第26話 塩の柱となれり

 白鯨の表面に、がしゃんといくつものレーザー照射装置のようなものが突き出した。体表の機械部分がスライドして、臨戦態勢を取る。まるで巨大兵器だ、とドリィは思った。

 ぎゅん、と大気が縮む音がする。次の瞬間、無数の赤い目のような照射装置が一斉に光り、レーザーを発射した。

 戦艦はそれぞれ退避行動をとる。レーザーは空中で屈折して、目標を追尾した。

 旋回する戦艦も、その速さには対応できない。


「や……」

 ドリィは離れた場所でカラドリウスを滞空させている。彼女の震える唇から言葉が漏れた。

 赤い光線が空中に阿弥陀を描く。いくつもの槍に貫かれるように、戦艦は次々に轟沈していく。メインエンジンに被弾し、黒煙を上げていく。エメラルド色の海に突っ込み、爆発を起こすものもある。


「やめて……」

 ドリィは先程以上の絶望に包まれる。


 これは。

 全部、自分が元凶だ。

 スケアの動向からこちらの居場所が教団に知られたのは間違いない。それが巡り巡って、この事態を引き起こした。

 アインを廃コロニーで拾わなければ、こんなことにならなかったのに。

 目の前で次々に命が消えていく。戦艦に乗る人々は、あの爆発では全員生きていまい。


「やめて……! やめてーっ!」

 ドリィは一層半狂乱になっていた。こんなこと、自分は望んでない。なのに。


 最初は素朴な気持ちからだった。

 壊れたアンドロイドを見捨てられない。

 それがどういう因果か、こういう結果になっている。


 ドリィはとにかく、自分にできることを考えた。海上に浮かんでいる艦に残っている人間はいないか、もしいるなら救助せねばならなかった。

 カラドリウスは降下し、爆炎を上げる戦艦にたどり着く。カラドリウスのメインカメラを通してドリィはブリッジの中を見た。


 そこに人影はなかった。代わりに床にいくつもの白い絵のようなものがある。

 白い絵は、倒れた人間の姿をしていた。ドリィはそれを見るや否や、カラドリウスの指でブリッジの窓を突き破る。

コクピットハッチを開け、カラドリウスの腕伝いにドリィはブリッジ内部にたどり着いた。割れたガラスを踏まないように注意しながら、ドリィは白い人型のものを観察する。それは、ブリッジにいるはずの人間の数だけあるように見えた。


 白い砂でできた絵。よく見ると砂とは質感が違う。割れた窓から風が吹き込んできて、白い粒は空中に飛んだ。

 白い粒が自分に向かってきて、ドリィは思わず顔を覆う。しかしすべてを防ぎきれず、多少口に入ってしまった。


 白い粒は、塩の味がした。

 ドリィは聖書の一節を思い出した。神の裁きによりロトの妻が塩の柱と化した逸話。キリスト教を母体とするオメガ教の教育の一環で、ドリィは暗記するまで聖書を読まされていたのだった。


 つまりこれは、戦艦にいた人々の成れの果て。

 白鯨は言った。人々に赦しを与えると。焼き殺す意図ではない。床に散らばった塩はレーザーを浴びた人間が変化したものだ。

 白鯨を振り返ると、何かを吸い込んでいるように見える。彼女の言葉は人間を吸収する意図に思えた。空中に微粒子として残った何かを吸っているのだろう。

 そして、吸収できない塩分だけがこの場にある。

 ドリィは背筋に悪寒が走った。

「ううっ」

 ドリィは吐きそうになる。涙を呑んで、それを堪えた。


 すぐカラドリウスに引き返し、コクピットハッチを閉め、甲板から飛び立つ。白鯨はなおもビーム攻撃を続け、戦艦を落としていった。

 残った戦艦群は果敢に砲撃を続ける。しかし、白鯨は被弾しても一向にダメージを受けた様子はない。戦艦群は無意味な攻撃を繰り返しては、いずれ反撃のレーザーを受けて爆散していく。


 ドリィは立ち尽くすしかなかった。カラドリウスは空中で、夜空に爆発の花を咲かせて破壊されていく戦艦を、蹂躙していく白鯨を眺めるしかなかった。

 もし両者の中に割って入っても、カトンボのようなカラドリウスなど一瞬で吹き飛んでしまうだろう。


「アインちゃん……」

 滂沱の涙がドリィの頬を伝う。彼女の顔は後悔と、戸惑いでぐちゃぐちゃになっていた。


「私、どうすればよかったのかなぁ……? 何もしなければよかったのかなぁ……?」

 ドリィは嗚咽を漏らす。しかし慰めてくれる者は、誰もいない。それはドリィ自身がよくわかっていた。

 だが、ざっと砂嵐が起こるように、カラドリウスのコクピット内に音が響いた。


『ドリ……ィ……』

 カラドリウスの回線に、謎の通信が入る。

 その声に、ドリィは目の色を変えた。すぐに電波の発信源をモニターに表示する。

 電波の出所は白鯨。そうモニターに示されていた。画像のない音声は酷いノイズ交じりで、注意深く聞き耳を立てないと何を言っているのか判別できなかった。

「アインちゃん? そこにいるの? 私はここにいるよ! 返事してっ!」

 ざざざっ、と波が立つようにノイズが走る。


『ボクは、戻りたイ……』

 ふつりと、通信は途絶えた。

 アインの言葉は、それで最後だった。


 ドリィは力の限り叫んだ。喉が枯れるまで。喉から血が出そうになるまで。

「アインちゃん! アインちゃーんっ!」

 虚空にその叫びは消えていく。夜空に星が瞬き、海上の爆発が減っていく代わりとなっていた。


 海面は轟轟と燃えていた。油が戦艦から流れ出し、爆発炎上して、夜空を下から照らしているのだ。

 白鯨はライトアップされたように炎の中に佇んでいる。その姿はすべてを圧倒するような威圧感があった。

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