第32話 オペレーション・バラエーナ
ドリィは呆けた顔でスケアを見る。スケアの顔には怒りが浮かんでいた。
「何甘ったれたこと言ってんだ!」
スケアの一喝にドリィは目を丸くした。
スケアは受け身のドリィに一方的にまくし立てる。
「人生、傷つくことなんて山のようにあるんだ! 間違ったことをしでかして責められるなんて当たり前だ! 傷つくのが怖いなら、いっちょまえみてぇな顔して家出なんかするんじゃねえ! それだけの価値があると思ったから、お前は家出したんだろ? 違うかよっ! そうでもなきゃ、あんたのお母様から聞いた、あんな行動が取れるかよ! あたしでもできなかった、飛甲機をかっぱらうなんてさ!」
ドリィは黙ってスケアを見つめていた。どんな気持ちで彼女の言葉を受け取ればいいのかわからなかった。いろんな感情がないまぜになった心。しかしスケアの言葉は、言い方はきついが耳を傾けるべきだとわかっていた。
「もしアインってやつが戻ってきて、お前を殴りたいって言うんなら頬を差し出してやれ。何か償いが必要だってんなら、全部してやれ。そのために全力を尽くす以外、何ができるって言うんだ。結局人は自分のできることしかできない。それの責任は全部自分で取る。あんたは優れた人間は全知全能じゃないといけないみてーに考えてるようだが、そんな人間いるわきゃねーんだ」
スケアはドリィの頭をひっつかんだ。
「あんたが今やらなきゃいけないのは、いじけて座り込むことじゃねぇ。立って、友達を助けることだろうが。世界を救うなんて大それたことは考えるな。友達のことだけを考えろ。お前の一番したいことは何なんだよ!」
ドリィは目を見開いた。
あの日。廃フロートでアインと出会った日のことが思い出される。
『寂しそう』とドリィは最初にアインに向かって言った。それは自身にも向けられた言葉だったのだ。
「そうか……」
ゴミ山の上にいた、壊れたアンドロイドを見捨てられなかったのは。
アインを拾った理由。薄汚れた身体と対照的に光る、意思を持った金色の瞳。
「あの日、私がアインちゃんを拾ったのは……」
周りは味方ばかりとは限らない。住む場所はごみ溜めかもしれない。どうにもならない状況で、それでも意思を持ち続けなくてはならない。生きなくてはならない。
「アインちゃんが、私と同じだったからなんだ……。だから私は見捨てられなかったんだ。あそこでアインちゃんを一人ぼっちにさせたら、自分も一人ぼっちにさせるようで……」
ドリィは心細かった。ぐちゃぐちゃに複雑に絡み合った社会の中で息苦しさを覚えつつ一人で生きるのは辛かった。
カラドリウスを選んだのも同じだ。
博物館に展示されているカラドリウスは、窮屈そうに見えた。空を飛ぶために生まれたのに、閉じ込められて身動きできないでいた。それに自分を重ね合わせたのと同じように、アインにも自分を重ね合わせていたのだ。
ゴミ山に倒れていた裸の少女は、ドリィ自身だった。
だからこそ、同じ気持ちを共有する者同士で、この大海原のようなだだっ広く、何が起きるかわからない人生を進んでゆきたいと思った。
アインと出会い、楽しかった日々が思い起こされる。寝食を共にして、共に敵に立ち向かい、打ち解けていった。
もう一度アインに会いたい。
ドリィの願いはそれだけだった。
枯れたと思った涙腺からまた塩辛い水滴があふれてきて、ドリィは目をぬぐった。
こうしている間も、アインはまた寂しさを感じているのだろう。白鯨の中に取り込まれつつ、自分が自分でなくなる恐怖を感じているかもしれない。アインは自分の感情を口に出すことは少なかったが、カラドリウスの回線に届いた『戻りたい』という言葉は切実なものに思えた。
ああ、そうだ。
私は親友の叫びを無視するところだったんだ。
今度こそ、親友に報いなければならない。
自分でやったことの落とし前は、自分でつけなければならない。
そして二人で帰ろう。ギルドベースに。
ドリィはすっくと立ちあがり、トランクを手にして、開いた。
金色の鍵が中に入っていた。持ち手の部分は禁断の果実、林檎を模している。ドリィは鍵を手に取った。内部に電子機器が組み込まれているのかずしり、と重い。
だが、ドリィが背負った責任の重さに比べれば、羽毛ほどに軽かった。
「キーリさん」
車いすの女性に背を向けた状態から、ドリィは振り返った。目じりに浮かんだ涙をドリィはぬぐった。
「私、やります」
キーリはそうだろうという顔で、無言の笑みを見せた。
・
「では作戦を説明します」
自律型の少女たちがホワイトボードを壁際に持ってきて、キーリがレクチャーを始める。
「まずスケアさんと自律型フューネスの五機が陽動に回り、白鯨の攻撃を引き付けます。その隙にカラドリウスが接近して、白鯨に取りつき、鍵を使って内部に侵入します」
「鍵って、穴があるんじゃないですか?」
ドリィが質問する。
「炉のような心臓部の近くなら、どこでもキーは反応します。そこから白鯨にアクセスできます。自律型が案内するので、その心配はしなくて結構です」
何でもお膳立てしてもらっちゃってるな、とドリィは思った。
「あと、一つ聞かせてもらっていいですか」
「なんです」
ドリィはその先を言いづらかった。しかし、どうしても聞いておかねばならない。
「あなたは白鯨が倒されても、いいんですか」
少しの間。
キーリはやおら口を開いた。
「あれが人類に災厄をもたらすのであれば、倒してもかまいません。いっそ、できれば一思いに倒してしまった方がいいのかもしれません」
「あなたは白鯨をその、神様のように思ってるのに……?」
「神と思うからこそ打ち倒すのです。人間は神の掌の上で転がされているべき存在ではない。人間は可能性の生き物です。可能性を殺そうとする相手はどんなものであれ、倒さなければなりません。それに……」
キーリはくっと笑った。
「私自身、少しワクワクしているのですよ。崇拝に似た感情を抱くまでに手の届かない存在だった神に達し、さらにはそれに一泡吹かせる。それは至上の快楽じゃありませんか」
ドリィは少しぞっとした。キーリの笑みに底知れないものを感じたのだ。例えるなら、恋人を愛するあまり殺そうとするような、倒錯的な愛情だ。
延命措置を経て、この人は長年どんな感情を白鯨に抱いていたのだろう。それは若いドリィが理解できることではない。しかしながら、年代の積み重ねによる愛憎入り乱れた感情がキーリから読み取れた。
「さて、白鯨との決戦は、明朝に行う予定です。それ以上時間を遅らせれば、フロートに被害が出るでしょう。目標が十キロ移動するまでに決着をつけねばなりません。そのための配置は……」
「はいはい! そんなことより、あたし意見があります!」
スケアが手を挙げ、キーリがそちらを向く。
「どんな意見でしょう?」
「作戦名、決めた方がいいと思います! 士気の向上のために!」
ドリィは呆れてしまった。何を言い出すかと思えば……と思ったのを悟られたのか、スケアは彼女にわざとらしくウインクした。
「一世一代の大勝負なんだぜ? むしろ名前付けないほうがおかしいよ。もしかしたら歴史の教科書に載るかもしれないしさぁ」
「構いませんよ。その方がやる気が出るというなら、早めに決めましょう」
キーリは失笑したが、厳かに次の言葉を続けた。
「オペレーション・バラエーナ。そう名付けましょう」
「バラエーナ?」
「ラテン語でクジラ、という意味です」
スケアにキーリは答える。
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