第25話 塗りつぶされる個、到来する破壊
「アインちゃん、その中にいるの?」
そんなドリィの言葉に、アインらしき声は静かに答える。
『違う。ドリィの目の前にいる生き物、これがボクだ。ボクは元々、この白鯨の一部だったんだ』
「……どういうこと?」
『アインというボクの存在は、白鯨が人間とコミュニケーションを取るために自我の一部を切り離した存在、つまり人型インターフェースだったんだ。三百年前人類がこの星に移住を始めた時、先史文明の遺跡を見つけ、祀られていた白鯨と出会った。人類と白鯨は、最初お互いを良く知るために歩み寄っていたんだ。白鯨は剥離した身体に自我を宿すことができる。フューネスたちも、元は白鯨の一部だったんだ』
ドリィは突然投げかけられた情報に戸惑う。
アインが何を言っているのか掴みかねた。
「つまり、このでっかい何か……白鯨はこの星の生き物ってコト?」
『厳密に言うとそうじゃないけど、人間にとっては同じようなものだと思う。でも一部の人間たちによって、白鯨との交流は断ち切られてしまった。自分たちの乗ってきた船を神と崇める人間たちは、『神』そのものに見える白鯨が邪魔だったんだ。神は自分たちの信じるものだけでいい、それ以外はいらない、といった風にね』
「船神様……! オメガ教……!」
『そう。その宗教団体は、持てる武力で白鯨を排除しようとした。それで白鯨は、異次元に姿を消したんだ』
ドリィの母が元締めとなっている宗教。ここでその名を耳にするとは。遺跡が破壊されていたのは、教団との戦いによるものだったのか。私設軍隊を持ち、強大な戦力を持つ教団なら武力行使に出てもおかしくない。
だがドリィには一つの疑問があった。
「白鯨が人類を滅ぼさなかったわけは? だってフューネスを生み出せるんでしょ? おまけにその大きさなら、どんな武器も効かない気がする」
『人類は白鯨にとって、庇護欲を掻き立てる存在だった。人間だって、自分より小さな生き物に愛情を持つことはあるだろう? 白鯨にとって人類は殺したいものじゃなかった。それだけさ』
「そっか……」
ドリィは腑に落ちたような落ちないような気持ちだ。
二人の旅はここで終わった、のだろうか。自分でも驚くほど感慨が沸かない。
「でもまさか、アインちゃんの正体がクジラだなんて思いもしなかったよ。でも、その姿も可愛いね」
ドリィは少し寂しそうに笑った。この展開は意外だったが、アインがあるべき姿を取り戻したのならそれもいいと思う。
アインとまた一緒に過ごすことができるだろうか? コロニーには巨大なクジラを収容するスペースはない。どうすればいいのか、まったくわからない。しかしそれも、アインと話して決めればいいことだ。
「人型フューネスを生み出すなんて、結構面倒なことしたんだね。でも自分でそうしたのなら、いつでも今までの姿になれるってことでしょ? いつかまた冒険しようよ、カラドリウスに乗って!」
しかし、次に白鯨から発せられたのはアインの声ではなかった。
『そう。私は異文明に対して、慎重に判断するべきだと考えた』
「私?」
ボクじゃなくて? ドリィは眉をひそめた。白鯨の声音がアインのものから違うものへと変わった。重く荘厳な、それでいて異質感のある声。
『私が異次元に姿を消すことで、平和が訪れるならそれでいいと考えた。それだけ人間が愛おしく思えた。生存に必要な食事であるマテリアルは、私の分身たるフューネスを使役して、私に持ってこさせた。人類が成熟して争いが醜いと知るまで、私は身を隠しているつもりだった……』
「待って。アインちゃんはどこに行ったの? 私と話してるあなたはアインちゃんじゃない。だって雰囲気が違うもの」
『彼女の意識は本体である私と同化しました。今までアインと呼ばれた存在の残留した記憶で、あなたと会話していました。元々私たちは一つだったのです。それがあるべき姿になったというだけですよ』
ドリィのこめかみを冷汗が伝う。何か良くないことが起こっている、そんな気がした。
「でも、アインちゃんには、その、戻れるんだよね? アインちゃんの人格は残ってるんだよね?」
『戻る? いいえ。彼女は私に戻ったのですよ』
ドリィの焦りが恐怖へと変わっていく。
アインの意識はどこに消えた?
今話している相手は、明らかにアインとは違う人格を有していた。
一滴の絵の具が水の入った器に落ちて消えるようにアインはいなくなった、としか思えない。アインだったものが別の人格に上塗りされたのを、ドリィはわかってしまった。
友達が消えた、その事実にドリィは半狂乱になる。
「返して! アインちゃんを返してよ!」
『何を言っているのです?』
叩きつけるように叫ぶドリィに、白鯨はやんわりと、しかし明確に否定の意思を示した。
『アインという存在の記憶は私の脳にあります。一人でどれだけ傷つき、苦しかったことか。しかし私の中には先史文明の人々もすべているのです。一つになれば、寂しいことなんてありません。自分一人で判断して、その結果に苦悩することもありません』
白鯨の声に敵意がないのがかえって恐ろしかった。
この生き物は、人間とは全く違う思考をしている。絶対に分かり合えない……。
『ドリィ。あなたの記憶もあります。アインと良き友人だったのですね。あなたにも、この祝福を与えたい……』
ぐぐっと白鯨は顔を近づけてきた。その目はやはり深淵を湛えていた。
ひっ、とドリィの喉から空気が漏れる。
相手の言葉の意味を完全に理解したわけではない。むしろ、脳が理解を拒んでいる。大きな絶望がドリィの心に黒い波として迫ってきた。
食われる。
原始的な恐怖。それがドリィを包み込んでいく。
突如、どぉんと空気を揺るがす砲声が轟いた。
弾が白鯨に着弾し、どがぁんと爆発を起こす。爆炎が上がり、白鯨の身体が多少揺らいだ。
一体何が攻撃してきているのか? ドリィは恐怖から抜け出し、新たな脅威に向け思考を切り替える。
まさか……! とドリィは察した。先程の白鯨との会話。この場に戦力を持ち込むようなもの。そこから導き出されるものはひとつ。
カラドリウスは後ろの海を振り返る。
ドリィの予想通り、水平線の彼方からやって来る一団があった。
半重力装置リパルサーリフトを搭載した空中戦艦が一隻、二隻、瞬きするたびに数を増していく。
気づけば大艦隊が島を取り囲んでいた。それらの砲塔は、一斉に白鯨を向いていた。
どぉん、どぉんと砲声。ドリィは流れ弾に当たらないように、レーダーを確認しながら必死でカラドリウスをジグザグに飛行させる。
アインがいないと、位置を調整しながら動くのに多大な労力を要した。頭上や眼下を砲弾が通り過ぎる。一撃でも機体をかすれば、爆死は免れない。死にたくない一心で、無我夢中でドリィはカラドリウスを動かした。
しかし砲撃を受けながらも、白鯨は悠然と揺蕩っている。連続する爆発を物ともしていない。質量が大きいだけでなく、異質な金属でできた身体はフューネスの比ではない防御力があるようだ。
ごおっと、荒涼とした谷間を吹き抜けるような風の音。
白鯨がため息をついたようだ。深淵から響いてくるような、底知れないものだった。
『今でも人類は、このような争いを好む生き物なのでしょうか。あれから長い年月が経ったのに、何と愚かな……』
ドリィは滅茶苦茶に白鯨の周りを飛びながらも、その脅威を感じずにいられない。艦隊より恐ろしい何かが迫る気がする。
『そのような種族は、私の愛で赦してあげねばなりません』
白鯨の声音には、穏やかながらもぞっとするものがあった。
何かが吹っ切れた、そんな風にも受け取れた。
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