第三章成長する将軍(三)

 承元二年、西暦一二〇八年。

 元々あまり体が丈夫でない実朝は、正月早々床に臥していた。そこに、三善康信の屋敷が火事にあったという情報が入った。

「申し訳ございませぬ。父君の時代からの貴重な書類の数々が燃えてしまいました!」

 康信は、衝撃のあまり、号泣していた。

「そのように己を責めるでない。そなたの命が無事だっただけで、私は嬉しく思う」

 自ら病の床にありながら、相手を気遣う実朝の優しさに、康信はますます涙をこぼした。

 病で抵抗力が弱っていたところに拍車をかけるように、実朝は、生死をさまようほどのさらなる大病、疱瘡にかかった。

 感染を防止するために隔離された実朝と、御台所倫子は会うことができない。それでも、倫子は、将軍である実朝の名代として、鶴岡八幡宮へ参拝する等、御台所としての務めを懸命に果たした。

(御所様の父君様、姉君様。どうか、あの方をまだそちらに連れて行かないでくださいませ。あの方のお命が助かるのなら、私はこれ以上なにも望みませぬ)

 倫子は、実朝が姉大姫からもらい、縁があって倫子の手に渡った紫水晶の数珠を手にして、必死に実朝の回復を祈った。

 季節は桜の花が咲く頃になり、倫子から実朝への見舞いにと山桜の一枝が贈られてきた。それを眺めながら、実朝への妻への思いは募るばかりだった。

 春霞たつたの山のさくら花おぼつかなきを知る人のなさ

 立ちこめる春の霞のせいではっきりとは見えない桜のように、私のあの人への想いを知る人は誰もいないのだ。

(これは、御台に不埒な欲情を抱いた神仏の私への罰なのだ。それでも、死ぬ前に、もう一度御台に会いたい!)

 病の床にあり、熱にうなされる中、実朝もまた倫子のことを思いながら、月日ばかりが流れていく。

 奥山の末のたつきもいさ知らず妹に逢はずて年の経ゆけば

 私の行く末はさあどうなるか分からない、愛しい妻に会えないまま月日ばかりが過ぎてゆくので。

 やがて、倫子の願いが通じたのか、実朝は命を取り留めた。

 しかし、ひどく目立つほどではないが、体のあちこちに残った疱瘡の跡を見て、実朝は、頭の中で汚れた醜い欲情によって倫子を汚し続けたことへの更なる罰なのだと感じずにはいられなかった。

 やっと見舞いに訪れることがかない、実朝に会いに来た倫子に対して、実朝は自嘲気味に言った。

「私は、心も体もこのように醜く汚れてしまったよ。御台には、今度こそ、嫌われてしまうのだろうなあ」

 実朝の言葉に、倫子は、涙を流して、実朝に抱きつきながら言った。

「何をおっしゃいますか!お命が助かったと聞いて、私がどれほど嬉しかったことか!」

 倫子の言葉を嬉しく思うとともに、実朝は、倫子の柔らかい感触にひどく動揺した。実朝の体には、病の時とは違う男としての別の熱が再発した。それをはっきりと自覚した実朝は、ますます自分自身への嫌悪感を深めていった。

 病から回復して、実朝は、京へ出向く東重胤の挨拶を受けていた。

「御所様がお元気になられてよろしうございました」 

 実朝は、弱弱しい笑みを浮かべながらも、重胤をからかうように言った。

「今度こそ、うっかりが過ぎて文を寄越すのを忘れたりしないようにな」

 重胤は恐縮しながら返答した。

「御台様からはまだ内緒にしておくようにと言われていたのですが。もうすぐ、御所様に、京から嬉しい御褒美が贈られてまいりますよ。楽しみになさっていてください」

 間もなくして、倫子の実家を通じて、藤原基俊の筆による古今和歌集が届けられた。

「病を乗り越えた御所様へのお待ちかねの御褒美でございますよ」

 倫子は、柔らかく微笑んだ。

「これは、何事にも代えがたい御褒美だなあ」

 実朝は、久方ぶりに心から笑った。

 清らかな倫子を汚そうとする己の欲情への嫌悪感は消えない。

(だが、それでも、私は、御台が大好きだ。そばにいたい、そばにいてほしい)

 実朝の倫子への想いはますます深くなっていく。

 

 病から回復した実朝は、政務にも復帰した。

 その年の夏は、雨が全く降らず、民の憂いは増すばかりだった。実朝自身には、自然現象をどうにかする力はない。

 しかし、実朝は、病の自分の回復を多くの者達が祈ってくれたせめての恩返しとして、恵みの雨をもたらしてくれるよう祈らずにはいられなかった。実朝の願いが通じたのか、鎌倉に恵みの雨がもたらされた。人々は、民の憂いに心を寄せる若い将軍のその心の優しさに感激していた。

 それからしばらくして、武蔵国の威光寺の僧侶円海が、増西という別の僧侶の暴挙を訴えてきた。将軍の御前で、口頭で弁論をさせたところ、増西が、多数の無法者達を率いて、寺の領地に不法侵入して稲を強奪したという事実が発覚した。民の憂いを減らすために仏に仕えるべき僧侶にあるまじき行為を実朝は許せなかった。実朝は、そのような無法な行為は止めるようにと言い聞かせ、増西に対し、永福寺で百日間の修行をし直して罪滅ぼしをするように命じた。

 後日、実朝は、母政子と御台所倫子と共に、その永福寺に出かけた。

「御所がお元気になられて、こうしてまた、御所と御台所と一緒に出かけられるとは。母にとってこれほど嬉しいことはありませんよ」

 政子の言葉に倫子も嬉しそうに頷いている。

「母上にもご心配をおかけしました」

 実朝は、恐縮しながら母に頭を下げた。

「御所様。悪さをしたお坊様は、きちんと御所様のお言いつけを守ってお勤めをしているでしょうか」

「そうそう、それも知らねばと思って、ここへ来たのだよ。今のところ、増西は神妙にしているようだよ」

 倫子の問いに実朝は笑って答えた。久方ぶりに見る実朝の若者らしい明るさを確認した政子は、心から安堵した。

「それはそうと。母は、今度は、御所がお元気になられたお礼も兼ねて、熊野にも行こうと思っているのですよ。院様が何度も熱心にお参りされていると聞いて、行ってみたくなりましてね」

「母上は、相変わらずお元気なことだ。なあ、御台」

「はい」

「御所と御台所が、互いの身を大事にして末永く幸せでいてくれる、それだけが老いた母の願いなのですよ」

 政子は、実朝と倫子の手をそれぞれ握りしめて慈愛深い瞳で二人を見つめた。倫子が子を産める体となり、実朝が病から回復したことから、早く同衾して、世継ぎをとの声も多い。

 だが、政子は、若い息子夫婦を追い詰めるようなことはしたくなかった。二人の仲自体は極めて良いのだ、焦ることはない。実朝は一途なのだ。今はまだ、肉体的な関係よりも、御台所との精神的な繋がりを何よりも大事にしたいのだろう。ゆっくりでよい、それがこの子らしくてよいではないか。政子はそう思った。

 政子が熊野詣に出かけた前後に、京へ上っていた東重胤が鎌倉に戻ってきた。重胤は、法然の弟子となった坂東武者熊谷直実の最期について語った。

「大声で、南無阿弥陀仏と唱えている途中に亡くなられたそうにございますよ」

 実朝は、禅僧栄西に帰依しているが、法然などの浄土門の教えについてはあまり詳しくはない。兄の頼家は、念仏を禁制とし、京の院も、法然らを流罪とし、法然一門の者達の中には死罪となった者もいると聞いている。念仏者の中には、過激な行動や主張をする者、まつりごとに対して良からぬ横車を入れる者も少なくないらしく、為政者として厳しい処置をしなければならない場合もあるのかも知れない。

 だが、実朝は、ただ念仏を唱えるだけの力弱き者達まで虐げることはないのではないかと考えていた。

 人は誰しも、ただ生きる、そのためだけに日常において多大な努力を要し、懸命にならざるをえないのだ。仏になるための厳しい修行まで行うことに耐えきれるのは、ごく一部の一握りの人間しかいない。それができない弱き者達が自分自身が仏になるための厳しい修行ができなくても、そのまま救いとって仏になれることを約束してくれた阿弥陀如来の願いに心惹かれることは、仕方ないのではないかとも実朝は思う。

(望むか望まぬかに関わらず、私は、多くの者達の運命を翻弄させざるをえない立場にある。汚れた罪深い私自身が、念仏一つで救われるとは私には思えぬが。熊谷直実は、父上に仕える武士(もののふ)として、多くの命をその手にかけてきた。それでも、直実はあるがままの状態で、仏の腕(かいな)に抱(いだ)かれて浄土へ行くことができたのであろうか。そうであるならば、羨ましいことだ)

 神といひ仏といふも世の中の人の心のほかのものかは

 神だ、仏だと言ったところで、結局それは人の心次第なのかもしれない。

 実朝は、父の代からの古き武士の最期に想いを馳せた。

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