第39話 マザー

 ドリィは自分の故郷に帰っていた。

 故郷となるフロートの甲板にカラドリウスが凱旋したときは、作業に出ていた周囲の人々がざわめいた。純白だった機体に、黒い軍用の手足と羽がついたカラドリウスの現状は、何も知らない人々から見れば異形に思われただろう。それでも構わず、ドリィはコクピットハッチを開け、宣言した。


「私はガルシア・ドレイクの娘! お母さんに会いに来た! それ以外、何も望まない!」

 闖入者に対し、その言葉で周囲の人々は何も言い返さなかった。偽物がそれを言うには、あまりにも堂々としすぎている。ドリィはコクピットのアインに、「私の帰る場所を守っててね」と言い残して、ハッチから降りてターミナルへ向かっていった。


 ドリィのあまりの変わりように、船の人々は戸惑っているようだった。教祖になるはずの箱入り娘には、今ではワイルドな気風が漂っていた。

 ドリィが持っていた母親のマスターキーを見せれば、あとはスムーズだった。ターミナルに停車していたリニアに乗り、自宅へと帰っていく。豪奢な扉の前で、虹彩認証を済ませる。扉は開き、不思議の国のアリスふうの庭への道が解放された。

 相変わらずの豪邸だな、とドリィは思った。白く瀟洒な家の前まで来ると、大きな扉がひとりでに開いた。ぎぃ、と物々しい音を立てるが、自動ドアの発する演出だった。


 メイドたちは事情を知っているのか、扉の内側に整列していた。

「お母様がお待ちです」

 帰郷の祝いもなく、それだけしか言われなかった。

 ドリィはふんぞり返って、蟹股でのしのしと大理石の床を踏みしめていった。


   ・


 ガルシアは、久しぶりに対面した娘の顔を見ても毅然とした態度を崩さなかった。執務室の机に付き、正面に座るドリィを見下ろす。まるで裁判か自白の現場のようだった。

 内心、ガルシアは娘にどう接していいかわからなかった。だが独り立ちして、それなりの修羅場をくぐってきた娘の顔は、このフロートから家出したときより逞しくなっていた。


「……で、あなたの言い分を聞きましょう」

 ガルシアは冷淡に告げた。

 ドリィは顔を上げ、相手の目を見つめて言った。

「私はシーカーとして生きていきます。オメガ教は継ぎません。私は、自分で私の道をつかみ取ります。私の人生は、私で決めます。だからもう、指図したり、心配なんてしないでください」

 はっきりした口調で言うドリィに、ガルシアはため息をついた。


「……そんなことだろうと思いました」

 ガルシアは引き出しから印鑑と、一枚の書類を出した。ドリィの目の前で書類に捺印し、見せつけるように手渡した。

 ドリィが受け取った書類には、親子関係を解消する旨が記されていた。正直、難しい言葉ばかり並んでいたため、趣旨を理解した時点でドリィは読むのを諦めたらしい。紙面から顔を上げ、にいっと笑う。

 ガルシアはそんな放蕩娘に、いたって冷淡に告げた。


「私とあなたはもはや赤の他人です。あなたがオメガ教を継ぐこともない。ドレイクの資産を共有することもない。クレジットカードは停止します。マスターキーは返しなさい。これからはあなたが自分で外に出て、自分の足で稼いでくるのですよ。そこに私の助けなど、いらないでしょう? いいわね『ドリィ』!」

 ドリィは満面の笑みを浮かべた。それは今までガルシアに見せたことのないものだった。

「はいっ! ……でも」

 ドリィはその先を言うのを少し躊躇った。が、意を決して言った。


「あなたが前に雇った、スケア・クロウって覚えてます? あの子に報酬を与えてほしいんです。何度も戦いましたけど、あの子に私が迷惑かけたようなものだから……」

「ええ。心配しなくて結構ですよ。不慮の事態による不履行に伴う十分な違約金は後日支払われる予定です。後で裁判沙汰になっても迷惑ですからね」

 ドリィは少し安堵した。


   ・


 カラドリウスで待機していたアインは、いたって平常通りにドリィに声をかけた。

「お母さんとの面会は終わったのかい」

「終わったよ」

「結果は?」

「あんたなんかうちの娘じゃない、ってさ」

 アインは、ふぅんと感心したように言う。


「これで大手を振って歩けるね。オメガ教ドレイクの娘じゃなくて、ドロシー・ドレイクなんだって」

「まぁね」

 アインはコクピットから降り、ドリィの傍らに立つ。

 この機体ともお別れか、と思うとドリィは涙ぐんでしまった。カラドリウスは元々はオメガ教の所有物だ。だから返さねばならない。

 苦楽を共にした機体がいなくなると思うと、友達が一人減るような気さえしてきた。

 ドリィが余韻に浸っている中、カラドリウスの足元に寄って来る人影があった。このフロートの整備士だった。ドリィに何か呼び掛けている。


「ガルシア様から伝言です!」

 今更母がどんな用事だろう。ドリィは訝しんだ。

「どういう風の吹き回しですー?」

「カラドリウスの手足と羽の予備パーツがあります! 格納庫で換装してください! それと、カラドリウスの制御をキーからあなたの生体認証に変更します! これでキーなしでも動かせますよ! あの機体のオーナーは、あなたです!」


 ガルシアが用意してくれた?

 ドリィは耳を疑った。たもとを分かった娘への最後の餞別のつもりだろうか?

「釈然としないけど、何か変わったことでもあったのかしら。あの母親が」

「わからないけど、貰えるものは貰おうよ」

 カラドリウスは甲板の端にある格納庫に向かい、デッキの定位置に落ち着く。まもなく整備士たちがやってきて、カラドリウスの調整に入った。

 トレーラーが上がっているシャッターの向こう側からやって来る。あれに新しい手足が乗っているのだろう。ドリィの予想通りに、開かれたトレーラーには新品の白い手足があった。作業用の小型飛甲機を用いて、整備士たちはカラドリウスを解体、再建にかかった。


 武装を交換してもらっている間、格納庫の隅でドリィは考えていた。自分は母と女の身体の呪縛から、アインは白鯨の呪縛から解き放たれた。自分たちはどこにでも行ける。でも、その道は同じでいいのだろうか?

「ねぇ、アインちゃん」

「何?」

「あのさ……」

 その先を言うのが怖い。

「手足、以前みたいにつぎはぎじゃなくなったね」

「一度白鯨に取り込まれて再構成されたから、完全なフューネスの身体になったんだ」

 こんなたわいもないことを話したいんじゃない。

 アインにそのことを話すのは勇気が必要だった。今の関係が壊れるかもしれない。それでも確かめねばならなかった。なけなしの勇気を振り絞って、ドリィは訊ねた。


「アインちゃんはさ、私と一緒にいて、どう思ってる?」

「どう、とは?」

「窮屈だとか、ちょっと嫌だなとか、アインちゃんの感じてること、何でも言ってほしい。私はアインちゃんと一緒にいたいって思ってる。でもアインちゃんがどう感じてるか、私からはわからない。だから本当の気持ちを聞かせて。あなたを縛る白鯨はもう、いないんだから。あなたは一人で、どこに行ってもいいんだよ」

 機体の整備終わりましたよ、と眼下の整備士から声がかかる。

 再びドリィたちは搭乗した。今度は操縦桿を握るだけで、ハッチを閉じてモニターが起動し、また機体を動かせるようになった。

 お別れなんかじゃなかった。カラドリウスは手元に戻ってきたのだ。

「ありがとー!」

 ドリィは付け替えられたばかりの手を振って、格納庫から出ていく。

 純白の機体カラドリウスが復活した。陽光に照らされて、その鎧は白く輝いているようだった。

「愚問だね……」

 アインは呟く。

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