第二章引き継ぎしもの(四)

 梶原景時が討死してから、その縁者が関与した事件が頻発するようになる。頼家は景時の忠心を信じていたが。

 それでも、梶原景時が謀反人として討伐された以上、それに関連する事件に関しても、厳粛な措置をとらざるをえなかった。父頼朝と景時が頼家による継承を守るために疑いがあれば容赦のない粛清をせざるをえなかったのと同じ道を頼家もまた進まざるをえなかった。

「よきかな、かあ。いい名前だなあ。善哉(ぜんざい)。そなたはきっと、よい子に育ってくれる」

 千幡は、頼家と辻殿との間に生まれた次男善哉の顔を覗き込みながらはしゃいでいた。父頼朝が亡くなって以来、急に大人びてきた印象を受けるが、嬉しそうに赤子の甥の顔を覗き込んで語りかけている様子からは、まだまだ無邪気な子どものようにも見える。生まれたばかりの我が子とまだ幼い童の部類に入る弟の様子を見て、頼家は複雑な思いに駆られる。

 景時が指摘したとおり、千幡の後見を務める叔父阿野全成や祖父北条時政はいずれ、千幡を後継者として立てようと動き出し、いずれ、頼家や頼家の息子達との争いが生じることになるかもしれない。

 だが、北条は頼家の母政子の実家でもあり、千幡は、大姫と三幡を亡くした頼家にとっては、同じ両親を持つ、たった一人の血のつながった弟なのだ。頼家自身があるいは目の前の赤ん坊の我が子が、いつか我が弟を手にかけねばならない呪われた未来がやってくるのであろうか。歳の近い甥と戯れているまだ幼い弟の様子を見て、未来永劫そのような事態が起きないでほしいと頼家は願わずにはいられなかった。


 鎌倉殿となった頼家は、蹴鞠と狩猟を頻繁に行っている。もともと頼家は身体能力が高く、部屋の中でじっと書物を読むなどの勉学よりも、外で活発的に動き回るのを好んだのもあるが、それだけではなかった。

 蹴鞠は、武家の頂点に立つ頼家が朝廷と繋がりを持つのに重要な手段であった。狩猟は、武家の棟梁としての威光を示した軍事訓練、偵察の面も持っていた。頼家は、蹴鞠を通じて朝廷側の動きを、狩猟を通じて坂東武士達の動きを探っていた。

 頼家は、多聞という老雑色を呼んだ。彼は、母の尼御台政子が父頼朝の妻となる前、まだ片田舎の豪族の童女に過ぎなかった頃から仕えており、母が父の妻となってからは、両親の手足となって諜報活動を行っており、父が亡くなってから頼家付きとなった。

 頼家が多聞に探るように命じたことは、場合によっては母政子に内容が伝わるかもしれない。

 だが、頼家はそれでよいと思っていた。

 頼家の跡を継ぐことになるであろう長男一幡の後見として、外戚の比企の力は不可欠である。

 しかし、若く力不足の自分では、比企の専横化を抑えることができず、比企の力に取り込まれてしまい、それが、母政子の実家北条と比企との間の対立を激化させることになるかもしれない。頼家はそのことをよく理解していた。頼家の周りの動きを母が知ることで、逆に母によって北条と比企との均衡が保たれることを頼家は密かに期待してもいた。

 頼家の見るところ、その北条も必ずしも一枚岩ではない。祖父時政及び後妻牧の方と、母政子や母に近い立場の叔父義時との間には、北条家自体の後継も絡んで確執があった。弟千幡のめのとである叔父阿野全成が、千幡を利用して自らの勢力拡大のために、祖父時政との結びつきを深めようとしていたならば、母は千幡を守るためにどうするのか。それも知らなければならなかった。

 その北条時政は、頼家によって、従五位下駿河守に叙され、諸大夫身分に列せられた。それは、十三人の宿老の中に、比較的若い叔父義時を入れ込んだのと同様、母政子の意向を受けての時政が暴走することを抑止するための一種の懐柔策でもあった。

 しかし、未だ一階級下の侍身分で、家格の上で北条に先を越された比企能員は黙ってはいなかった。

「お世継ぎ一幡様を御世話申し上げている、我ら比企をないがしろになさるおつもりか!」

 能員の横やりに頼家は冷めた表情で言い返した。

「儂は、比企だけを格別に扱うつもりはない。北条四郎は、儂のじじ殿に当たる故、礼を尽くしたまでだ」

 それから間を置かずして、比企能員の息子で、頼家の近習である比企時員の家来達が、専修念仏を主張する私僧らとひと悶着を起こした。

 頼家は、以前、鎌倉殿としての威光を示すために、庶民に対して、頼家の近習らに礼を尽くすようにとの触れを出していた。それに背いて、時員に対して礼を取らなかったことに腹をたてた時員の家来たちが、坊主達の衣を引き裂いて燃やすという暴挙に出たのである。

 法然が広めた専修念仏の教えは、鎌倉を中心とする坂東にも広まっており、熊谷直実のように有力御家人の中にも浄土門の教えに帰依する者も少なくなかった。

 法然自身は、京の上級貴族達とも深い付き合いがあり、学識高く、良識的で穏健な人物であったが、専修念仏を唱える末端の私僧の中には、粗野な無法者も少なくなかった。秩序維持のため、場合によってはそういった者達を為政者として取り締まるのはある意味当然のことであった。

 だが、頼家は、末端の私僧などよりも、外戚の威光を笠に横柄な態度を取る比企一族の動きこそ、注意せねばならないと感じていた。


 自らの責務を果たそうと努めている頼家であるが、それでも若さゆえに、ときには短気を起こしてしまうこともあった。

 頼家に取り次がれる訴訟は、頼家の負担になりすぎないようにと重臣達によって、予めある程度選り分けされているのであるが。それでも、代替わりに乗じて、父頼朝時代よりも自らに有利な決定を得ようとの訴えが頻発していた。

 陸奥国の神社を巡る境界争いの件でのことだった。他にも多くの案件を抱えている上に、事案の複雑さに、頼家はついイライラしてしまった。

「父上がお決めになったことを覆そうと、勝手な訴えばかり起こしおって!ええい!そんなに決めてほしければ、こうしてやる!土地の広い狭いは運しだいだ!それが嫌なら今後つまらんことで揉め事を起こすな!」

 そう言って、頼家は、差し出された絵図の境界線付近に、筆で適当に線を一本入れた。

「御所様、お腹立ちは分かりますが……」

 遠慮がちに頼家を宥めようとする叔父の義時に対し、頼家ははっとなった。

「すまん、つい。分かっておる。むろん、現地に人を派遣してきちんと調べてから、最終判断を致すゆえ」

 頼家は、後日、この件も含め、奥州に派遣した調査団の結果を踏まえて判断を下し、地頭の権限につき、頼朝時代の慣例に従うように命じている。

 続いて、佐々木経高が、朝廷の警備を怠ったばかりか、京で略奪を行ったり、阿波国の国司の取り分を横取りするなどの横暴を繰り返し、院が激怒しているとの報がもたらされた。

「佐々木中務丞の過去の功績はなかなかのものですし。お父君のお許しになった権限をそう容易く取り上げるのはいかがなものかと」

 重臣達の中にはそのようなことを言う者も多く、審議は長引いた。

 だが、頼家は、きっぱりと言った。

「過去にどれだけの功績があったとしても、院様の御心をわずらわせるほどの職務怠慢と横暴を見過ごすわけには行かぬ!父上が生きておられたとしても、決してお許しにはならぬであろう!」

 様々な意見があったが、最終的に重臣達は筋の通った頼家の意見に従った。佐々木経高は、守護職を停止させられ、領地を没収された。


 まつりごとのことであれこれと頭を悩ませることの多い頼家にとって、外でみんなと何かをするのは、よい気分転換にもなった。

 小坪の海辺に出かけた折の話である。

 笠懸の後、みんなで船の上で酒を楽しんでいたところ。頼家は、和田義盛の息子義秀が水練が得意であったことを思い出し、戯れに、海に潜って見ろと命じた。

「かしこまりました!」

 義秀ははりきって返事をした後、そのまま海に飛び込んだが、なかなか顔を見せない。

「溺れてしまったのではないのか!」

「おい、大丈夫か!」

 心配になった頼家と他の家臣達は、口々にそう言い、救助の準備を始めていたところ。

「お待たせいたした!」

 そう言って、義秀は、刺殺してまだ息のある鮫三匹を持ち帰って来た。

 頼家は驚きつつも、ひどく感心して言った。

「大した奴だ!褒美に儂の名馬をやろう!」

 義秀は大いに喜んだが、これに対して義秀の兄の常盛が文句を言った。

「その名馬は儂も欲しい!水練では弟には適わぬが、相撲ならば儂の勝ちじゃ!」

「それならば、馬は相撲で勝った方にやるとしよう」

 頼家は、笑ってそう言った。かくして、名馬を巡っての兄弟での相撲対決が始まった。

 義秀と常盛はがっつり組み合ったまま、互角の様相を見せており、なかなか勝負がつかない。

「ここは引き分けでいいじゃありませんか」

 酔ったふりをした北条義時がそう言って勝負を終わらせようとしたところ。

 常盛は、素っ裸なままいきなり頼家の乗って来た名馬の方に一目散に走って行き、そのまま馬に乗ってどこかへ行ってしまった。

「兄者め!とんずらしやがった!儂の馬が!」

 地団太を踏んで悔しがる義秀の姿を見た頼家や周りの者達はみな大笑いだった。

 若い頼家の周りは活気に溢れていた。頼家は、みんなで様々な催し物を楽しむことを通して、派閥争いによる緊張を緩めようと考えていた。

 浜の御所へ行ったある時のことである。

 祖父の北条時政が張り切って酒の席を用意し、和田義盛、小山朝政、三浦義村ら多くの御家人達が集っていた。その中に、工藤行光という馬術の名手がいた。

「そなたには勇猛な家来がいると聞いているが、顔が見てみたいので、連れて来てくれないか」

 頼家は、行光に気さくに声をかけた。

 行光は、主君の仰せとあらばと自宅に戻って、衣装を着替えさせて家臣達を連れて戻って来た。みななかなかに勇敢な面構えをしていた。その様子がすっかり気に入った頼家は、行光の家来を直臣に取り立てたいと申し出た。

 行光は、頼家の言葉をありがたいことだと謝意を示しつつも、控えめに言葉を返した。

「彼らはみな、亡き父と戦場を共にしており、父は何度も彼らに命を救われました。御所様には、多くの勇猛な方々がお仕えしていらっしゃいます。ですが、儂が頼りにできる家来は、彼ら三人だけなのです」

 頼家は、行光の謙虚さと彼ら主従の深いつながりに感動した。

(彼らのように心から信頼し合える者が儂には幾人いるだろうか。羨ましいことだ)

 同時にそのような思いが浮かんで来て、頼家は、少し寂しい気になった。


 叔父阿野全成への警戒を強めていたこともあってか、頼家は、全成がめのとを務めている弟の千幡としばらく顔を合わしていなかった。

(元気にしているだろうか。たまには顔を見に行ってやるか)

 そう思った頼家は、千幡のもとへ足を運んだ。

 千幡は、和漢朗詠集などの教材をそばに置いて、いつものように大人しく一人で手習いに励んでいた。

「都府楼はわずかに瓦の色をみる、観音寺はただ鐘の声を聞く……」

 詩文を読み上げるまだ童の年齢の愛らしい弟の声が聞こえてくる。

(誰の詩だったかな。儂も千幡くらいの時に一応学んだはずだが。儂は、千幡と違って勉強が嫌いで、隙を見つけては外に遊びに行ってたからなあ)

 頼家は苦笑しながら、千幡に声をかけた。

「おのこなら、少しは外で遊んだらどうだ。今日は天気もいい。ついて来い」

 頼家はそう言って、気乗りのしない千幡を半ば強引に連れ出した。

「ほら、お前もやってみろ」

 そう言って、頼家は千幡に蹴鞠用の鞠を渡した。

 身体能力が高い兄とは違って、運動の得意ではない千幡は、何度やってもうまくいかない。

 短気な頼家は、弟の鈍くささに苛立ってつい言葉を荒げてしまった。

「下手くそめ!」

 頼家の言葉に、千幡は涙を堪えてぶすっとしたふくれっ面のまま俯いてしまった。

(蹴鞠の目的は楽しむことにあるんじゃないのか。怒るくらいなら最初から私を連れ出したりなんかしなければいいんだ)

 短気な兄のことだ。このようなことを口に出せば、余計逆上させるだけだ。だから、千幡は黙っているのだが、心の底では、兄への反発が沸き上がっていた。

「誰でも最初からうまくいくわけではないのは当たり前ではありませんか。ましてや、千幡様はまだ小さいんですから」

 叔父の五郎時連はそう言って頼家を嗜め、千幡を庇った。

 大人たちが軽快に鞠を蹴り上げていく。

「わあ!すごいなあ!」

 兄に怒鳴られて少し意固地になっていた千幡であるが、鞠が連続して優美に舞い上がる姿をみて、思わず歓声をあげた。

 子どもらしい千幡の明るい笑顔につられるように頼家も笑みを浮かべながら、僧侶姿の蹴鞠仲間を紹介した。

「大輔房源性だ」

「儂は蹴鞠だけでなく、算術の達人でもあり、弘法大師様を超える書の達人でもあるのです!」

 自慢げにそういう源性に対し、千幡は目をきらきらさせた。

「さてな。大ぼら吹きの似非坊主だからな、こやつは」

 頼家の言葉に、みなが大笑いした。

「儂は、部屋に籠って学問何ぞ真っ平ごめんだがな。お前にはちょうどよかろう。いろいろと教えてもらうがよい」

 それ以来千幡は、兄頼家とは反対に、源性の話す書物や算術に打ち込むようになった。

 その源性に命じて、頼家は諸国の大田文(国単位での荘園・公領の田地面積、所有関係などを調査した土地台帳)を取り寄せて算勘させている。これをもとに、頼家は、五百町を超える田地を持つ富裕武士から、その余剰分を無足の士すなわち弱小武士に分け与えて、生計の途を図ることを提案した。

 だが、残念ながら、既得権益を侵されることを嫌がった宿老達に反対されて、この政策は実現されなかった。

 とはいっても、以前に荒地の開発を命じたように、土地政策に積極的な頼家は、何度も大田文の調進を命じており、このことは、不作時の年貢の徴収方法の決定等その後の政策の基礎となり、大いに役立ったものと推察する。


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