第38話 此の一夜に生じて一夜に亡びし瓢を惜めり

 一晩超えて翌日。


 すべてが終わったのを確認し、灯台の部屋に全員集まっていた。キーリは微笑んで、ドリィ、アイン、スケアを見た。裸だったアインにはその場にありあわせのキャミソールが与えられている。自律型のものだったらしく、丈はぴったりだった。


「ひとまず、御苦労様でした。皆さんよくやりました。しかしながら、私たちもこの星を出なければなりません」

「どうしてですか?」

 ドリィが訊くと、キーリは笑って答えた。


「私たちも白鯨と共に行きます。また白鯨が、過ちを犯すことのないように。たとえ白鯨から拒絶されても、私たちはあの方を見つめ、共に生きていく。それが私たちの選択です」

「……なぜあなたは、白鯨を見つめ続けるんですか?」

「決まってるじゃない。それは」

 キーリは一呼吸置いた。

「最初に見たあの方が、本当に綺麗だったから」


 そうか、とドリィは納得した。

 キーリは白鯨を愛しているのだ。愛あればこそ、時に敵対する。相手の過ちを止めることも必要だから。

「でも、どうやって宇宙に行くんです? とてもそんな装備はあるようには……」

「いいえ、大丈夫です。ですが危ないですので、皆さんは飛甲機に乗って、少し離れた場所で待機していてください。燃料もないでしょうから、私たちが補給します。それまで皆さんは紅茶でも飲んで待っていてください。いい葉を持っていますよ」

 マリンがしゅたっと戸棚からお茶っ葉の入ったケースを持ってくる。

 別の自律型がカップの乗せられたトレーを、もう一人が部屋の隅にあるキッチンでポットを沸かし始める。


 お茶が入ると、アインはカップを見つめる。澄み切った紅茶は、アインの顔を映していた。その横にすっと誰かが寄って来る。

「こうして話をするのは初めてですね、妹よ」

 アインの隣に座ったのはマリンだった。見知らぬ同じ顔の者に姉を名乗られ、アインは怪訝そうな顔になった。

「そうですね。姉……なんて言えばいいのかな」

「お姉ちゃんと呼んでほしいですが何でもいいです。多分、これが最後の会話でしょうから」

 マリンはすっと音を立てず紅茶を飲む。その所作は上品だった。

「あなたは幸せ者です。あんなに大事にしてもらってるんですから」

 マリンは向かい側の席にいるドリィを見やる。スケアやキーリに、冒険のことを話している。スケアと「あの時は~」と少し口論になることもあった。


「でね、アインちゃん、一緒に住んでてすごく楽しかった。だから白鯨に飲み込まれた時、すごく悲しくなって……戻ってきて、本当に良かった……」

 ドリィの話のほとんどがアインの話題だった。アインはむず痒い感覚を覚えたが、楽しそうに話すドリィを見て、少しうれしい気持ちにもなる。


「あれだけ想われてるんですから、もはや親友とかそんなのを超えてる気がします。もう結婚しちゃいなさい」

「それは言いすぎだよ」

「冗談ですよ、もちろん」

「真顔で冗談言っても通じないよ」

「あなたは私たちと顔は変わらないのに、感情がより豊かな気がします。それもあの子のおかげですか?」

 アインもそれは思っていた。

 ドリィと出会い、お互いに意見をすり合わせ、自分というものを作っていけた気がする。以前の自分なら、迷いなく白鯨と同化しただろう。ドリィがいたから、自分が自分である必要に気づくことができた。

「あなたたちは、どんな経験をしたの?」

 アインが訊く。マリンは少し遠い目になった。

「だいたいあなたと同じです。オメガ教の一団に追い詰められて、キーリ様が逃がしてくれた。宗教だの戦争だの繰り返す愚かな人間は嫌い。だけど、一人じゃなきゃ得られないものもある。それはあなたもわかっているはず」

 そうなのか、とアインは思った。

 アインは白鯨と別れ、この世界で生きていくことを決めた。それは人間たちの間で生きるということ。人間との衝突も、この先何度もあるだろう。それでも何となく、やっていける自信はあった。自分は決してこの世界が嫌いではないのだから。

 御茶菓子が一個足りなく、それをめぐってドリィとスケアが喧嘩を始めた。子犬同士の吼え合いのようで、アインにはそれが微笑ましかった。


   ・


 カラドリウスとコルニクスは、沖合の空中で待機していた。キーリ曰く砂浜にいても危ないらしい。何が起こるのだろうとドリィは思った。

 灯台の基盤がガシャンと変形し、大型エンジンの形になる。ドウッと灯台を取り巻く砂を巻き上げ、爆熱と共に宙に飛んだ。

 白い煙のような航跡を描いて、灯台は貫くように大空に吸い込まれていく。砂浜は完全に吹き飛び、元の姿を残していなかった。


「あれ、ロケットだったのね……」

 呆気にとられるドリィ。カラドリウスとコルニクスだけがその場に残された。

 青空の下で二機の飛甲機が立ち尽くしていた。

「終わったね、全部」

「いや、これが始まりだよ」

 アインの言ったことを一瞬ドリィは考える。すぐにその意図に気づいて、ドリィはくくっと笑った。

「そうだね。私たち、やっと始まるんだよね」

 アインの旅は終わった、わけではない。白鯨から解き放たれ、自由の身になった。

 そしてドリィも、自分の思っていることに一区切りがついた。理不尽な世界、それに一矢報いた気分になっていた。

『まーたイチャついてやがる……』

 回線からスケアのぼやく声が聞こえる。

『んじゃ、あたし行くわ。ここにいてもしょうがないし。じゃあな!』

 隣のコルニクスがブースターを噴かす。その勢いで、カラドリウスは少しよろめいた。

「あ、ちょっとスケア!」

 余韻も何もなく、コルニクスは飛び去ってしまった。白い軌跡が青空に残された。

 ぽつんとカラドリウスは洋上に取り残された。

 しばらくそのままカラドリウスは佇んでいた。風が機体に沿って吹き抜け、雲がゆったり流れていく。海面は穏やかな波を立てている。

 アインが何か言うまで、ドリィは自然の息遣いを感じていた。

「ボクたちも行こうか」

「うん!」

 ドリィは元気よく返し、ごおっとカラドリウスのブースターを起動する。

 ギルドベースに向けて、カラドリウスは飛び立っていった。

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