第二章引き継ぎしもの(三)
それは本当に何気ない一言に過ぎないはずだった。
「御遺言で家臣達の出家を禁じられたとはいえ、あれほど御恩を受けた右幕下がお亡くなりになった際に出家しなかったことが悔やまれる。忠義者は二君に仕えずというではないか。これからの政局はどうなるのだろうか」
亡き主君頼朝を慕う気持ちとともに、頼朝の死によって有力御家人間の均衡が崩れて派閥争いが表面化しそうな状況下の中で、結城朝光はつい愚痴のような言葉を吐いてしまった。その言葉を耳にした梶原景時は、眉根をしかめて厳しい顔つきで言った。
「故右幕下をお慕いする気持ちから出た言葉とは言え、不謹慎ではないか。不安な状況だからこそ、家臣達が一丸となって、故右幕下の跡を継がれた若い御所様をお支えせねばならぬというのに。二君に仕えずなどと、あれでは父君にはお仕えできても、御所様にお仕えすることはできぬと受け止められかねん」
景時としては、朝光に言動には気を付けるよう厳重注意をしたにすぎない。
だが、それを利用して一波乱起こそうという者がいた。
「結城七郎殿も御気の毒なことだ。梶原平三殿が、二君に仕えずとは御所様への謀反であると申しているそうだ。このままでは、いずれ結城殿も謀反人として討たれるだろう。そなたは、御所女房として顔も広い。結城殿に、誰か親しい者に相談してこの危機を乗り切った方がよいと教えてやってはどうか」
阿野全成は、妻の阿波局にそうささやいた。
全成は、頼朝の異母弟であり、妻の阿波局は北条時政の娘で、尼御台政子の妹であった。この夫婦は、頼家の同母弟千幡のめのとを務めていた。
全成は、次々と頼朝によって他の兄弟達が粛清されていく中で、頼朝の信頼を勝ち取り、唯一生き残っただけあって、強かな男であった。頼朝が生きている間は大人しいふりをしていたが、頼朝が亡くなった今、末子千幡のめのとであることを利用して、己の勢力拡大を図ろうと目論んでいた。
政治的なことがよく分かっていない阿波局は、同情心から、夫のいうとおりに結城朝光にそのことを伝えた。
(あの平三ならそれくらいのことはやりかねない!)
阿波局の言葉を聞いて、結城朝光は真っ青になり、親友である三浦義村に相談した。
「梶原平三という奴は、故右幕下の権威を笠に着て、何て卑劣な奴だ!何とかしてやりたいが、若手の儂一人ではその力はない。だが、平三に恨みを持つ輩はたくさんいるからな。父上に相談して、みんなで力を合わせて平三の不当性を訴えれば、きっと何とかなる!いや、大事な友のためだ!何とかしなきゃならん!」
義憤にかられた義村は、親友のため一肌脱ごうと、宿老の一人である父三浦義澄に話を持ち掛けた。そこからどんどん話が大きくなっていく。
比企能員は、梶原景時同様に頼家のめのとであるが、娘若狭局が頼家の長男一幡を産み、いずれ次の鎌倉殿の外祖父として権勢を独り占めしたい能員にとっては、景時の存在が邪魔で仕方がない。これは景時を追い落とすよい機会だと考えた能員は、景時を糾弾する同志を募った。
三浦の親族であり、和田義盛には、景時に侍所長官の座を奪われた恨みがあった。それだけでなく、一本気で直情的な義盛には、景時の行いが、些細なことを理由に多くの者を粛清してきた情け知らずで卑劣なものに思えたのであろう。沈着冷静な切れ者の景時と、情に厚い典型的な坂東武者の気質を持つ義盛は、もともとそりが合わなかった。若手の義村、義村の父義澄に同調して、義盛も景時糾弾に名乗りを上げた。
比企、三浦、和田らに続き、景時に恨みや不満を持つ有力御家人達が景時糾弾に名を連ねていった。
事態を知った北条一族でも、対応を迫られていた。
「何故このような大事(おおごと)になっているのか!梶原殿は、確かに様々な厳しい処置をされてこられたが、それはすべて右幕下のご命令があればこそ。私心によって動く方ではありませぬ。まして、若い御所様をお支えせねばならぬこの時に、些細な発言を理由に結城殿を謀反人として処罰してことを荒げるような真似を、冷静な梶原殿がなさるとは思えぬ!」
まずは、景時糾弾のもととなった、景時が結城朝光を謀反人にしたてあげようとしたという事実の真偽自体を確かめるべきであると義時は主張した。
「これだけ多くの者が名を連ねておるのだぞ!今更そのような悠長なことは言ってはおれんのだ!問題は、我が北条が、他の宿老達と共に梶原糾弾に名を挙げるかどうか。その一点のみじゃ!」
父時政は、息子の反論を遮って、焦ったようにまくし立てた。そこに、娘婿の阿野全成が口を挟んできた。
「梶原殿は、夫婦で御所様のめのとも務められ、尼御台様のご信任も厚いお方です。尼御台様の御心を慮るならば、北条は糾弾状に名を連ねず、あくまで中立の立場を保って、ここは静観して様子を見るのがよろしいのではありませんか」
「確かに、それが一番無難であろう」
当主である時政が全成に賛意を示したことによって、北条の方針は決まった。
梶原景時への糾弾状を見せられた広元は、ひどく戸惑った。景時は亡き頼朝の命で時には厳しい処断をしてきたが、冷静な彼がこの時期に私心で自ら世を騒がせるだろうかと広元もまた疑問に思わずにはいられなかった。
しかし、義憤に駆られた和田義盛に、広元の考えは通じない。
「ここまで、多くの諸将が訴えておるのだぞ!それを無視するとは、おかしいではないか!ともかく御所様にこの糾弾状をお見せして、ご判断を仰ぐべきである!」
ここで自分の独断で無視したならば、糾弾状に名を連ねた多くの有力御家人達は黙ってはおらず、頭に血がのぼって返って大勢で何をしでかすか分からない。事態の深刻さを悟った広元は、頼家に景時への糾弾状を提出した。
事態を知った頼家は驚愕した。
「弁明があるならば聞く。申したいことがあるならば何か申せ!」
何かの間違いであることを願いながら、評定の場で頼家は景時に言った。
「この身に恥じることは何一つございません!儂への糾弾状は、むしろ、御舎弟千幡君を次の後継者に担ぎ上げようとする千幡君のめのとである北条殿の陰謀に相違ありませぬ!」
景時の言葉に、名指しされた時政は烈火のごとく怒った。
「聞き捨てならぬ!我が北条は、事の真偽を確かめるまではと、あくまで中立を保って名を連ねなかったのだぞ!このような言い草をして主筋の千幡君を貶めようとするお主こそ、謀反人ではないか!」
いつもの冷静さを欠いて声を荒げて時政の怒りを誘発させるような景時の物言いを聞いた頼家は何かがおかしいと感じた。
「もうよい。平三言葉が過ぎよう。じじ殿も落ち着かれよ。他に言うことはないのか、平三」
景時は、開き直ったような様子で言葉を返した。
「こうなった以上、どうとでもなさるがよろしかろう。されど、この梶原平三、たとえどこにいようとも御所様への忠義だけは捨てたりはせぬ!」
景時の言葉に、「この期に及んで何を抜かすか!佞臣が!」などの怒号が次々と飛び交った。
「無念である。正式な沙汰は追ってするゆえ、下がれ」
そう言って、頼家は景時を下がらせた。
間を置かずして、景時は、一族を連れて、自らの領地のある相模国一ノ宮に退いた。
(平三の真意はどこにあるのだ)
そう感じた頼家は、景時への糾弾状が差し出された経緯を丹念に探ることにした。
(結城七郎の物言いを平三が咎めだてしたのは事実だ。しかし、平三はそのことをもって結城を謀反人に仕立て上げようとまでは考えていなかった。結城の方が平三の過去の振る舞いから、自分が標的になると思い込んで焦ったと考えるべきか。平三が結城を謀反人にしようとしていると言ったのは阿波局だ。女人である阿波局に深い考えがあるとは思えん。とすれば、北条のじじ殿が裏で糸を引いているとも考えられるが。評定の場でのじじ殿の慌てようからすると、北条は本当に糾弾状に名を連ねるつもりがなく様子を見るつもりだったようだ。母上の立場に近い小四郎叔父には平三を糾弾する理由がない。ならば、誰か)
頼家は、評定の場で、景時が彼らしからぬ言葉を言った意味を考えた。
(確かに、一幡の世となって外戚の比企が力を持てば、北条のじじ殿は面白くなかろう。将来的に比企と北条が対立するおそれがないとはいえない。だが、今はまだそれほどの状況にはなっていない。なのに、平三はあの場で、千幡のめのとである北条が千幡を担ぎ出そうとしていると言って、じじ殿をわざと怒らせた)
そこまで考えて、頼家ははっとなった。
(全成叔父か!全成が妻の阿波局を使って、平三が自分を陥れようとしていると結城に思い込ませて事が動くように仕向けたのだとしたらすべてのつじつまが合う。だが、今の段階では確たる証拠はない。下手に動けば、余計な争いを生じさせて、千幡や母上を巻き込むことにもなりかねん)
正式な処分がなされる前に、梶原一族は一ノ宮に退いたが、景時の三男景茂はまだ鎌倉に残っていた。
「平三はこれからどうするつもりなのだ」
頼家は景茂を呼び出して問うた。
「父は、縁者を頼って都に上り、朝廷にお仕えしながら、御所様を陰からお守りしたいと、そう申しておりました」
景時と影茂の言葉に嘘はなかろうと頼家は思った。
間もなくして、正式に梶原景時を鎌倉から追放する旨の処分が言い渡された。
年が明けて正治二年、西暦一二○○年。梶原景時が一族を連れて上洛しようとしているとの報がもたらされた。
「この大雪ですぞ!」
「梶原一族が謀反を企てて上洛しようとしているこの時期に危険です!」
正月十八日。家臣達が口々に言うのも聞かず、奥州合戦から凱旋した父頼朝が雪の中大庭野に狩猟に出かけた例を持ち出して、頼家は、鎌倉殿になって初めての狩りに出かけた。
(全成がじじ殿を動かして一件に絡んでいるのなら、北条の領地の近くで何か動きがあるはずだ。すまん、平三。今の儂にはそなたに何もしてやれぬ。せめて、無事に都にたどり着いてくれ)
頼家は、祈るような気持ちだった。
その数日後、梶原一族は、北条時政と阿野全成の領地のある駿河国において、在地の武士達と戦闘となって討ち死にした。
報告を受けた頼家は、部屋で一人になると、ぎゅっと瞼を閉めて涙を堪えた。
(一幡を守るために比企の力は必要だが、あやつらは、私心で動くことのなかった平三とは違う。比企が専横化の動きを見せれば、北条のじじ殿は黙ってはいまい。結局、儂は一人だ。今以上に強くなるしかないのだ)
悔いたところで後戻りはできない。頼家には、自らを何とか鼓舞して突き進むしか道は残されていなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます