第13話 湖畔のお茶会

 十分に森の空気を吸った後、アインはスーツを着なおし、ドリィの隣に座る。自分も脚を湖に浸してみる。冷たい感触が膝の上までを覆った。


「……」

 二人の間にしばらく間があった。ドリィは何か考え込んでいる風だ。

 ドリィは急に、隣のアインの肩を抱き寄せる。ハグ魔……とアインは思った。


「取るに足らないなんて、そうは思わないけどな。私はそのままのアインちゃんが好き。あなたはあなたのままでいい。そのままのあなたが一番可愛いんだから」

 自分のままでいい、とは、どういうことだろうか。アインは思った。理由もわからず捨てられた自分のままでいいということだろうか。

 すんすん、とドリィはアインの髪のにおいを嗅いで、ほんの少しだけ眉を顰める。

「ちょっと、埃臭いわね……」

 ドリィは一旦カラドリウスに戻った。腕の端末を操作し、カラドリウスの腰のコンテナを遠隔操作で開く。


 コンテナからタラップが降り、ドリィはそれを上って、日用品の詰められた倉庫にたどり着いた。

 雑多に詰められた日用品の中から、がさごそと何かを探す。

 それから、目当てのものを見つけたらしく、タラップを降りてくる。大きな紙袋を抱えて、アインの隣に戻った。


「私の香水、貸してあげる」

 ドリィが紙袋から取り出したのは、スプレーのボトルだった。軽く振って、アインのウィッグに近づける。

「香水? そんなのボクには必要ない。日用品として、それは必要だったのかい?」

「アインちゃんだって臭いのは嫌でしょ。それに、無駄な買い物じゃない。自分のにおいには気をつけなきゃ。いつだって、自分に誇れる自分でいたいじゃない?」

 シューッと、スプレーがアインの髪にかかる。柑橘系の爽やかな香りがした。香水をつけられたからといって、アインは特別何も感じなかったが、ドリィが満足そうな顔をしたので、それでいいと思った。

 自分に誇れる自分とは何だろうか。アインは考えたが、答えが見つからない。


「それと、今日のお昼、持ってきたんだ。じゃーん」

 ドリィは紙袋から、小さな白い箱を出す。

「ドライイチゴのショートケーキ。とっておきのやつなのだ」

 箱を草の上に置き、開くと、中に二つの缶詰があった。缶詰の蓋を開くと、ケーキのようなものが姿を現す。保存がきくビスケット状の生地にクリーム風味ペーストが塗られ、上にルビーのごとく赤いドライフルーツが乗っている。


「ボク、味にはこだわらないから、カロリーブロックでもよかったのに……」

「ダメダメ! 食事っていうのは幸せをチャージする時間なの。たまには美味しいもの食べないと人生つまんないよ」

 そういうものだろうか。

 アインは紙皿に乗せられたケーキを手に取り、まじまじと見る。

 ドリィはプラスチックのフォークでケーキの端をすくい、ぱくりと口にした。

「ん~、最高!」

 溢れんばかりの笑みは、本当に幸せそうに見えた。


「やっぱり、好きな子と食べるスイーツは至福ねぇ~!」

 そういうものだろうか。

 アインは再び考える。自分もフォークで、ドライイチゴを刺して、口に運ぶ。

 かりっとした触感。糖衣で包んだ甘酸っぱさが口に広がった。

「……おいしい」

「でしょぉ?」

 アインが思わず口に出した言葉を、ドリィは耳ざとく聞きつけて、目を輝かせる。


「もし今の自分が存在しなかったら、おいしいって感じることもないはずだよ。自分っていうモノは、私も好きって言いきれないけど、そんな悪いものじゃないよ」

 そういうものだろうか。

 ドリィはすごいな、とアインは思う。彼女自身、恵まれた環境に身を置いているわけではない。それでも自分を否定せず、突き進んでいる。見果てぬ地平に向けて羽ばたこうとしている。

 アインはそんなドリィが時に眩しく見えるのだった。


 アインはクリームのかかったビスケットにフォークを刺す。柔らかめのビスケットはすぐに割れた。

 携帯食料は一般的に、一食で十分な栄養を備えている。フューネスの炉の仕組みはアインもよくわかっていないが、口にしたものを取り込み、すべてエネルギーに変換するらしい。我ながら効率の良い身体だと思う。


 アインは捨てられるような、価値のない自分が嫌いだった。でも、ドリィの言うように考えると、必ずしも否定するべきものではないのかもしれない。自分にできるだけ、頑張ってみよう。少しだけ、そんな気がした。

 ドリィは袋から出したペットボトルに口をつけ、水を飲み始める。この極寒の惑星では水は何よりも貴重だった。

「……ドリィ。水ちょうだい」

 フューネスの身体にも水、というか天然のミネラルは必要らしい。アインは自らが喉の渇きを訴えるので、何か飲む必要はあると思っていた。「ん」とドリィは飲みさしのペットボトルを差し出す。アインはそれを飲んだ。水は生ぬるかった。


(これって、間接キスって言うんじゃないかな)

 しかしながらドリィは全く自覚がないようだ。いたって普通の顔をしている。

 そんなことはどうでもいいか、とアインは思った。


 二人はしばらく湖を見つめる。強敵との連戦で二人とも、自覚している以上に疲れているようだ。そのまま三十分ほどまどろみ、ドリィはリラックスした風に見えた。

「それじゃ、そろそろ行こうか」

 ドリィはうんと伸びをし、アインに語り掛ける。

「うん……そうしよう」

 アインはいくら考えても、自分というものが何なのか、わからなかった。もし価値のあるものなら、あんな風に無残に捨てられるだろうか。

 いや、自分という存在には何か意味があるはずだ。それが、今の旅路の果てにあるはずだ。

 おそらく旅の終着点には、自分の存在意義に答えを出してくれる何かがいる、そんな気がする。それと出会うまで、アインは歩みを止めるわけにはいかないのだった。

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