を持たない。

「お前のものは、俺のものだ、千幡」

 やがて、兄は、実朝が脳裏で倫子を汚し続けたのと同じ振る舞いを倫子に対して行っていく。千幡が握りしめていた翡翠の数珠は、切れてはらはらと落ちていった。

「にいさま、やめて!」

 泰時との取り組みで頭を打った実朝は、そのまま意識を失った。

 思わず本気で投げ飛ばしてしまった泰時は、倒れて気を失っている実朝の姿を見て顔が真っ青になった。

「御所様、御所様!大丈夫ですか!」

 泰時が必死に実朝に声をかけていると、ひどく怒った表情の朝盛が、泰時に向けて言った。

「そこをどいてください!御所様は私がお連れします!」

 朝盛は、肉付きの薄い男性にしては華奢な体格の実朝を軽々と抱き上げた。いつも穏やかな朝盛の大胆な振る舞いに泰時は信じられぬものを見た気がした。朝盛の瞳はすわっており、色事には疎い方の泰時だったが、このとき初めて、朝盛の実朝への内に秘めた熱情をはっきりと知ってしまった。

 実朝は、朝盛の腕の中で、ひたすら、御台所の名ばかりを呼んでいる。その声を聞いた朝盛は、絶望的ともいえるような苦しげな表情を浮かべた。

(ああ、このお方を誰にも渡したくない!いっそこのまま、どこかへさらって逃げてしまおうか!)

 主君の身に本能的な危機感を覚えた泰時は、周りの者に、すぐに寝所に床を用意して、御台所を呼ぶように手配した。

「ぐずぐずしているお前が悪いのだ。男でも、女でも、抱いて肌を合わせてしまえば、情に絆されてすぐによい気分になる」

 頼家は、幼い千幡を見下ろして勝ち誇ったように笑って言った。兄の側には、泣き伏している倫子がいた。

「ととさま、ととさま!」

 千幡は、ただただ泣いて、必死に慈父頼朝に助けを求めた。

 父は、泣きじゃくる千幡を抱き上げて、困ったような顔で兄頼家を咎めるように言った。

「千幡は、儂やそなたとは違うのじゃ。あまり意地の悪いことをするでない、頼家」

 兄は、父と千幡に向けてばつの悪い顔をした。父は、千幡の頭を撫でて優しく言った。

「なあ、千幡や。本当に大事なものを手に入れたいのであれば、時には勇気を出してぶつかってみることだ。相手もきっと、それを望んでいるはずなのだから」

 気が付くと、床に寝かされており、倫子が実朝の手を握って泣き伏していた。実朝は、衝動的に倫子を強く抱きしめた。

「御台、私は、ずっと、あなたに不埒な振る舞いをして、あなたを汚すことばかり考えていた」

 実朝の告白に、倫子も泣きながら答えた。

「私は、ずっと御所様に不埒なことをされたいと願っておりました。私も御所様と一緒に汚れてしまいたい」

 倫子の大胆な答えに実朝は、もう我慢をする必要はないのだろうと確信した。

 若い夫婦は、本能に任せたまま、何度も深い口付けを交わし合う。倫子の白く形の良い乳房に顔をうずめ、その頂を強く吸った実朝は、幼い赤子のように泣きたいと思った。静かに涙を流す実朝の瞳に愛し気に口付けた倫子は、やがて自らのある場所に実朝の手を誘導した。

(ああ、ここが、赤子が通って生まれてくる命の道なのか)

 真実を理解した実朝には、愛しい妻のそこが、あまりに神秘的で美しいものに思われて仕方がなかった。互いをいたわり合うような長い愛撫の末、二人はようやく一つになった。その瞬間、実朝の中での長い呪いは解けた。

 身も心も夫婦として結ばれるということが、これほど心地よく幸せなものだとは。ややこもきっと、この幸福の末に望まれて生まれてくる、実朝はそう思った。

 それから、しばらくして、実朝は、勝長寿院、永福寺などを参拝した。翡翠の数珠を握りしめながら、実朝は、愛しい妻との甘い幸せな時間を導いてくれた仏の縁に、あらためて感謝した。

 その年の暮れ、若い将軍夫婦は、それまでの長い空白を埋めるかのように、互いの肌を堪能した。

 和田朝盛は、若い主君夫婦の夜の帳を切なげな表情で遠くから見つめていた。

(これでよいのだ。お二人は、世に許された夫婦ではないか)

 朝盛は、理性でもって必死に理解しようとした。それでも、朝盛の主君へのかなわぬ情欲は消えてはくれなかった。

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