第10話 旅立ち・飛甲機雲
コルニクスはさらに肉薄してくる。その気迫にドリィは察した。相手は完全にブチ切れている。
『世間知らずのクソガキが、生意気なんだよ!』
その声には殺気が含まれていた。
コルニクスはカラドリウスに頭突きを食らわせる。一瞬、がぁんと強い衝撃と共にモニターの画像が揺らいだ。コクピットシートも激しく振動する。神経を連動させているドリィにも打撃が来て、「くあっ」と呻いてしまう。ドリィの頭上を星が舞った。
しかしカラドリウスの機体が離れるのを、コルニクスは許さない。突き飛ばされる寸前でカラドリウスの右腕を掴み、ぐいっと引き寄せる。
『このまま機体を引き裂かせてもらうぜ!』
コルニクスは残った腕の爪を再度展開した。
まだ視界がぐらぐらと揺れるが、ドリィの顔は絶望に染まりつつある。敵は思った以上に素早い。
こんなところで、あの息苦しい社会に逆戻りなんてしたくない。まだドリィは、世界を知らない。もっと自分の羽を伸ばして、世界を見たかった。
ここまでか、と思った瞬間、レーダーに大きな反応があった。気圧メーターが大きく乱れる。南南東に巨大な低気圧。アインが提示していた、トルネードだった。
「来るよ、ドリィ!」
アインの声とともに、モニターにトルネードの回避ルートが線を引いたマップで表示される。
ドリィの顔にぱっと喜色が浮かぶ。逆転の一手。それがついに来たのだ。ドリィの心にみるみる希望の灯がともる。
「オーケー、アインちゃん!」
ぐいっとドリィは操縦桿を引いた。
カラドリウスは右の膝で相手を強く打った。重い一撃。コルニクスはのけぞり、掴んでいたカラドリウスの右腕を離してしまう。
『くそっ、足癖の悪い奴!』
スケアの悔しそうな声が響く。
ドリィはモニターに示されたマップを確認する。空中に黄色いルートが表示されていた。アインが用意してくれたものだ。
カラドリウスは、脱出経路を辿り、敵に背を向けてブースターを全開にした。
『おい、どこに行く! 逃げんじゃねぇ!』
急速に遠ざかっていくカラドリウスを、コルニクスは追いかけようとした。
しかし直後に、スケアもトルネードの存在に気が付いたようだ。
山の向こうから、轟と巨大な竜巻がこちらに迫ってくる。針葉樹を巻き込み、地表の薄氷を剥がしながら、二機に向かってきた。
その巨大な竜巻は何者をも圧倒するような気迫を持って、より大きく広がっていく。さながら空中に生まれた渦潮だ。
コルニクスが急いでカラドリウスの元に向かうも、トルネードに阻まれる。
驚いたようにのけぞり、コルニクスは一旦後退を余儀なくされた。トルネードはさらに大きさを増し、迂回するとなると、相当な距離を飛行せねばならなかった。
『竜巻だとぉ! こん……ちくしょ……う……』
いかにも悔しそうな声だったが、スケアの最後の方の言葉は電波障害によりかすれている。トルネードの壁に隔てられ、カラドリウスとコルニクスは決して触れ合えぬ距離に至ったのだった。
後ろから迫りくるトルネードから、カラドリウスはブースターを全開にして逃げる。ドリィはとにかく、この場から離れることしか考えていなかった。
・
かなりの距離を移動した末に、カラドリウスはトルネードの影響を受けない地点まで到達できた。
カラドリウスはギルドベースから相当離れた、エメラルド色の海に浮かぶ小島に着陸した。トルネードに巻き込まれずに済んだものの、元のトゥルマに戻れる気がしない。よしんば帰れたとしても、あのスケア・クロウが待ち伏せしている可能性も高い。
「さて、これからどうしようかしらねぇ……」
周囲に乱気流がなく、安全だと判断したドリィはコクピットを開けた。爽やかな海風が、彼女の髪をふわりと浮かせる。
「……」
アインは、穏やかな波を立てる海面をじっと見つめていた。その横顔は、何か思い詰めているようだった。
やがて意を決したように口を開いた。
「ボクはここで別れるよ」
「……え?」
ドリィは驚いて振り向いた。こちらを見つめるアインの顔はいたって無表情だったが、微動だにしない表情筋はある種の決意ともとれる。
ドリィはアインが何を言っているのか理解できなかった。理解したくなかった。
「もう一度……言ってもらっていい?」
「ボクはこれから、フューネスの源を探して旅に出る。きっと危険な旅になる。ドリィを付き合わせるわけにはいかない」
「そんな……何のために旅に出るの?」
「ボクは、ボク自身のルーツを探りたい。そのためにもフューネスがどこから現れるのか、それを知らないといけないんだ。記憶喪失のままでいいなんて思わないからね」
アインは、モニターにウィンドゥを表示させた。そこには衛星から捉えた凍星の地図が記されている。今いる地点から、二か月かけた距離にある一点が赤く光っていた。
今までフューネスの厳密な発生位置はわかっていなかった。それを追おうとしたシーカーもいたが、彼らは行方をくらませてしまうからだ。だが、フューネスと同等の力を持つアインはそれを知っているようだ。
「ここって……未開エリアじゃない? 何なの? この地図は」
「これはさっき倒したフューネスの体組織から取ったデータだ。大半のデータは失われていたけど、フューネスがどこから生まれたのかだけサルベージできた。このマップに沿って向かえば、何かが見つかるはず……だと思ってる」
「飛甲機は? アンドロイドの身体じゃ、フューネスと戦うなんて無理だよ」
「それは何とかする。しなくちゃならない。全く予定なんてないけど」
「一人で大丈夫なの? 寂しくない?」
「ボクは一人でも寂しいなんて思わない。そんなこと、言ってられる場合じゃないから」
「……」
ドリィは沈黙した。アインは続ける。
「ボクは、ドリィのおかげで二度目の命をもらったようなものだ。恩人のドリィをそんな危険な旅に付き合わせたくはないんだ」
「アインちゃん……!」
ドリィはハーネスを外し、後部座席のアインに抱き着いた。ドリィのまつ毛は涙に濡れていた。
「別れるなんて言わないでよ。私、アインちゃんと出会って、やっと自分にも何かができるかもって、そう思ったんだよ。アインちゃんが自分のことを知りたいって言うんなら、私も付き合う。私、友達の力になれるなら、何だってする!」
アインの正体にショックを受けたのは本当だ。しかしそれは、アインを否定することに繋がらない。むしろ、その過酷な運命を思うと、身を切られるような思いがした。
アインは一人で、どれだけ寂しかっただろう。どれだけ辛かっただろう。自分が何者か誰も教えてくれず、ゴミのように横たわっていた。それが運よく、自分のルーツを知る手がかりを掴んだ。
その希望と、一人でそれに立ち向かわなければならない試練。ドリィが彼女の立場だったら、悲鳴を上げているはずだ。
アインが自分の出生に思い悩んでいるのは、ドリィと同じだ。ドリィも、出生ゆえに息苦しい思いをしていた。しかし辛さで言えばアインのそれに及ばないだろう。
それでも、飛甲機を使った手助けという形で自分に何かができるなら。翼を与えてもらったのだから、今度はドリィがアインに応える番だ。
抱きしめられたまま、アインはしばし押し黙った。何かを考えこんでいるようだった。
しばしの間。
ドリィはずっと目に涙をためていた。アインがやおら口を開く。
「……ボクと、一緒に行ってくれるのかい?」
ドリィは顔を上げた。涙で表情が滅茶苦茶になっていた。
「当たり前だよ! アインちゃんの旅路で、私も知りたいの! 自分が何者で、何ができるのかってこと! 一緒に探そうよ、自分ってゆうモノをさ!」
ドリィは、アインに苦しいままでいてほしくなかった。何の手助けもないまま一人で行かせたくはなかった。その苦しみを分かち合いたいと思う。
「……ドリィ」
アインは呟くように言った。
「……わかった。とりあえず、身近なトゥルマを探そう。シーカーの証明ができれば、必要なものを揃えてくれるはずだ。三キロ離れた先にあるようだ。燃料も残り少ないし、食料その他も買いそろえておこう」
ドリィの顔がぱっと明るくなった。彼女は涙をぬぐう。
「そうだね、カラドリウスに詰め込めるだけ詰め込んでおこうよ! アインちゃん、欲しいものはある? できることなら、素敵な旅にしようよ! 楽しいものを一杯持って行って……」
「無駄なものはデッドウェイトになるから、必要最低限にしよう。ドリィのことだ、ゲームとかトランプとかは入れちゃダメだよ。生命維持を第一に考えて」
「……むぅ」
ドリィはむすっとしたが、すぐ気を取り直し、アインにハイタッチを促した。
アインはそのサインを理解し、ぎこちなく手をかざす。ぱちん、とドリィがアインの手を叩いた。
「アインちゃん、頑張ろう!」
うん、とアインは頷いた。ドリィは見果てぬ地平に目を向ける。
曇り空がやや晴れて、顔を覗かせた青空が凍り付いた大地に陽光を投げかけていた。
これからどんなことが起こるのか、まだわからない。
それでも、二か月とはいえこの旅を通して、二人の何かは変わるはずだ。
アインは自分が何者かを見つけて、ドリィは自分に何ができるかを知る。
それで……。
その後は、どうなる?
そのことがちらりと頭をよぎったが、ドリィは一旦考えないことにした。見切り発車の旅について、不安よりもワクワクが彼女の中で膨らんでいるのだった。
カラドリウスはコクピットハッチを閉め、近くのトゥルマに向かって飛翔する。
機体の後部から、飛甲機雲が蒼穹に白く線を引いていた。
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