第23話 対話・統合
無限にも思える光の中で、アインの意識はたゆたっていた。
自分の意識が徐々に溶けていく。全身がばらばらになって、拡散していく感じがした。眼の前は真っ白。しかし白い深淵のような、深く広い視野がアインの前に広がっていた。
おぉ……ん。おぉ……ん。
誰かの声がする。途方もなく大きな、誰かの声。自分のすぐ近くに、その存在を感じた。
「あなたは誰?」
アインが問いかける。
深淵から響くような声が、アインに降り注ぐ。
『私は私であり、他の誰でもある。私は拡張された個であり、思念を統括する者。いわば宇宙生命の集まり、その脳なのです』
誰かは答えた。優しい母のような声だった。
『あなたは私から切り離された一部。巡り巡って再び出会った。私はこの再会に感謝します。あなたはもう、一人ではない』
「ボクが、一人じゃない……?」
アインは訝しんだ。
その言葉の意味を測りかねたからだ。
『あなたは今まで一人で、それは苦しかったでしょう。欠けていた記憶を、思い出させます。きっと辛く思うかもしれません。それでも、あなたは目を背けてはならないのです』
きぃん、と耳に響く音。
アインの脳裏に、突然過去の映像が流れ始めた。長回しの映画のように、それはとめどなくアインに、今までの出来事を思い出させた。
その出来事は彼女が記憶の底に封印していたものにほかならなかった。
・
人類が本格的に移民を始める前の凍星。宇宙空間で待つ本船団より、先遣隊の船が発進して、凍り付いた地表に降下した。
大気圏を抜け巨大な隕石のように降ってくる船を、『それ』は眺めていた。
氷床に着陸した小型艇より、厚着をした数人が出てきて『それ』を見上げる。一斉に驚きの表情をして、その場に固まっていた。
『それ』は慈愛の目で小さき者たちを見つめていた。
ちっぽけな存在なのに、二本の脚で大地の上に必死で立っている。その様がなんとも愛らしい。『それ』は人間に対し、慈悲の念を覚えずにはいられなかった。
『それ』は人間とコンタクトを取った。言語ではなく本能に訴えかけるテレパシーで、自分の意思を人間たちに伝えた。人間たちは最初戸惑っていたものの、友好的な態度に次第に警戒心を解いていった。
かつて凍星の住人が自分を迎え入れるために造られた遺跡。その場所で『それ』は人間たちと交流を行った。できるだけ遺跡をそのままの姿にしておきたいとの『それ』の要望から、深く立ち入った調査は行われなかったが、人間たちの代表者が駐在して、『それ』から様々なことを学び、自分たちのことも教えてくれた。
彼らの故郷、地球が住めない星になったこと。移住先が欲しいとのこと。『それ』は人間に同情し、ゆくゆくはこの星で暮らしてもよいと言った。人間という種族は若い。発展途上の芽が育ってゆくところを見たかった。
『それ』もまた、人間たちを深く知るために、自分の意識と身体を分裂させて、人間の姿を真似たフューネスを造り上げた。構造は、人間本来の身体では何かと不便があるため、彼らが提示したアンドロイドの設計図を参考にした。
『それ』の一部は少女の姿となった。紫のロングヘア。金色の瞳。裾の長い、白い衣装。彼女はまるで聖者のようだった。何人かに分裂した少女は複数の移民船に招かれ、人間の社会を学んでいった。
人間と触れ合い、遊び、本を読み、穏やかな日々を過ごした。人間は悪しき生き物ではない。少女はいつか『それ』に還り、自分の学んだことを伝えたいと思った。
だが、その日々も長くは続かなかった。
一部の移民船を支配していた、ある教団があった。その教団は内通者から『神』に等しいものの存在を嗅ぎつけ、滅ぼさんと動き始めた。
船の一つに武装集団が押し入り、少女を狙って激しい銃撃戦を繰り広げた。非戦闘員しかいない船の中は、血みどろの惨憺たる有様となった。
逃げ惑う人々。銃声。血の匂い。
歓迎されていた昨日までの暮らしが無残にも壊されていった。
一人の研究員が、少女の手を引いて脱出艇に導いた。彼の脇腹は銃弾がかすめ、血がだくだくと流れている。命に替えてもフューネスの少女を守るつもりだ。
格納庫に差し掛かった時、待ち伏せを受けてしまった。銃弾の雨が少女たちに降り注ぐ。彼は少女を庇って立ち、全身に風穴を開けた。少女は息をのみ、叫びすら出なかった。
どさりと研究員が倒れる。
その胸にある名札には『アイン・ウェルズ』と書かれていた。
その人物は少女にとても良くしてくれた人だった。
「あ……あ……」
少女はそれ以上言葉が出ない。この瞬間も、船の中で命が失われていく。元々の巨大な身体であれば別だが、今の少女の身体では、どうしようもない。
残った少女には、逃げ場などなかった。取り囲まれ、いくつもの冷たい目が彼女を見下ろした。
武装した一人が斧を持ってきて、振りかぶった。少女は逃げようとする。だが、複数人が彼女の手足をがしっと掴み、動けないようにした。
「なぜ……なぜ、こんなことをするの?」
少女の声はかすれ、懇願する色を含む。
少女を掴む人々は、その御声に少しだけ気が引けたようだ。が、彼らの代表者が少女に死刑宣告するように言った。
「お前の存在は、我々の神と敵対する。お前は我々の世界に不必要な存在だ!」
そうなのか。
自分は、この世に存在する意味がないのか。
そう少女は思った。思わざるを得なかった。現に自分には何もできない。暴力のなすがままだ。
彼女の白い服は乱暴にはぎとられ、丸裸にされた。
斧が振り下ろされ、がぁん、と金属が割れる音。
少女の手足が切断される。
斧が打ち付けられる度に、少女に鋭く太い痛みが走る。
両腕両足を切り落とされて、文字通り手も足も出なくなっても、彼女は叫び声も絶望の顔も見せなかった。
こうなったら、何をどうしても意味がないのだ。
紫の髪がむしり取られ、美しかった姿が目も当てられないものになる。少女の身体は置き去りにされ、彼女は天井を見つめるしかなかった。
襲ってきた彼らにとって、異種族の神を貶めることが最大の目的だった。
武装集団は次に、移民船の各部屋に押し入って物色を始めた。必要ないものはそこらに捨て、金目のものや真新しい生活必需品を持って行く。少女の身体はゴミ山に埋もれてしまった。
武装集団が去り、やがて移民船が浮遊を維持できる燃料が尽きた時、落下を始めた。地表に墜落して衝撃が襲っても、少女の身体がバラバラにならなかったのは、皮肉にも彼女を覆っていたゴミがクッションになったおかげだった。
衝撃で彼女の身体は跳ね上げられ、ゴミ山のてっぺんに上った。屋根は何らかの拍子にひびが入り、そこから割れて、空が覗いていた。
少女は何もかもに絶望し、その虚しさに心が侵食されていった。
そして来る日も来る日も、少女は空を見上げていた。精神はとうの昔にすり減り、あきらめが心を支配して、やがて自分が何者かわからなくなっていった……。
・
アインは気分が悪くなった。
心の奥底に封じ込めて当然の記憶だった。
『私に還ってこられたのが、奇跡としか言いようがありません。一人でよくたどり着きました。どんなに険しい道のりだったか、想像に難くありません……』
声は言う。
だが。アインはおそらく、自分の元の人格である声に対し言いたいことがある。
「ボクは、そうじゃない」
アインは強く否定した。
「ボクは一人じゃなかった。ボクは仲間と……友達と一緒にいた。ボクに優しくしてくれて、勇気をくれた。ボクは寂しくなんてなかったんだ」
それを聞いて、何者かの声は穏やかな色を含んだ。
『その出会いに感謝しなさい。友と困難を乗り越え、あなたはよくやりました。そのお友達の手助けがあればこそ、根源たる私に還ることができたのでしょうね。その繋がりは素晴らしいこと。であれば、愛を授けるにふさわしい。さぁ、本来の姿に戻って、お友達にも祝福を与えましょう……』
身の回りが輝き始めた。一層強い光に包まれ、アインは眩しさを覚えた。
そして……気が付くと、彼女は空中に顕現していた。光は完全に晴れていた。
アインは自分が巨大な存在になっているのに気付いた。今まで中にいた遺跡群を、上空から見下ろしていたのだった。
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