第14話 高い城の女
ドリィはアインの示したルートに沿ってカラドリウスを飛行させる。眼下に広がる景色は、箱入り娘としてコロニーにいた頃には想像もつかない壮大さで溢れていた。
地球にあったというナイアガラの滝のような、氷河を貫くエメラルド色の激流。シュバルツバルトを思い起こさせる針葉樹の森。群れをなす毛深い六本足のトナカイのような生き物もいる。彼らはいななき、上空を飛び去るカラドリウスを威嚇した。凍星の自然は殺伐としているが、その地に根付く生き物たちは逞しい。過酷な環境でも生きていこうとする意思が感じられる。
ドリィは思う。人間の持つ自然に立ち向かう力、それをこの星は試しているのだと。であれば、人間もまた厳しい世界でも生きていく力を持たねばならない。
そういうふうに自分もなれたらなと思った。
アインが描いたルートは正確なはずで、フューネスの発生源に一直線に向かうはずだった。
だが。
カラドリウスの行く手には巨大な建造物が聳え立っている。まるで大型のダムのような、何かしらの意図で造られたもの。円形に内側を囲う、外から侵入されない城壁。誰が、なんの目的でこれを造ったのか。
ドリィはカラドリウスの高度を上げ、壁を飛び越えようとした。しかしカラドリウスは思ったように動かない。まるで水中にいるような重さを、カラドリウスと神経の繋がっているドリィは感じた。
「何これ……ジャミング電波?」
「らしいね。ここは、何者かが研究所に使ってるんじゃないかな。警察の飛甲機への対策かもしれない」
凍星の未開拓地域は地図すらできていないため、法整備が進んでいない。そうした地域に進出し、独自に活動している企業も少なくない。ドリィたちが直面している謎の建造物もまた、儲けを得るために非合法な活動をしているのではないだろうか。
「じゃあ行き止まり……ってコト?」
「こうなったら仕方ない。回り道しよう。抜け道がないか、周囲をスキャンして……」
そうアインが言った瞬間、ぞわっとドリィたちの背筋を撫でるような殺気があたりを包み込んだ。
氷河の向こうから、何かが近づいてくる。
ずしん、ずしんと足音を響かせ、「それ」は現れた。
高さ二十メートルにも及ぶ大型のフューネス。その姿は甲殻をまとったウミグモに近い。胴体は針金細工のように細いものの、八本の巨大な脚が放射状に伸びている。そのフューネスはカラドリウスを認識し、筒形の顔をもたげて威嚇した。無表情に見えるのっぺりした顔が、逆に不気味さを醸し出している。
ウミグモ型フューネスの背中はミサイルポッドのように膨らんでいる。その蓋が開き、追尾ミサイルが軌跡を描きながらカラドリウスに向かってきた。
「何よ、あいつ!」
カラドリウスは空中を旋回して、ミサイルは航跡を描きながらその後を追う。
カラドリウスは腕のバルカンを、向かってくるミサイルの頭に向けた。
発射された銃弾がミサイルに当たり、ミサイルは誘爆して後続を巻き込む。大きな爆発があたりを包んだ。
「あんなフューネス、見たことない!」
「おそらく新種だね……。少なくとも一般に共有されてるデータベースにはないようだ」
「アインちゃん、仲間のよしみであっち行ってくれるように頼めないの?」
「あいつは蟻の群れで言う兵隊蟻の部類だ。大した知能はないし、テリトリーの侵入者を排除することしか考えてない」
「逃げられる確率は?」
「奴は追尾してくる遠距離武器を持ってる。しかも弾数はほぼ無制限だ」
アインが言ったそばから、ウミグモの背中から湧き出るようにミサイルが補充される。敵は素早い動きはしないものの、このままではこちらがジリ貧となり追い詰められるのは目に見えていた。
「フューネスの自己修復能力を活用してるみたいだ。悪いけど、逃げる余裕はないね」
カラドリウスは緩やかに降下する。謎のジャミング電波のせいで、あまり上方への飛行はできない。近くに身を隠せる場所もなく、飛んで逃げるのはやはり不可能に思われた。カラドリウスは壁を背に、のしのしと歩いてくるウミグモに対峙する。
「じゃあ……ぶっ倒す!」
ドリィはカラドリウスにブレードを構えさせる。高振動の刃が青白く光った。
だが、歩く砲台のような敵に接近できる隙はあるだろうか?
ドリィが思考を巡らせていると、カラドリウスの背後で異変があった。
ごごごっと音がして、背後の壁全体が動き始めたようだ。
堅牢な城塞は、その表面にがしゃんと砲塔を露出させる。砲塔はウミグモ型フューネスに照準を合わせていた。
どぉんと音が連続し、砲弾の雨あられがフューネスの表面で弾ける。灰色の煙がぶわっと立ち込めた。連続する爆発の中でウミグモ型フューネスは姿勢を崩し、長い脚を曲げて地面に倒れ込んだ。
煙が晴れたとき、すべては終わっていた。
ドリィは呆気に取られてその様子を見つめる。カラドリウスの出る幕はない。カラドリウスは立ち尽くしたまま、傷だらけで痙攣するフューネスを見下ろすしかなかった。
突如、回線に割り込む声が聞こえた。
「よく来たわね。こんな辺境まで来るなんて、コロニーからはぐれたシーカーかしら?」
その声は、大人の女性のものだった。モニターに映像は表示されないが、張りのある声は明るい印象を与える。
「私はこの研究所の所長をしている、ニキ・ステープルトンという者よ。今、門を開けるわ。入りなさい」
その声と共に、城壁の一部が音を立てて開く。その大きさは飛甲機が通れるほどだ。
ドリィは躊躇った。アインの目的のため、ここでまごついている暇はない。
「いえ、あの、私たち、先を急いでるんで……」
「お茶でも御馳走するために呼ばれてると思ったの? あなたたちに拒否権はないのよ。この研究所の存在は、外部に漏らされちゃたまらないわ」
先程フューネスを襲った砲塔が、今度はカラドリウスに向けられていた。ニキという女に従わなければ、ここで始末される。ドリィのこめかみを冷や汗が伝った。
針のむしろのような気分を味わいながら、ドリィはカラドリウスを歩ませる。
『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』、そう言っているような、内部の深淵が覗く先にカラドリウスは歩いていった。
ぎぎっ、と音を立て、カラドリウスの背後で門扉は閉まった。
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