第20話 北極

 旅を続けて、そろそろ二か月が経過しようとしていた。


 雪を被った山、氷柱の滴る峡谷、針葉樹の森。白い景色はある種の均一な美しさを感じさせる。しかし北極に近づくにつれ、見える生き物の数がさらに減っていった。急峻な崖が目立ち、退廃的な様相を呈している。今にも泣きだしそうな曇り空が、陰鬱な雰囲気に拍車をかけていた。


「ずっと飛んでると、さすがに疲れるわよね……」

 飛行を続けるカラドリウスのコクピット内でドリィは独り言ちた。アインはいたって平常心で答える。

「今のところフューネスに出会わないのはいいことだよ。順調に目的地に向かえてる。それはとてもありがたいことだ」

 ドリィはフューネスと戦った時のことを思い出す。そして、スケア・クロウと戦った時のことも。

「うん、そう。平和に越したことはないわね。またゴスロリ趣味のBBAやスケア・クロウに出会うのは嫌だわ」

 一人合点するドリィに、そうだよね、とアインは無言で頷く。二人とも、あの研究所での一件はできれば思い出したくないのだった。


「そろそろ目的地が見えてきてもいい頃だけど……」

「真っ直ぐ七十キロ行った先に、あるみたいだよ」

 エメラルド色の海。マップ上のアイコンは海に浮かぶ孤島を示していた。

 カラドリウスの燃料はまだ十分ある。不時着の心配はない。

「よぉし、行くわよ!」

 ドリィはカラドリウスのエンジンを全開にした。ごぉっ、とカラドリウスの背中のブースターが唸りを上げる。


 海の上を飛んでいると、ぽつ、ぽつとカラドリウスのモニターに水滴が落ちる。

 雨が降り始めたのだ。雨は次第に勢いを増し、豪雨が一帯を包み込んだ。低くどろどろと雷の音が聞こえ、雲間に時折閃光が走る。


「また雨降ってきた……。例の島に着くまでに止んでくれるかなぁ?」

「どうだろう。結構強くなってきたよ」

 付近の様相は、土砂降りと言ってよかった。滝のように打ち付ける水滴が、海面にいくつもの波紋を作り出す。海の上は天気の変化が激しい。


 海の上に一人でいる巨人は、どこか心細さを感じさせる。飛甲機の運航はこの程度で支障は出ないが、ドリィは何か暗澹としたものを感じた。それは、今後起こる出来事が、良くないものである暗示に思えたのだ。

 ニキの研究所で聴いた、あの不気味な何かの声を思い出していた。


   ・


 スケア・クロウは待っていた。


 数日前から、カラドリウスの目的地に着いていたのだった。島の周囲は連日悪天候に見舞われたが、コルニクスは難なく島の内部にたどり着けた。このくらいの荒天は、スケアにとっては慣れたものである。

 島は、全域が遺跡であった。古びた城塞のような建造物がそこかしこに建っており、モアイ像のような、ある種の宗教的意味を持つと思われる石像もあちこちに見られた。


 だが、いくつかは爆破されたような痕跡が見られる。ひび割れた壁が、修復もされずに散らばっている。戦争があったのだろうか? それも、いつの時代に?

 コルニクスで飛び回り周囲の様子を見ながら、なんで未開地域にこんなものが……とスケアは思った。凍星の先住民族が造ったとでも言うのだろうか? なら、その先住民族の記録が何も残っていないのは何故?


『あの子は必ずこの場に来ます。それまであなたは、ここで待機していなさい』

 遺跡に着いたとき、ガルシア・ドレイクから受けた指示はそれだ。

 この遺跡は? と質問したものの、返事はない。

『どれだけ遺跡を破壊してもいいから、あなたはあなたの目的だけを考えなさい』

 そこで通信は途切れた。


 スケアは、冗談じゃねぇと思った。ガルシアは明らかに、一般人の知りえないものを知っている。遺跡のことを知らないのではなく、知ってて無視している。そうした気持ちが声音に現れていた。

 彼女自身がカルト教団の教祖だ。何か、一般人に公開できないものを知っていてもおかしくはない。胡散臭さがもはや上限を突破するほどだった。


 それでも、スケアはガルシアの依頼を遂行することに決めた。依頼主がどんな人間でも、報酬さえ貰えれば自分には関係ない。それに……。


「あのドロシーって女、腹立つ!」

 トルネードがあった日にしてやられたことを思い出し、スケアは奥歯を噛みしめた。


 母親がどう思うかは置いておき、せめて一発は殴り返さないと気が済まない。

 じゃじゃ馬をひっぱたくのも教育のうちだ。ワガママに育てるから家出なんかしたんだ。うん、母親の代わりにぶん殴ってやろう。スケアはそう思うことにした。


 遺跡群の内、一番大きな建物が目に入った。巨大なドーム状の屋根を持ち、他のものよりも一層荘厳さを放っている。上空から見ると楕円形のそれはまるで、中に何かが閉じ込められている卵のようにも思われた。


 ドロシーたちは必ずここに来るはずだ、とガルシアは言っていた。それが何のためかは教えてくれない。釈然としないものを感じながらも、スケアは遺跡の入り口を探した。


 正面に、飛甲機が入れるほど大きな穴が開いていた。スケアはコルニクスを小刻みに動かして、内部に入る。


 遺跡の中は、何故だかうすぼんやりと明るかった。壁に光るコケが自生しているようだ。内部は広い空間になっており、青い刻印のある立方体が規則性なく立ち並んでいた。 

 それは宗教的なものを感じさせ、何かの儀式が執り行われたかのような雰囲気を醸し出している。


「ここで戦うなんて学者先生が聞いたらきっと怒るだろうな……」

 スケアは独り言ちる。古びた遺物に彼女は何の興味も抱かなかったし、もし誰かがそれを指摘したなら、ガルシアの名前を出して逃げればいい。

「さぁて、罠を仕掛けるとしますかぁ」

 コルニクスは床に着地し、腰に備えたホルダーを開いて、ワイヤーを取り出す。ワイヤーは周囲の光を反射して、ピアノ線のように見えづらかった。さらに、ワイヤーの各部には爆薬が取り付けられていた。

 コルニクスは蜘蛛が巣を張るように、糸を壁から壁へと仕掛けていく。ワイヤーの先端は吸盤状になっており、壁に吸い付いた。

 あの放蕩娘、目にもの見せてやるぜ、とスケアはほくそ笑んだ。

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