第一章愛し子(二)

 建久四年、西暦一一九三年春。

 昨年の暮れ、千幡の兄万寿は疱瘡にかかり、頼朝はひどく心配していたが。幸いにも万寿はすぐに回復して、弓矢の鍛錬に勤しんでいた。頼朝はその様子を目を細めて見守っていた。

「おお、さすがは万寿、儂の子じゃ!なかなか上達しておるではないか。みごとじゃ!」

 褒められた万寿は、嬉しそうな笑顔を父に見せた。

「にー」

 まだ赤子の弟千幡も、叔父義時に抱っこされて歓声をあげながら、にこにこと笑顔を振りまきつつ、父と兄に手を振っていた。

「ときに、小四郎。体の方は大事ないのか」

 この頃、義時も病にかかり、しばらく領地で療養していたのだが、回復して鎌倉に戻って来たばかりだった。

「御所様にもご心配をおかけいたしました。この度の巻狩りには支障はございませんので、ご安心くださいませ」

 昨年に崩御した後白河院の一周忌の喪が明けたこともあり、頼朝は大規模な狩猟行事を計画していた。

「父上!この度の巻狩りには儂も連れて行っていただけるのでしょう?」

 頼朝は興奮した状態の万寿に面目なさそうに答えた。

「すまん。万寿の披露目も兼ねた巻狩りは、五月に富士野にて行おうと思うておる。この度は、その前哨戦じゃ。もう少し待ってくれ」

 万寿は、一瞬がっかりしたものの、すぐに力強く頷いた。

「それまでに、もっと腕を挙げておかねば!」

「何と頼もしいお言葉!」

 義時が万寿に語りかけると、万寿も照れたように、叔父に抱かれている弟の頭を撫でながら言葉を返した。

「そういえば、小四郎叔父にももうすぐ次のややこが生まれるとか。めでたいことが続くなあ」

「そうなんです!なんせ、金剛が生まれて以来十年ぶりの我が子の誕生ですからなあ。もう楽しみで楽しみで」

 昨年娶った義時の恋妻姫の前が懐妊したのだ。

「千幡や。ととのところへおいで」

 デレデレとした顔を隠そうともしない義時の隙をついて、頼朝は義時から奪うように千幡を自分の腕に抱き上げた。

 途端に、義時の腕の中で機嫌よくしていた千幡は大声でぐずり始めた。

「何故じゃ!千幡は、ととよりも、小四郎の方がいいというのか!」

 ひどくがっかりした様子の頼朝に、義時は勝ち誇った顔を見せた。

「御所様と儂とでは、子にかけた時間が違いますわい!」

 その様子を見ていた万寿は、一つ年下の従弟で義時の長男金剛に言った。

「お互い、恥ずかしいくらいの親馬鹿ぶりだよな」

「ほんとうに。よくまあ、こんな冴えない子持ちやもめのところに、義母上も来る気になったもんだ」

 息子達は、どこか冷めた表情で、はしゃぐ父親達を見つめていた。

 

 三月二十一日、鎌倉を出発した頼朝は、大勢の御家人達を連れて、信濃国三原野、武藏国入間野、下野国那須野で立て続けに狩猟を行い、四月二十八日に御所に戻った。

「千幡が病にかかったと聞いて、ととはいてもたってもいられなかったぞ」

 愛し気に千幡を頬ずりする頼朝に、政子は呆れた様子で言った。

「大将ともあろうお方が、そのまま一人で飛んで帰りそうな勢いだったと聞きましたよ。まったく大袈裟なんだから」

 

 五月八日、頼朝は、今度は嫡男の万寿も連れて、駿河国富士野での巻狩りに出かけた。

 五月十六日、数え年十二歳の万寿は、見事に鹿を仕留めた。その夜、山神・矢口祭が行われ、頼朝は、万寿が頼朝の次の後継者であることを大体的に喧伝した。

 巻狩りから帰って来てから、父子は、晴れ晴れとした顔で政子の前に姿を現した。

「万寿はまことにすごかったのじゃ!」

 頼朝は、ここでも親馬鹿ぶりを発揮して、興奮して自慢げに万寿の活躍を語った。同席している万寿も、父の言葉を聞いて誇らしげな顔をしている。

 しかし、政子はといえば。

「武家の棟梁の後継ぎが、鹿を射止めたくらいで、父親が大はしゃぎするなど、みっともない」

 父親に比べて、母親の反応は冷めていた。母の言葉に、万寿は傷ついたような顔をした。抱っこされていた母親の腕から降りて、体が自由になった千幡は、今にも泣きそうな兄の顔を難し気な顔で見つめて、兄を慰めようとしたのか、這いながら兄の方に向かっていく。

 政子の言葉に対して、万寿を庇うように、頼朝は怒った。

「そなたは、冷たすぎるのではないか!母親ならば、万寿にようやったと褒めてやるのが当然であろうに!」

 頼朝の言葉を受けて、政子は負けじと頼朝を見返して言った。

「万寿は、よう頑張りました!そのことは、私とて母として大いに褒めてやりたいと思っておりますとも!」

 母親の言葉を聞いて、泣きそうな顔をしていた万寿は、嬉しそうな表情を見せた。

「母上……!」 

 兄の嬉しそうな顔を見た千幡もまた、「にー」とにこにこ笑いながら、父と兄に嬉しげな顔を見せた。

「おお、千幡もそう思うか。千幡はよい子じゃ。そなたの兄はよう頑張ったよな」

 頼朝もまた、嬉し気な様子で千幡に頬ずりをして千幡を抱き上げた。千幡がにこにこしながら兄の方に手を差し出すと、万寿もまた嬉し気に赤子の弟の指をきゅっと握って、その頭を撫でた。

「しかし!」

 政子は、嬉し気な父子に対して、姿勢を正して言った。

「その後がいけませぬ。あなた様は、遊び女を呼んで随分と羽目を外された御様子。万寿も、初めてそのご相伴に預かったそうでございますなあ?」

 政子の指摘に、頼朝は、うっという表情となって何も言えなかった。

 政子は、母親として万寿の成長ぶりを嬉しく思っていたのだが、頼朝の悪い癖が出て、しかも、まだ元服前の万寿までその味を覚えてしまったことに不快感を覚え、それでついきつい物言いとなってしまったのである。

 悔し紛れに頼朝は政子に言い返した。

「この際じゃ、万寿もいろいろと一人前の男ぶりを見せたのだから、近いうちに元服させることにする!」

 頼朝の言葉に、政子は、「それは、ようございましたなあ」とやや皮肉気に言葉を返した。

 そして、政子は、父親に抱っこされて御機嫌の千幡に向かって言った。

「よいですか、千幡。そなたは父上や兄上のように、おなご好きで、妻を泣かせるような悪しき大人になってはいけませんよ。分かりましたか」

 母親の言葉に、千幡は再び難し気な顔をして頼朝の顔を覗き込んだ後、にこにこと母親に向かって「あい」とうなずいて元気よく返事をした。


 嫡男万寿の元服を決めた頼朝であったが、万寿への継承を確実にするためにも、片づけなければならない問題が残っていた。

 万寿を頼朝の次の後継者として喧伝するために行われた晴れがましい富士野の巻狩りの途中、ある事件が発生していたのである。

 曽我祐成、時致(ときむね)という若い兄弟が、頼朝の側近である工藤祐経を殺害する事件が起きたのである。世にいう曽我事件である。

 曽我事件のそもそもの発端は、伊東一族間の土地争いにあった。曽我兄弟は、伊東祐親の孫に当たり、兄弟の実父伊東祐泰と工藤祐経はいとこにあたる。曽我兄弟の祖父祐親が祐経の土地を横領したと祐経は訴訟を起こしたのだが、祐経の主張は一部しか認められなかったので、祐経は武力行使を起こし、その際に曽我兄弟の実父祐泰は殺された。

 曽我兄弟は、親の敵を討ったとも言えるのだが。それは、単なる親の敵討ちで片づけられる問題ではなかったのだ。

 単に、曽我兄弟だけが工藤祐経一人を親の敵として狙うのであれば、他にもその機会はあったはずなのだ。よりによって、万寿を頼朝の後継者として喧伝し、多くの者が集まっている大事な行事の最中に事件は起き、頼朝の家来たちの中にも多数の死傷者が出た。

 奥州合戦が終了して以降、平時体制へ移行していく中で、官僚型、文治型の人間が重視されるようになり、武勇型の人間はどうしても活躍の場が減り、それに対する不満が募りやすい状況にあった。こうした中で、曽我兄弟の敵討ちに乗じて、頼朝に不満を持つ者達が暴発したと見てしかるべきであろう。

 曽我事件を契機として、嫡男万寿の継承を守るため、頼朝による不満分子への粛清が続くことになる。

 その年の八月に、頼朝の異母弟で平家討伐に功績のあった範頼が処罰されている。範頼は、頼朝に忠誠を誓う旨の起請文を差し出したのだが、その際に、源範頼と署名し、源姓を名乗ったのは思い上がりも甚だしいと難癖をつけられた。頼朝の大姫の病の回復を名目に、当初は伊豆への流罪で一命はとりとめたかと思われたのだが、結局範頼は誅殺された。範頼は、頼朝に反発を抱く不満分子達に祭り上げられたか、それに巻き込まれたと見てよいだろう。

 源範頼が処罰された直後、頼朝挙兵以来功のあった大庭景義と岡崎義実が出家し、鎌倉を追われている。その年の十一月には、源氏一門の安田義資が、永福寺の供養の際に、女房に艶書を贈ったことを理由に誅殺され、義資の父義定も翌年に謀反の咎で誅殺された。

 このような不満分子達への頼朝による粛清の嵐の中、嫡男万寿は元服し、名を頼家と改めた。


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