第二章引き継ぎしもの(五)

 正治三年、西暦一二〇一年。

 頼家に、三男千寿が誕生した。生母は、頼家の側室の一人、一品房昌寛の娘である。彼女は、勢力と後見においては若狭局、家柄と血筋においては辻殿と大きな差があり、頼家の妻妾の中での序列は低かった。

 頼家の居室には、頼家、政子、千幡、そして頼家の三人の息子達が集まっていた。

 千幡は、嬉しそうな顔で、一幡の遊び相手をしていた。

「善哉もこっちへおいで」

 千幡は、善哉に優しく手招きをした。

 善哉は、おぼつかない足で、叔父と兄のもとに行こうとする。

 しかし、何せ、よちよち歩きの幼児だったから、足がもつれて盛大に転んでしまった。善哉は、痛さのあまり、泣きだしてしまった。

「大丈夫だ、痛くない、痛くないよ」

 そう言って、千幡は、善哉を助けて抱き上げようとした。

 その時だった。突然、頼家が大声で怒鳴った。

「余計なことをするな、千幡!甘えるな、善哉!お前は、男、ましてや武家の棟梁の息子だろうが!さっさと一人で立て!」

 まだ赤ん坊の範疇に入る善哉に、父の言葉の意味など分かるはずもない。善哉には、ただ、鬼の面のように恐ろしい顔の父が何か怒って叫んでいるとしか思えなかった。

 父の大声で目が覚めた千寿は、火が付いたように祖母の腕の中で大声で泣き出した。父の形相にびくっと怯えた一幡も、しくしくと泣き出してしまった。善哉も、へたり込んだまま、ますます大声を張り上げて泣いている。頼家の部屋には、幼い兄弟三人の大合唱が響き渡った。

「まだいとけない我が子に、何と恐ろしい。悪いととさまじゃ」

 腕の中の千寿をあやしながら、政子は、頼家に批難の目を向けた。頼家は、バツが悪そうな不愛想な顔をしてますます大声で怒鳴った。

「お前ら、喧しいぞ!」

 これではどちらが子どもか分からない、千幡はそう思った。同時に、千幡の中で、またもや兄に対する反抗心が湧いてきた。

 生まれた時から期待された世継ぎとして育てられた兄頼家は、自分にも他人にも厳しく、強い人だ。

 だが、それだけに、兄は、弱い者の気持ちを考えたことがあるのだろうか。せめて、まだ幼い間は、無条件に我が子を抱きしめてやる、それが親の情愛というものではないか。今は亡き慈父頼朝が、千幡に対してそうであったように。

 千幡は、善哉の膝と頭を撫でて立ち上がらせ、善哉と一幡を両手に抱き留め、子どもらしくないやけに落ち着いた様子で、兄に対して言った。

「武家の棟梁の御子といえども、皆まだ幼く言葉もよく分からぬというのに。一人で立てと言われても、誰かの力を借りねば立てぬ者もいるのです」

 頼家は、ますます不貞腐れた様子で怒鳴った。

「ふん。そのような軟弱者は、我が子にあらず。勝手に一人で朽ち果てていくが定めよ!」

(どうして、この人はこうも天邪鬼なんだ!)

 千幡は、呆れ返った。

「心にもない情け知らずのことをおっしゃいますな」

「お前は、餓鬼のくせに、坊主のように説教臭い!」

「二人とも、兄弟喧嘩はもうそれくらいにしておきなさい」

 政子は、兄と弟を宥めるように言った。


 また、頼家は恋多き男だった。頼家が愛した女の中に、愛寿という遊女がいた。華やかで大変美しい容姿の女だった。頼家はしばしば彼女を呼び出しては、楽しいひと時をすごしていた。

 江の島明神参拝の帰りの日のことである。頼家は、家臣達を労うため、美しい遊女たちを招いて宴会を開いていた。

「今日は愛寿の姿が見えないが。どうしたのか」

 ほろ酔い加減の頼家が問うと、愛寿の遊女仲間が答えた。

「愛寿は、あいにく体調がすぐれないようでして」

 遊女仲間の言葉に、頼家は心底がっかりした様子を見せて言った。

「それは、残念だな。見舞いに何か贈ってやらねば」

「今日は、代わりに私たちが心を込めてお相手いたしますわ」

 女達は、若い美貌の貴公子をうっとりと眺めながら、競って相手をしようとする。育ちのいい頼家は、女達の影でのたくらみに気づくことなく、夜を明かした。

 次の日の朝、頼家のもとに、突然愛寿が髪を降ろしたとの報がもたらされた。

「よほどの重い病であったのか!」

 これはどうしたことかと大変驚いた頼家は、豪華な見舞いの品とともに、愛寿の消息を尋ねた。その時、頼家はようやく真相を知ったのである。

 愛寿は、病で来れなかったのではなく、頼家が愛寿ばかりを寵愛することを妬んだ遊女仲間に頼家の元へ行かれないよう仕組まれたのだ。愛寿は、自分だけ頼家から呼ばれないことにひどく傷つき、悲しさのあまり世をはかなんで出家してしまったのである。

「知らなかったとはいえ、儂が悪かった。戻って来ておくれ」

 頼家は何度も懇願したが、愛寿の決心は変わらなかった。

「賤しい女の身にも、誇りというものがございます。この身を憐れと思ってくださるなら、どうかそのことだけはお忘れくださいますな」

 そう言って愛寿は頼家からの贈り物をすべて寺に寄進して行方をくらませてしまった。

 これまで一度も女に拒否されたことのない若い貴公子の頼家にとって、初めての手痛い失恋となった。頼家はひどく落胆し、去って行った愛寿のことを思い出しては深いため息をついた。

 その頃、梶原景時追討事件の余波を受けて、梶原の縁者であった城一族が反乱を起こして鎮圧され、一味が捕らえられた。その中に、城資盛の叔母にあたる板額御前という女性がいた。板額御前は、女人ながら大変な弓の名手で、男たちを相手に奮闘したが、左右の股に矢を射かけられ、倒れたところを生け捕りにされた。

 報告を聞いた頼家は、ため息交じりに言った。

「女人相手に、随分と手荒な真似を」

 板額御前を生け捕った藤沢清親が恐縮しながら言葉を返した。

「女人ゆえ、殺すのは憐れと思い。されど、女人と思って手加減などすればこちらが大損害を受けるほどの大変な勇婦でして。やむをえなかったのです。捕えてみれば、大変美しく、実に堂々としており、返って殺すのが惜しいと思うほどでした。懇ろに手当てをいたしましたので、傷はかなり快方に向かっているようです」

 頼家は、処分を検討するため、板額御前を検分した。

 板額御前は、多くの男達の好奇な視線にさらされながら、少しも媚びへつらう様子もなく、世に名高い猛将達に負けず劣らず、実に堂々としていた。そして、噂どおり大変美しかった。

 気丈な板額御前の姿は、別れた愛寿の凛とした姿と重なり、頼家は思わず、板額御前に魅入ってしまった。

(処分としては、知人縁者に預けての流罪といったところか。いい女だが、まさか、儂の側に置くわけにもいくまいよ)

 そのようなことを考えていたところ。浅利義遠という男が、奇特なことを申し出てきた。

「板額御前に惚れたので、妻にしとうございます!あれだけの勇婦との間にできる子なら、さぞかしたくましい子にちがいありません!」

「確かに大変な美人だが、武士(もののふ)にも負けず劣らずの豪傑だぞ。手弱女のように優しく可愛がるというわけにはいくまいに。そなたの好みはよく分からんよ」

 義遠の言葉を聞いた頼家は、思わず板額御前が男と交わる姿を想像して笑いが出てきた。

(愛寿のいうとおり、女人にも、誇りというものがあるのだ。心から大事にしてくれる者と末永く添い遂げられるならば、これに勝る幸せはないのかもしれん。儂も、もっと愛する女を大事にしてやるべきだった)

 そう思った頼家は、義遠の申し出を許してやった。義遠の妻となった板額御前は、彼との間に一男一女を授かり、幸せに暮らしたと伝えられている。


 その年は、大雨と大風のため、穀物が壊滅的な打撃を受けた。頼家は、京の院から遣わされた蹴鞠の師匠である紀行景から、西国の被害状況を聞いた。頼家は、各地の被害状況と、頼家が以前から調進を命じていた大田文などをもとに、重臣達と相談しながら、全国的な救済策を検討していた。

 そこへ、近習の中野能成から、次のような取次ぎがあった。

「国中が飢饉で苦しんでいる時に、わざわざ京から名人を呼び寄せて蹴鞠遊びなど何を考えておられるのでしょうか。貴殿から申し上げてお諫めしてはいかがか」

 頼家の従弟の泰時がそのように言ってきたという。泰時の筋違いの物言いに対し、頼家は、きっぱりと言い返した。

「祖父や父を差し置いてのその物言いは僭越である。それでも、己が正しいと思うのであれば、堂々と儂に直接言えばよいではないか。あたかも能成に内々に話しただけの体を装って、自分が諫言したのではないなどと、影でぶつぶつと何ともずるい男だ。蹴鞠は遊びではない。京方と良き関係を築くうえでの重要なまつりごとの道具だ。己の小さな領地のことだけを考えていればよいあいつとは違って、儂は朝廷のこと、この日の本全体のことを考えねばならぬ。各地の被害状況と大田文などをもとに、重臣達と様々なことを話し合ってそれでも良い策はなかなかに見つからぬものを。部屋住の身のあいつにどれほどの策があるというのだろうな」

 頼家の言葉を伝え聞いた泰時は、改めて頼家と自分との立場の違いを思い知らされた。

 父の義時でさえ北条の傍流扱いされ、当主である祖父時政には逆らえず、さしたる力も持っていない。泰時はそんな父の庶子に過ぎない。将軍家の期待された世継ぎとして育った頼家との差は歴然としている。広い視野を持ち、常に堂々としている頼家に比べて、自分は何と狭量でちっぽけな存在であることか。泰時とて、領民達の嘆願を受け、これから領地のある伊豆に向かい、救済策を講じるところであった。

 しかし、それはせいぜい数十人程のことに過ぎない。泰時が考えていた程度の救済策など、まともに領地経営を行っている領主であれば誰でも考えて実行していることであり、特別なことではない。泰時は、自分がひどく惨めに思えて仕方なかった。

 

 その年の終わり頃。頼家は、余りに目に余る横暴な振る舞いが原因で処罰された佐々木経高を許し、ひとまずその領地のうち一か所を返還するとの決定を下した。頼家のこの判断に対して不満のある泰時は、父義時に対して愚痴った。

「佐々木入道殿の没収された領地は、すべて手柄によって賜ったものです。あの方の功績は大変大きいものだというのに。罪を許すのならば、すべて返してあげればいいではありませんか。随分とせこいことをなさる」

 これに対して、義時は、顔をしかめながら息子を叱責した。

「過去の功績を考慮してもなお、入道殿の横暴は目に余るものであり、許されるものではなかった。それをお許しになっただけでも、ありがたすぎることなのだぞ。御所様は、重臣の方々と話し合われて、いずれ時期を見て、他の領地も返されることを検討されておられる。何も分からぬ若輩者のそなたが、影でこそこそと口を出すことではない!」

 泰時が父親にひどく叱責されたことを知った頼家は、泰時を呼び出して言った。

「前にも言ったが、言いたいことがあるなら、遠慮せずに儂に直接言え」

 泰時は、深くうなだれたまま、言葉を返した。

「私は所詮部屋住の庶子です。何にも分からないことばかりです」

 頼家は、そんな泰時を気遣うように言った。

「分からないことだらけなのは儂だって同じだ。なら、これから共に一緒に少しずつ学んでいけばよいではないか。日々努力を怠らぬそなたならば、やってできぬことはない。そなたも儂も若いのだからな。」

 頼家の明るい励ましに、泰時は涙を流しながら深く頷いた。

「兄上!太郎!」

 そこへ、手を振りながら千幡がやってきた。千幡は、犬好きの頼家が最近飼い始めた白い雄犬と赤毛の雌犬の猟犬のつがいを連れていた。

「シロとハチはすっかり千幡様に懐いたようですね」

 泰時が笑って千幡に話しかけると、千幡は呆れたような顔をして言った。

「また兄上は、面倒くさいからって適当な名前をつけて!」

 生意気な弟の物言いに短気な頼家は怒鳴った。

「何だと!」

 まあまあと間に入って泰時が兄弟を宥めた。

「シロじゃありきたりすぎます。こっちは女の子ですよ。それを八幡宮に由来するからって、ハチじゃあんまりかわいそうだ。そうだ、菅原道真公が好きだった梅にちなんで、白梅と紅梅にしよう!」

「犬の癖に随分豪勢な名前だな」

「何と雅な良い名前でしょう!」

 千幡の提案に、頼家と泰時は笑いながら答えた。


 明けて、建仁二年、西暦一二〇二年。

 頼家は、今度は、花見の席で、微妙という舞女を見初めた。微妙は、歌も踊りも抜群で、大変美しく、別れを告げて去って行った愛寿を思い出させた。

 頼家が微妙から話を聞くと微妙は涙ながらに己の事情を語った。微妙は、藤原右兵衛尉為成の娘で、元々はそれなりに身分のある家の出の者であった。

 ところが、微妙が幼い頃に、父は冤罪で捕らえられて奥州に連れていかれてしまい、行方が分からなくなってしまった。微妙の母親は体調を崩して間もなく亡くなってしまった。微妙は、父の行方を捜すために、舞の修行を積んで東国にやって来たのである。

 孝行者で可憐でいじらしい微妙の様子にすっかり心奪われ、微妙のことを哀れに思った頼家は、雑色の多聞を奥州にやって微妙の父親の行方を捜してやることにした。

「御所様のお優しいお心遣い、なんとお礼を申し上げて良いのか」

 目に涙をためて上目遣いに見つめてくる微妙に頼家はぐっと来て答えた。

「安心いたせ。これからは、儂がそなたを守ってやるゆえ」

 こうして、微妙を自分の住まう場所で保護しようとした頼家に、待ったをかけたのが母の尼御台政子だった。情の厚い政子もまた、微妙のことを大変哀れに思い、何とかしてやりたいと思っていたのだが。

 若い息子と夫の菩提を弔う尼の母とでは、若い娘を保護する理由が全く異なる。父親譲りの色好みの息子の魂胆を見抜いた母は、微妙を自分の屋敷に連れ帰ってしまった。母の素早い行動に、頼家は呆然となった。

 しばらくして、奥州からの使いが帰参し、微妙の父がすでに死亡していたことが判明した。

 微妙は父の死を悲しみ、頼家が帰依している栄西のもとでそのまま出家してしまった。

 尼御台政子は、ますます微妙を哀れんで、微妙の居所を用意して生活のめどが立つようにしてやった。

 それを聞いた頼家は、出家して頼家の元を去っていた愛寿と微妙の姿が重なり、ますます落胆した。

 その微妙には、古郡保忠という恋人がいた。父の死の悲しみに耐え切れなかった微妙は、保忠に相談することなく出家してしまった。それに怒った保忠が、騒ぎを起こし、微妙を出家させた栄西の弟子達の住む僧坊に乗り込んで、僧侶達に対して暴行を加えたのである。

 その年の七月に正式に征夷大将軍となった頼家は、京に建仁寺を建てるなどして栄西を厚遇していた。その矢先に起きた保忠の事件に頼家は怒りを隠せなかった。

「僧侶達の任務を妨げて、理に合わぬ行動をとるとは!本当に女を愛しいと思うならば、静かに見守って身を引くのが男の愛情というものだ。それを何としつこくて男らしくない奴だ!」

 だが、そういう頼家自身、微妙への未練を断ちがたく、何とかして微妙を還俗させることができないかと考えていた。頼家の考えを見抜いている母政子は、呆れたように言った。

「いい加減に諦めなさい、御所。御所のお側には、他にも多くの女人がお仕えしているではありませんか。それなのに全く」

 若い頼家は、正妻である御台所を定めてなかったが、頼家の子を産んだ女性だけでも四人もいた。

 比企能員の娘、若狭局は、頼家の後継者と目されている長男一幡を産んでおり、最も勢力がある。

 次男善哉を産んだ辻殿は、既に父が亡くなって後見の点で不安があったが、父方母方共に源氏の血を引いており、血筋の点では若狭局よりも上であり、重んじられていた。

 父頼朝の右筆を務めた一品房昌寛の娘は、身分においては、若狭局や辻殿よりも劣るが、三男千寿と四男十幡を続けて産んでいた。

 源義仲の娘で木曽殿と呼ばれる女性は、頼家の姉大姫の許婚であった義仲の息子義高が父の連座を受けて討たれた後、その境遇を哀れに思った母政子が保護し、大姫に仕えていた。大姫亡き後も政子が引き続いて庇護していたが。頼家が密かに見初めて通うようになり、この春、頼家にとっては初めての女児となる竹姫を出産したが、産後の肥立ちが悪く、そのままはかなく逝ってしまった。

 女児であれば後継者争いとは無縁であるが、後見がいないのを心配した頼家は、長男一幡の母である若狭局のもとで竹姫を養育させることにし、比企氏との均衡を保つため、北条氏縁の美濃という女性を竹姫の乳母にしたのだが、頼家は、その美濃とも情を交わしていた。

 次男善哉のめのとは三浦氏が務めているが、養育を担当する乳母とは別に、実際に母乳を与える三浦の被官の娘がおり、頼家はその娘とも情を交わしていた。 

「これほど多情な御方だというのに。よくもまあ、奥で大きな諍いが起こらないことですこと!」

 皮肉を言う母に対し、頼家はどこか勝ち誇ったかのような顔で言葉を返した。

「儂は、父上のように陰でこそこそとしたりはしませんからな。情を交わした女は、不満が出ぬよう、できるだけ平等に深く可愛がっておりますから」

 それを側で聞いていた千幡は、母譲りの潔癖な性格もあってか、露骨に嫌な顔をして兄に言った。

「なんてあだびとだ、兄上は!まるで、光源氏か在五中将のようではないか!」

「これ、千幡!」

 さすがに、口が過ぎると母政子が注意しようとしていたところ。頼家は、大笑いしながら言った。

「ははは!そうじゃ!儂は鎌倉の光源氏よ!千幡、お前も男だ。いずれ分かるようになるさ!」

 からかうような兄の言葉に、千幡は顔を真っ赤にして反論した。

「私は和歌の勉強に必要だから仕方なく物語を読んでいるだけです!私は、絶対、縁があって一緒になったたった一人の妻だけを生涯大事にするんだから!」

「うん、そうか、そうか!」

 頼家は、そう言ってまた大笑いして、弟の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。


 頼家は、我が子らとともに、母と弟の今後のことに想いを巡らせていた。

 千幡のめのとであり、叔父の阿野全成は、兄弟の中で父頼朝の信頼を勝ち取り、唯一生き残っただけあって、父が生きていた頃からかなりの力を持っており、強かな男だった。その全成が、父の生存中は隠していた野心をあらわし始め、祖父時政や時政の後妻牧の方ら一派とつるんで、妙な動きをしていることを頼家は把握していた。

 頼家は、雑色の多聞らによって得た情報をもとに、有力者達の派閥関係を整理してみることにした。

 頼家の長男一幡が頼家の次の後継者となる路線は、ほぼ確定している。そうなると、一幡の外戚の比企氏が今まで以上に勢力を持つようになり、千幡の後見をしている北条側、とりわけ時政、牧の方、阿野全成の一派はこれを快く思うはずがない。

 時政は、後妻牧の方の縁を利用して、京方と何かと頻繁に連絡をしている節がある。阿野全成も、勢力拡大のため、水面下で各有力者と通じようと動きを見せている。

 一方で、母政子は、比企の専横を快く思ってはいないが、頼家の長男一幡が次の後継者となること自体には反対しておらず、時政とは一線を画している。母は、苦楽を共にした父頼朝の意思を第一としている。

 宿老達の中で、中原、二階堂、三善の実務官僚ら、北条家内の後継問題で父時政と確執がある叔父義時、頼家の次男善哉の乳母を務める三浦義村、三浦と同族の和田義盛も母の立場に近いと言えよう。

 八田知家及びその縁者の宇都宮一族は、今のところ、様子見をしながら中立を保とうとしているようだ。

 以前、頼家は安達景盛の妾である空蝉の女と密通した事件を起こしたことがあるが。そのことと直接のかかわりはないものの、父の安達盛長が病死して、景盛の代になった頃から、景盛は母方の親族である比企氏とは何かとそりが合わず、距離を置くようになった。その隙に乗じて、全成と時政一派が景盛に接近する動きを見せている。

 一幡のめのとは、比企能員の他に、仁田忠常が務めているが、同じめのと同士でも、比企と仁田は仲が良くない。やはりそこを狙って、全成と時政一派が仁田を取り込もうとしているようだ。


 年が明けて、建仁三年、西暦一二〇三年。

 頼家の長男一幡が鶴岡八幡宮に参拝すると、それに対抗するかのように、千幡もまた鶴岡八幡宮に参拝するなど、比企と北条の対立がより表面化して行く。

 そんな中、阿野全成は、鎌倉を離れて領地に戻って不穏な動きを見せている。全成が、千幡擁立のため、頼家を呪詛しているという噂まで流れ始めた。間の悪いことに、頼家はそれから間もなく、体調不良で床に臥した。幸い、若く体力のある頼家はすぐに回復したが。

 頼家は、呪詛が直接の原因で自分の体調不良が起きたとは思ってはいない。

 しかし、一般的には呪詛自体に人を殺す力があると信じられていた当時、主君への呪詛は反逆の証と取られても仕方がない面があった。

 この際、阿野全成が、実際に頼家を呪詛していたかの真偽はたいした問題ではない。千幡のめのとであり、後見人と言う立場にある全成が、自らの勢力拡大のために何らかの動きを見せ、そのような噂が立つこと自体問題があったと言える。

 父頼朝は、頼家への継承を守るために、様々な粛清を行って来た。頼家もまた、我が子一幡への継承を守る必要があった。

 一方で、全成を処罰すれば、下手をすると、全成が後見する頼家の弟千幡にも累が及ぶ危険性がある。

 また、全成は、唯一生き残った父頼朝の弟でもある。このまま全成を野放しにして、全成の勢力を増大させれば、千幡を利用して全成、時政、牧の方らが専横を極め、母政子と千幡がないがしろにされ、結果として、父頼朝の権威と血統が侵されることにもなりかねない。

 このたびはすぐ回復したが、若いとはいえ、頼家とていつ何時その身に何が起こるか分からない。自分が動けなくなっている間に、もしものことがあったらどうなるのか、そのことを考えて頼家に戦慄が走った。

 我が子、母、弟、父頼朝の系統を守るため、頼家は決断を迫られていた。


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