第19話 神の声
二人がニキの手伝いを一日させられた後、夕食はとびきりの晩餐が用意された。
食堂はニキ専用であることから、狭い。しかし白いクロスを引いた長いテーブルは、貴族の食卓にふさわしい見た目をしている。
台のような形のアンドロイドが膳を運んでくる。その匂いに、ドリィは視線が料理に釘付けになった。
サラダに温室栽培の野菜。主菜にソフトシェルクラブの煮込み。程よく肉の脂が浮いたスープ。どれも合成食糧が主となっている一般コロニーでは食べられないものだ。おまけにパンはライ麦パンときた。
「これ……食べてもいいの?」
「出された食物を食べない選択肢があるのかしら?」
ニキは相変わらずつんとしているが、初対面時のような険悪さは感じない。
アンドロイドがアームで皿を並べて配膳を終え、「ご注文ありがとにゃ」と奥に去っていく。地球にいた高性能ロボットのAIがそのまま使われているらしい。
「何か、宣誓したほうがいいの?」
ドリィが訊く。が、そんなもの愚問だというばかりにニキが告げる。
「そんなものいらないわ。冷めないうちにさっさと食べなさい」
メイドとしてこき使われた疲れ、連日の粗食から、ドリィは目の前の料理に食いつきたい気持ちを抑えられない。
「……いただきます!」
そう言ってドリィは、まずスプーンを手にスープに手を付けた。澄んだスープにスプーンがすっと入る感触が心地よい。
ドリィは故郷での食事を思い出していた。跡継ぎとして育てられていたころの、豪勢な食事。あの時のフラッシュバックが嫌いで、今まで合成食糧しか食べていなかった。
スープを一口すする。あの母親と対面で食事していた頃の重苦しさはなく、喉を通り抜ける温かさと旨味にドリィは感動すら覚えるのだった。
アインは隣で、パンからもしゃもしゃと食べている。ドリィは、食事はスープからと決めているが、アインは何の拘りもないようだ。
そんな彼女たちを眺めつつ、ニキは言う。
「で、食事中だけど、この際だから言いたいことを言わせてもらうわ」
ニキの言葉に、二人はぴたりと食事を止める。ニキは一呼吸おいて続けた。
「あなたたちの旅路に力を貸したい。この研究所が今まで得たデータを、あなたたちに授けたい」
「頭でも打ったの?」
「その言葉、手を差し出してきたあなたに返すわ。指、まだ痛いんじゃなくって?」
ドリィは右手の指を押さえる。折れるほどのフィードバックは来ていないが、まだじんわりとした痛みが残っているのは確かだった。
「食事が終わったら案内したい場所があるわ。もしかしたら、その食事があなたたちの最後の晩餐になるかも。精々味わって食べることね」
ドリィとアインは、そのニキの台詞にやや身を固くするのだった。
・
地下に続く長い階段を降りていった先には、フューネスの墓場らしき場所があった。
データを採り終えて廃棄されたフューネスの死骸。それらが無造作に投げ捨てられている。切り刻まれた甲殻類の外殻は、まるで石灰の広がる死の大地だった。
「この奥に、ブラックボックスと化したデータを収めるコンピュータがある。ついてらっしゃい」
墓場は十字の道に仕切られていて、先立って歩くニキに二人はついていった。
しばらく歩くと、『それ』が見えてくる。
まるで白い墓標のように立つコンピュータ。ぶぅーん、とオゾン音を発し、表面に緑色の光を発する。
「ここは、研究所のすべてのシステムの中枢。いわばコピーした私の脳髄とも言うべき場所。執務室にも置けないような極秘資料を隠してある、普通なら何人たりとも入れないところよ。でもあなたたちになら、すべてを見せてもいい」
つかつかとニキはコンピュータに歩み寄る。
「フューネスは人間、あるいはそれを超越した知能を持っている。それは被検体の脳波測定からわかっていた。だけど、彼らの言語や知性の在り方を探ることはできなかった。フューネスの発生源は私も気になって調べていたのよ。その結果、北極近くにある遺跡にどうやらそれがあるみたい」
「その遺跡って……?」
「かつて先遣隊が訪れ、そして消息を絶った場所。そこで先遣隊は『何か』と出会った」
ごくりとドリィは生唾を飲み込む。
「……で、その『何か』っていうのは……?」
「その先遣隊は全滅して、レコードの多くは失われたから、詳しくはわからない。でも、唯一残った記録から『神に似たもの』らしいわ……」
ドリィとアインはしばし無言になった。
「その時の、探査船に残っていた映像がこれよ。ノイズが酷くてよく見えないけど……」
ニキは墓標のようなコンピュータの計器を操作し、空中にスクリーンを映し出す。
そこには、砂嵐を通したような映像が流れていた。
記録映像として、最初に日付が表示される。ちょうど人類が凍星に移住した頃。
まだパイロットスーツが発達しておらず、映像に映る人々は防寒着を着ていた。彼らの後ろには、遺跡のようなものがある。
『我々は先史文明の遺産を見つけた……そして、ついに出会ったのです。それは我々に、新たな進化を促す可能性すらあります』
カメラに向かう男の顔は、尋常ではない。目を見開き、肌が枯れ木のようにかさついているのを気にもとめない。
何かに心酔している、まるで狂信者のようだ。
『ここで私が紹介するより、直接あの方の声をお聞きになればいいでしょう。素晴らしい世界が見えます……』
遺跡の上空にカメラが視点を向ける。
そこには、巨大な影が空に浮いていた。
曇り空を覆わんばかりの大きさ。楕円形のようだが、ゆらゆらと水面に浮かぶように揺れている。明らかに巨大なそれは、意志を持っていた。
おぉ……ん。
おぉ……ん。
『何か』の声は、どの生き物にも似ていない。しかし慈愛に満ちた響きのある、だが、明らかに人類とは異質なものだ。
そこで砂嵐が酷くなり、映像は途切れた。
「これは、一般に公表されていないフィルム……。それも無理ないわ。人間より高次の存在がいるなんて、倫理問題に発展する。社会の在り方すら変わってしまうかもしれない。だけど私はこれを、フューネスに関するデータの海を漁る中でたまたま見つけた。コピーされたものが出回ってたみたい」
「誰が、何の目的で……?」
「そこまでは不明よ。私はこの研究所で、フューネスの解析を続ける。でも、もしあなたたちがフューネスの親玉に会うというのなら、相応の覚悟をしておくことね」
ドリィは肩が強張るのを感じる。
自分たちが向かう先に待つもの。その氷山の一角だけでも、戦慄を覚えた。
ふっとニキは笑う。
「明日、ここを出ていきなさい。消耗品の類は提供する。旅の幸先を祈るわ」
「あんた、やけに親切になったわね」
「あなたが私に手を差し出したのと同じよ。あなたに妙なシンパシーを感じ取った。だから、何かしてあげたいと感じた。それだけ」
一夜明け、カラドリウスは研究所から飛び立った。純白の機体は一層磨きがかかっていた。
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