第31話 一握りの希望、両手いっぱいの絶望

「私は先遣隊のメンバーとして白鯨と接しました。白鯨から分岐した自律型フューネスと行動を共にし、様々な叡智を教えてもらい、私も彼らに知り得るものを与えました。その交流は私の人生にとって得難いものであったと、今でも思い出せます。白鯨の存在に気づき排除しようとしたオメガ教の妨害さえなければ、私は今も白鯨を神だと思っていたでしょう」

 ですが、とキーリは目を細める。


「白鯨は決して博愛精神にあふれる生物ではありません。白鯨の体組織を調査したとき、恐るべき戦闘力を有していることがわかりました。そしてそれを打破する手段が、人類の持てる科学力では存在しないことも。白鯨の意思次第で人類は絶滅に追いやられる可能性がありました。私は万が一の場合に備えて、自立型フューネスと共に軍備を揃えました。それを察されたのでしょうね、白鯨は私たちを、もはや自分と共にいる存在ではないと判断したようです。私たちは独自にこの灯台を造って白鯨を監視していました。白鯨と人類のバランスが崩れた時には、私たちが何とかしなければならないと思っていました……」

 キーリは起立している五人を見やった。五人の誰もがアインと同じ顔で、金色の瞳は表情がないように見えた。

「私と意思疎通した、そこにいる彼女たちに教えてもらいました。彼女たちは元は白鯨の一部だった。白鯨は傲慢でありながら、自分を傲慢と思っていない。自分こそが裁定者であり、その責務を果たすべきだと考えているのです。私たちと交流するうちに、本体から分裂した彼女らの中に白鯨とは違った自意識が生まれてきたようです。そこで初めて、自分たちの本体の考えが誤っていたことに気づいたようです」

「間違い、ねぇ……あながち生きてる奴がみんな吸収されちまうのも間違いじゃねぇんじゃねぇか?」

 ドリィは信じられないといった顔でスケアを見る。スケアは続ける。


「だって、みんな何かに統率されちまえば、戦争も貧困もなくなるんだろ? 不平等、差別も全部解決だ。みんなが白鯨の一部になっちまえば、誰かのせいで他の誰かが辛い思いをしなくてもよくなる。そうじゃねぇのか?」

「それは違うわ!」

 ドリィは立ち上がり、スケアに詰め寄った。

「そんなの、間違ってる! 人間が人間らしい生き方をできない社会なんて、そんなの恐怖政治と何が違うのよ! 私は人間として生きたい! 自立して、自分の足で世界を進んでいきたい! それを邪魔するものは、絶対に認めちゃいけないの!」

 スケアは面食らった顔をしたが、ドリィを見下ろした。スケアの方がドリィより少し背が高かった。

 必死にこちらを睨みつけるドリィに、スケアはふっと笑う。


「すまん、さっきのは挑発だ。あんたならそう言うと思った。逆に言わなかったらぶん殴ってやるところだった。そうでなきゃ、あたしをあそこまで怒らせたあんたじゃねぇ。そこまでの覚悟がなけりゃ、ああまであたしに反撃しないものな」

 スケアは一呼吸置いた。

「ま、じゃあどうすんのよって話だ。クジラは侵攻を開始してる。対抗手段はろくにないときた。ただ、一つを除いてな」

「一つの解決策……?」

 ドリィが訊く。スケアは横目でキーリを見た。キーリは頷く。


「私は、白鯨にアクセスするキーを持っています。白鯨の体組織を分析し、ひそかに開発していたものです。これを使って接触し、白鯨の意識に侵入します」

「じゃあ、それをそこの自律型に使わせれば……」

「それではダメなのです。最初は自律型の一機を取り込ませようと考えました。しかしもはや意識レベルで別個体と化したフューネスと白鯨では、自律型から戻ることはできないのです。加えて、白鯨は我々を取り込む価値なしと判断しました。ですから意識に侵入してもシャットアウトされる……これではキーを持っていても無意味なのです。単刀直入に言います。世界を救う希望は、ドロシーさん、あなたしかないのです」

 ドリィは目を丸くした。

「私なら、できると……? どういうこと?」

「テレパシーに長けた自律型を通して、白鯨とあなたの会話を傍受していました。白鯨はあなたを迎え入れようとしている。そして、白鯨の内部にはアインと呼ばれる個体がいる。アインが戻りたいと願い、あなたがそれに応えてキーを使い思念を増幅させれば、アインの意思は戻ってくるかもしれませんし、本体である白鯨の意識をも左右できるかもしれません」

「何だか難しいけど、私とアインちゃんが外側と内側から働きかければどうにかなるってこと?」

「端的に言えばそうなります」

 そう言ってキーリは車いすを壁際まで持って行き、トランクに入ったものを持って、ドリィのところまで来た。


「鍵は、ドロシーさんにあります。それでも勝てる確証はなく、嵐の海で藁を掴むような可能性ですが、ゼロパーセントではありません。世界を救うために、お力添えをいただけないでしょうか」

「私にできることなら、何でも、したいと思います……」

 スケアから少し離れて、ドリィはトランクを受け取ろうとした。だが、取っ手に手をかけようとして、硬直してしまった。言葉の語尾がかすれ気味になっていた。

「でも……」

 ドリィは目をそらす。


「アインちゃんが、もし私を恨んでいたら? こんなことの引き金になった私こそが、白鯨よりも悪だと思っていたら? 私、あんなことしたんだよ……アインちゃんをこんな目に遭わせて、戦艦の人たちもみんな死なせちゃったんだよ?」

 ドリィは顔を落とし、続けた。

「私、何の力もないのに家を飛び出して、飛甲機だって奪って、自分は何でもできるって勘違いして……。でも何もできなかった。友達だって危険に晒してしまった。全部私の勘違いだったんだ。飛甲機を動かせる天才なんかじゃない、無能なただの子供なんだわ」

 ドリィの顔色はどんどん暗くなる。

「私、勝手なことばかりしていろんな人に迷惑かけて、それで自分だけ安全でいる。こんな私に何ができるっていうの? 卑怯者の私なんかが、また何かしても酷い結果になるのは目に見えてるわよ……」

 アインだって拾ってほしいと自分から言ったわけではない。勝手にドリィが拾ってきて、友達に仕立て上げた。アインは言わなかっただけで、本当は迷惑に感じていたかもしれない。

「世界を救うなんて、できっこない。今までだって全部裏目に出てたのに。今よりもっと大変なことになったら、私、背負いきれない……!」

 自分は結局、何がしたかったのだろう。親への反目? 全能感を味わいたかった? 友達が欲しかった?

 全部身勝手な願いだ。自分の行動で迷惑をこうむる人間がいるなんて思いもしなかった。白鯨の言う通り、自分はちっぽけで愚かな存在だ。口だけは強がっても、まるで力が伴っていない。


「じゃ、誰があの白鯨を倒すってんだ?」

 苛立ったスケアが訊く。ドリィは捨て鉢になって叫んだ。

「あんたでもいいじゃない! 私に大役なんてできないわ! 全部私が悪いの! 私がアインちゃんを拾わなければ……!」

 ドリィの心は深井戸に沈んでいくようだった。自身の行動を掘り返して、ネガティブなループが止まらない。あのまま白鯨に吸収されて、アインと一つになっていたほうが幸せだったのかもしれない。白鯨の意思に統合されていたら、自分で何もしなくて済んだ。自分で選び取ることをせず、他者に責任を負わせるほうが気楽なのだ。


 へたりとドリィは床に座り込んでしまった。涙はとうに枯れていた。嗚咽だけが彼女の口から漏れていた。

 スケアは眉毛を吊り上げ、イライラしながらドリィの懺悔を聞いていた。顔の筋肉がぴくぴくと引きつっている。

 スケアはドリィにつかつかと歩み寄り、拳を作る。そのまま顔を殴ろうとした。が、顔に達する直前、スケアは拳を開いてパーにした。

 ぱぁん、とよく通る音が部屋に響き渡った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る