第二章引き継ぎしもの(六)
建仁三年、西暦一二〇三年、五月十九日。
父頼朝が頼家の継承を守るために粛清を行ったのと同じ論理で、覚悟を決めた頼家は、阿野全成捕縛の命を下した。全成は、武田信光によって捕らえられ、宇都宮一族に預けられた。
「あの若造め!今度は儂の番だ!婿の口から儂の名が漏れたら、儂はしまいだ!あの若造は、祖父の儂だとて容赦はすまい!」
突然の頼家の行動に、時政は、焦って周囲に怒りをまき散らすばかりだった。
義時は、父を宥めようと必死だった。
「全く身に覚えがないということでもありますまい。父上も全成殿に乗せられてやりすぎたのです。ここは、なるべく全成殿への寛大な処分をお願いするとともに、恭順の姿勢を示して、御所様の最終判断を待つしかありますまい」
義時の言葉に、継母牧の方は、時政以上に感情的になって義時を責め立てた。
「おお!父上の一大事と言うのに、何という腰抜けか!ここは、婿殿がすべて一人で仕組んだこと、殿(時政のこと)と我らは何も知らぬ存ぜぬで通し、次の一手を考えねばなりますまい!」
(黙れ!このような事態を招いてしまったのは、分不相応な野心から、出しゃばって、周りをかき乱したお前にも原因があるのだ!この女狐めが!)
継母に対して、喉から出かかっている怒りの言葉を義時は必死で飲み込んで抑えた。
翌五月二十日。調子に乗った比企能員は、さらに北条時政に打撃を与えようと、全成の妻阿波局の身柄も捕縛するよう頼家に迫った。
頼家は、女人である阿波局を処罰するのは乗り気ではなかったが、先手を打って、時政側の動きを封じ込めるためにはやむをえず、「相手は女人だ。決して手荒な真似をいたすな」とよくよく言い聞かせて命を出した。
比企能員の息子、時員らが、大勢の侍達を連れて、尼御台政子の館に乗り込んできた。
「御所様の御命令です!阿波局殿の身柄をお引渡し願いたい!」
(何故、このようなことになってしまったの!)
政子は、受けた衝撃でよろめく己の体を必死で抱きしめて立ち上がって、無遠慮に侵入してきた横暴な侍達を一喝した。
「無礼者が!ここを、鎌倉殿の母の館と知っての狼藉か!」
比企時員は、先の将軍の妻であり、現将軍の母である尼御台の威厳と迫力に恐れをなしたが、弱い犬がおそれを抱く者に吠え立てるように虚勢を張って声を荒げた。
「再度申し上げる!阿波局殿には、阿野全成謀反に関わる嫌疑がかけられております!早々にその身柄をお引渡し願いたい!」
比企の権勢を笠に着る若造ごときに負ける政子ではなかった。
「阿波局は、ずっとこの尼の館にいたのです。二月に駿河国へ行って以来、夫の全成からは何一つ連絡を受けてはおらぬ!女人である局が、表向きのまつりごと、まして謀反の事情など何一つ知らないことは、この尼が一番よく知っておる。それでも局を連れて行こうというのならば、まず、鎌倉殿の母であるこの尼を縄にかけてからにいたせ!さあ!どうなのじゃ!」
さすがに、将軍の実の母にそこまでのことはできようはずもない。比企時員は、仕方なくその場を立ち去った。
時員が去った後、政子はその場に泣き崩れた。
「阿波局の次は千幡か。母である私に、腹を痛めた兄と弟のいずれかを斬り捨てよというのか!全成に父上、義母上も、己の野心のためだけに、大事な私の子を利用して傷つけてまで権力を欲しがるとは!」
阿波局の拘束命令は撤回されたが、五月二十五日、阿野全成は謀反の疑いで流罪に処された。
全成が流刑に処された翌日から、頼家は、将軍としての威光を示すためと、軍事訓練と偵察を兼ねての狩りに出かけた。とりわけ、祖父の時政が取り込もうとしている仁田忠常、安達景盛には注意が必要だった。
六月二十三日、頼家は、八田知家に命じて、阿野全成を処刑した。
千幡は、翡翠の数珠をぎゅっと握りしめて、目を固く閉じた。己の身近な人間を兄の命によって殺害された事実を目の当たりにして、もはや自分と兄もまた相容れない存在になってしまったのだということを理解せざるを得なかった。
続いて、頼家からの命を受けた京方において、源仲章らが、七月十六日、全成の息子頼全を討ち取った。
その四日後の七月二十日。一度三月頃に病にかかり、体調に波があるなかでいろいろと無理をし続けた頼家は、京方からの報告を待っていた中、中原広元邸で、起き上がれない程の重体に陥った。
(儂は、今倒れるわけには行かぬ!)
頼家は、何とか気力を振り絞り、己の病の回復を願って般若心経を書写したが、体は衰弱するばかりで、思うようには行かない。頼家は出家し、長男の一幡に家督を譲ることとし、一幡の継承を守るために、一幡のことを後見人である比企一族に任せようと決心した。
だが、そうなれば、比企一族の優勢は明らかとなり、北条時政と牧の方一派の出る幕はなくなる。それを案じて対策を講じねばと思っていた矢先の八月三十日、ついに頼家が危篤状態に陥ったとの報がもたらされた。
「生意気な青二才が。ようやくくたばってくれたか!」
ほくそむ時政の顔には、もはや孫を案じる祖父の面影はどこにもなかった。
妖艶な笑みを浮かべて、夫にしなだれかかりながら、牧の方は言った。
「この機を逃す手はありませんよ、あなた!」
妻の言葉に、時政は大きく頷いた。
「尼御台も、朝廷から千幡の将軍宣下がなされれば、これを承諾せざるをえまい。小四郎の奴は、我が息子とはいえ、比企の娘を娶っていて油断がならんからな。奴には用心せねばなるまい」
時政は、牧の方の縁を通じて、千幡の将軍宣下を得るために、朝廷に頼家が既に死亡し、次の継承者が千幡に決まったとの虚偽の報告をした。
それと並行して、一幡が次の後継者になることが決定していると思って油断している比企能員に対して、時政は、「一幡君の世になっても、どうぞ我らをお見捨てにならないでください」と下出に出て呼び出し、同じ一幡のめのとではあるが、比企と対立している仁田忠常を唆して能員を謀殺した。
時政は、間を置かずして、中原広元邸に兵を送って頼家の動きを封じると共に、一幡が暮らす小御所にも兵を送るように、息子の義時らに命じた。
義時には、亡き頼朝の仲介で娶った姫の前という恋妻がいた。
「決して別れぬと神かけて誓ったものを。すまぬ。せめて、そなただけは、生き延びてくれ」
もはや取り返しのつかないところまできていることを知った義時は、泣く泣く姫の前を離縁して、京に逃がした。
政子もまた、せめて女性の若狭局、幼い孫の一幡と竹姫は助けようと密かに手を尽くすだけで精いっぱいだった。政子の手引きによって、若狭局と一幡は小御所を脱出して逃げ延び、女児である竹姫と乳母の美濃は政子のもとに保護された。
仁田忠常は、同じ一幡のめのとである比企氏と対立しており、比企を排除することについては賛同していたが、自らの権力の根幹ともなる一幡を害そうとまでは考えていなかった。
一幡のいる小御所が襲撃されて、一幡が行方不明になっていることを知った忠常は、どういう了見かと時政に食って掛かった。
(尼御台め!情に流されて勝手なことをしおって!事情を知った仁田もこれまでだな)
時政は、「そなたも、我が身と我が子らが可愛いのであれば、父の儂に逆らわぬことだ」そう言って義時に釘を刺して、仁田忠常討伐を命じた。
九月七日、時政の策略で朝廷から千幡を次の征夷大将軍とする旨の宣旨が発せられた。
若い頼家は、奇跡的に危篤状態から脱して回復したが、すべてを知った時には遅かった。
怒りにまかせて、太刀を取ろうとする頼家を、見舞いに来ていた母政子が抱き留めた。
「何もできなかったこの母を恨むなら、恨むがよい!されど、我が子が死んで喜ぶと思う親があろうか!何があっても、生き延びなさい!」
(この人もまた、千幡を守らねばならないのだ。我が子一幡のためと、北条に対して先手を打ったのは儂の方なのだ。これもまた、報いと言うべきなのだろう。儂に運がなかったのだ。母上のいうとおりに一時的に生きながらえたとしても、じじ殿は儂の存在を許しはしないだろう)
頼家は、すでに覚悟を決めていたが、母に対して返す言葉がなかった。失脚した頼家は、北条氏の息のかかった地にある修禅寺へと送られることとなった。
数え十二歳の千幡は、征夷大将軍の位を授かり、後鳥羽院直々に実朝の名を授かった。三代目鎌倉殿源実朝の誕生である。
「千幡は千幡のままで大きくなっておくれ」
父頼朝は、慈愛に満ちた表情でいつもそう言ってくれた。
だが、もはや、千幡のままでいることは許されなくなった。実朝。恐れ多くも院様から賜った誉れ高く輝かしいはずの名。
しかし、千幡との永遠の決別を意味するその名が、呪いのように重く感じられてならなかった。
兄が鎌倉を去る日。
自ら望んだわけではないとしても、結果として兄の地位を奪って将軍となった自分には、もはや兄と会う資格はない。実朝は、ぎゅっと翡翠の数珠を握りしめながら、目を固く閉じ、溢れ出しそうになる涙を必死で堪えていた。
幼い善哉は、祖母の政子に手を引かれて父の見送りに来ていた。いつもは気丈な祖母が今にも泣きそうな様子であるのが幼心にも伝わったのか、善哉は、去って行こうとする父の前に縋り付いて泣き出してしまった。
「行かないで!ととさま!ととさま!」
だが、頼家は、そんな幼い我が子を抱きしめることもなく、優しい言葉一つかけることもなく。
「将軍家の男子ともあろう者が、べそべそと泣くなどもってのほかじゃ!そのような軟弱者は、我が子ではない!とっとと朽ち果ててしまえ!」
怒って叫んで、頼家は輿に乗って行ってしまった。
輿の中で、頼家は、泣いていた。
(許せ、善哉。父のことなど忘れて生き抜いてくれ)
まだ少年だが、賢い弟は、きっとすべてを理解しているはずだ。弟は、自分とはまた違った方法で世を治めることだろう。
兄が行った後、母は善哉を抱きしめて泣いていた。母と幼い甥の姿を見て、実朝は、別れの際にとった兄の態度がどのようなものであったのかを理解した。
厳しい人だ、そしてどこまでも意地っ張りな人だ。でもきっと、今頃は一人で泣いているに違いない。実朝はそう思った。
実権のほとんどを祖父が握り、まだ少年の実朝に、為政者としてまつりごとに携わる出番はほとんどないと言っていい。それでも、実朝は、父と兄から継いだ鎌倉殿としての責任をできるだけ全うしようと心に決めた。
もとから得意ではない武芸の上達は、指南を受けても、あまり芳しくなさそうだった。
だが、書物や文献を読むことは好きだ。実朝は、漢籍や亡き頼朝が作成した文章を懸命に学んでいる。
修禅寺についてからも、夜一人、月を眺めて、我が子のことなどを思い出しては沈んだ様子を見せている頼家に、雑色の多聞は言った。
「詳しい所在は分かりませぬが。若狭局様と一幡様は、尼御台様の手引きで密かに落ち延びたとのこと。希望を捨ててはなりませぬ」
「そうか。母上が。そうか」
頼家は、涙を流しながら、手を合わせ、母への感謝とともに妻子の無事を願った。
だが、そんな頼家のわずかな願いも打ち砕かれてしまった。
「尼御台が密かにかくまっていた一幡の居場所が分かった。安達弥九郎の手の者が知らせて来てくれたわい。この藤馬という男が案内してくれる。やるべきことは分かっておるな、小四郎」
「姉上の御心を傷つけるようなことを私は……!」
もうこれ以上やめてくれと懇願しようとする義時に対して、時政は冷たく言い放った。
「一幡を生かしておいては禍根の種となることはそなたも分かっておろう!尼御台が、大姫の許婚だった清水冠者を密かに逃がした時も、故右幕下は容赦されなかった。九郎殿(義経のこと)の妾静が生んだ男子の時もだ。あの時と何が違うというんじゃ!今更後戻りはできん!それを尼御台にも分かってもらわねばな!」
十一月三日、時政の命を受けた義時の郎等らによって、その居場所を見つけ出された頼家の長男一幡は殺害された。
そのことを伝え聞いた頼家は、三浦義村を通じて、母政子に文を送った。
「母上の深いお心に感謝しつつ。武家の男子に生まれた習いゆえ、致し方のないこととは分かってはいますが。それでも、親として、罪のない幼い一幡が哀れでならず。とりわけ、密告した安達弥九郎が憎くてたまりません」
頼家からのその文を読んだ政子もまた、我が子と幼くして逝った孫のことを思って涙を流さずにはいられなかった。
政子は、せめてもの慰みにと、一匹の白い雌の子犬を頼家に贈った。
「殿、白梅と紅梅のことを覚えておいでですか」
語りかける雑色の多聞に対し、頼家は弱弱しく頷いた。白梅と紅梅は、犬好きの頼家が以前飼っていた猟犬のつがいだった。
「白梅は、小御所の合戦で矢を射かけられ、その死骸が発見されました。紅梅はその時白梅の子を身ごもっており、この子を産んで白梅の後を追うように亡くなりました」
多聞から子犬を受け取った頼家は、ぎゅっとその子犬を抱きしめた。
「白梅と紅梅にも可哀そうなことをした。そなたも、親を亡くしてさぞ寂しいことであろうなあ」
その様子を見た多聞もまた涙をぬぐった。
「お殿様、雪、こっちだよ!」
頼家の周りには、修禅寺の近所の幼い子らがたくさん集まっている。
頼家は、もはや会うことの叶わない幼い我が子のことを思い出したのか、母政子が贈った雌の子犬に雪という名を与えて、近所の子どもらと無心に遊んで日々を過ごすことが多くなった。
「今日は何をして遊ぼうかのう。」
頼家は、子ども達に笑顔で笑いかけた。
そんな頼家のささやかで穏やかな日常にも終わりを告げる日が近づいていた。
元久元年、西暦一二〇四年、七月。
北条時政に不満を持つ者達が、頼家の復権を図ろうと不穏な動きを見せていた。
「これは、今の御所様に対する明らかな謀反であるぞ!」
そう言って、時政は、現将軍実朝の命であると称して、討伐を命じた。北条の監視下に置かれ、制限の多い頼家自身が不満分子たちと関りをもっていようはずもないことは明らかであったが、時政は、これを機に、密かに頼家も殺害することを決め、その実行を息子の義時に命じた。
(右幕下、尼御台。大切な御子息をこの手にかける儂をお許しください!)
義時は、断腸の思いで、姉政子に黙ったまま、頼家のもとに刺客を差し向けた。
いつものように、頼家が近所の子ども達と遊んでいる時だった。
「禅閤様、お覚悟あれ!」
そう言って、刺客達は頼家と子ども達に迫って来た。
祖父の時政が頼家が生きていることをいつまでも許すはずがない、いつかこのような時が来るであろうことを頼家は覚悟していた。
恐怖に震える子ども達を庇いながら、頼家は、雑色の多聞ら頼家の警護を務めるごくわずかの者達に対して命じた。
「儂のことはよい。この子らには何の罪もないのだ。早う逃がしてやってくれ」
多聞は、頼家の命に頷いて子ども達を安全な場所へと誘導して行った。
頼家は、応戦を開始し、あっという間に刺客の武器を奪って次々とその息の根を止めていく。応戦した頼家によって殺された刺客の中には、一幡を殺害した藤馬という男も含まれていた。
武勇で名高い頼家に、刺客達は思った以上の苦戦を強いられていた。
「表向きは御病死ということにしろと、それゆえ御首(みしるし)は奪うな、五体満足で逝かせて差し上げろとのことだ」
「しかし、あれほどの強さですぞ。どうやって!」
刺客達の話し声を聞いた頼家は、かっと目を見開いて言い放った。
「武家の棟梁であった儂も舐められものよ!遠慮はいらぬ!かかって参れ!すべて返り討ちにしてくれるわ!」
流れてくる弓矢さえも軽々とよけて斬り捨てていく頼家に、刺客達は恐れをなした。
やがて、殺されることを覚悟の上で、刺客の一人が、低い姿勢のまま、ひたすらに頼家の急所めがけて突進していった。頼家がその刺客の頸動脈を斬るのとほぼ同時に、その刺客によって頼家の急所に刃が刺さった。
急所を痛めつけられた頼家は、激痛のあまり、地に手を突いた。
「今だ!」
そう言って、とどめを刺そうと襲い掛かって来た刺客の最後の一団を頼家は、激痛に耐えて立ち上がって全て倒した。
だが、そのうちの一人が向けてきた刃が頼家の脇腹に深く突き刺さり、刺客を全滅させた後、頼家は倒れ伏して、とうとうその場から動けなくなった。
「殿!」
子ども達を避難させた雑色の多聞が戻ってきたときには、頼家の命はもはや風前の灯火だった。
「ワンワン!」
主人の異変を感じ取った頼家の愛犬の雪が、異常なほどに大きく吠えたてるが、頼家の反応はあまりに弱弱しかった。
「母上。不肖な息子をお許しください。源実朝は、父上を超える賢君となれ。愚かな兄のようにはなるな」
そう囁いたあと、頼家は、確実に薄れゆく意識の中で、我が子一人一人の顔を懸命に思い出そうとし、子らの名を順に呼んだ。
「一幡、善哉、千寿、十幡、竹姫……」
頼家の脳裏に、我が子の声が聞こえてくる。
「ととさま!ととさま!」
親を求めて泣く子らを抱きしめ返してやりたい気持ちでいっぱいなのに、もはや頼家にはそのような力は残されていない。頼家はそのまま、息絶えた。
実朝のもとに、兄頼家の死が伝えられた。表向きは病死であるとされているが、状況から見て北条の者が手をまわしたのは間違いがなかった。
実朝が自ら望んだことではなかったとしても、実朝の命令という名のもとに、北条が手をまわして実行したのであれば、それは実朝自身が行ったのと同じことだった。人の噂というものは、止めようと思っても止められるものではない。
実朝は、祖父時政の命を受けた叔父義時が、手をまわして兄の子一幡だけでなく、兄頼家も殺害したのだとの噂を耳にした。叔父もまた、比企の乱で、実朝が生まれた年に父頼朝の仲介で、起請文までしたためて結ばれた比企氏出身の妻の命を助けるため、断腸の思いで離縁をし、京に逃がしたのだと聞く。兄が修禅寺に送られてからも、兄の復権をもくろんで北条に反撃しようとの不穏な動きがあったともいう。兄と北条は、どちらかが生き残るためにはどちらかを殺すしかない、そこまで追い込まれていたのだ。北条が守るべきもの、その中には、実朝自身も含まれているはずだった。実朝は、叔父義時を責める気にはなれなかった。
ただ、実朝は兄の最期の真実が知りたかった。
祖父時政に聞いても、適当にあしらわれるだけだろう。母の政子は、おそらく聞いているだろうが、実朝は母の心の傷をえぐり出すようなことはしたくはなかった。叔父の義時にとっても、苦渋の決断だったはずなのだ。土足で人の心に踏み入るようなことは、実朝はしたくはなかった。
兄の雑色だった多聞から、兄の最期を聞いた実朝は、懐の翡翠の数珠をぎゅっと握って、あふれそうになる涙をこらえるために、固く目をつぶった。意地っ張りで天邪鬼だった兄もまた、子煩悩だった父頼朝や情に厚い母政子と同様に、小さな子を慈しむ優しい人だったのだ。
父頼朝との思い出の梅の木の近くには、実朝が作った小さな石塚があった。そこには、兄の最期を見届けた子犬の雪の両親である白梅と紅梅が眠っていた。その石塚のそばで、実朝は、雪をぎゅっと抱きしめた。
やがて、実朝は、叔父義時に密かにあることを掛け合った。
「兄上の近侍だった源性が、幼くして亡くなった一幡の遺骨を高野山に納めたいと願い出ている。北条のしたことを責めるつもりはないのだ。まつりごとのことをよく分かっていない若輩者の私にそのような資格もない。ただ、一人の人として、幼くして亡くなった命を憐れに思う気持ちが少しでもあるのなら、源性の願いが叶うよう、内密に取り計らってほしい。力のない将軍ではあるが、これくらいの願いをかなえる力くらいはあろう」
多くを語らない実朝の言葉から、義時はこの若い甥がすべての事情を知ったことを理解した。もとより賢く、優しい子だった。こそこそと大人たちが隠そうとしても隠し通せるものではないのだった。
そして、義時は、父の時政ではなく、自分にあえてそれを頼んだ実朝の意図を正確に読み取った。実朝は、時政と義時の確執も見抜いているのだ。
「この叔父が、御所様の仰せのとおりに取り計らいましょう」
義時は、深々と甥に頭を下げた。頼朝と頼家が覇者ならば、実朝は王者だ。いずれ、この少年は父頼朝をも上回る賢君となるだろう。
だが、父の時政は、実朝の本当の賢さに気づいてはいないだろう。いつ昨日の味方が今日の敵となってもおかしくはない世の中だ。
だが、かなうことなら、頼朝と同様に、この少年を生涯の主君として仕えたい。義時は、心からそう思った。
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