第5話 ドリィ・リメンバー

 ドリィは時折夢で思い出す。故郷での日々を。

 移民船団の中央にしつらえられた教会で、シスター衣装の者たちが讃美歌を歌っている。ドリィも厚ぼったく丈の長い黒い服を着て、それに参加していた。歌は途中で面倒くさくなって、歌詞に従わず適当に他の人間たちに合わせていたのだが、それに気づく者はいない。そうして一日の教育を我慢しながら終えたのだった。


 家に帰ると、食事の支度が出来ているとメイドが伝えてくる。この食事の時間が、ドリィは一番嫌いだった。

 白いクロスを引いた長いテーブルで、端に座って、目の前に並べられた皿を見る。パンとローストビーフ。そして純コーンスープ。一般人はまずありつくことのできない、合成ではない料理。プラントのごく一部で密造しているらしい家畜と高級植物だ。

 食事を前にしても、ナプキンを装着して、きちんとした服装をしていないとダメだった。食物は神の身体なのだから、それを敬えという。そう考えるだけで、ドリィはこの豪勢な食事も不味いものに思われた。


 『オメガ教』は船を神として敬っており、船の上で生み出される食糧が神から生まれる糧としている。地球の神話には、神の身体から食物が生み出されたとされるものが多かった。皮肉にも言葉通りの意味になっている、とドリィは思った。

 そしてもう一方のテーブルの端には、ドリィの母がいた。背が高く、鼻筋が通っていて、まるでおとぎ話に出てくる魔女のような人物……ガルシア・ドレイクだった。


「どうしたの、ドロシー。お腹、すいてるんでしょう? まず神様への誓いの言葉を宣言して……」

 ガルシアが話しかける。冷たく高圧的な言い方。それは実際の距離より、心の距離感を感じさせた。

「……いい。私、今何か食べたい気分じゃないし」

 ドリィはむすっとして言った。ガルシアはため息をつく。


「年頃なんだから、しっかり食べないと大きくなれないわ。人類が健やかに暮らせるよう願う、船神様の御意思に背くことです。すべての命の源であり、すべての命が還る場所。それが船、私たちの暮らす島であり、神そのもの……。そしてあなたは、私の遺伝子と、船の人工知能が合成した最高の遺伝子が合わさって造られた、いわば船神様の子供なのです。それを自覚なさい」

「うっさい!」

 ドリィはナプキンをばさっと捨て、何も食べずに席を立った。

 ドリィは家出することに決めた。それでしか、家に自分の意思を伝えることはできないと思っていたからだ。

「ちょっと、どこに行くの? ドロシー」

 母親が背中に言葉を投げかける。ドリィはそれに応えない。


 どいつもこいつも、私を縛り付ける……。


 教祖になるための修行として、毎日合計四時間の瞑想をさせられる。朝、昼間、夜はありとあらゆる英才教育を施され、自由な時間など殆どない。友達はいないことはなかったが、日々の義務に忙殺され、いつしか離れ離れになっていった。

 限られた余暇で本を読み、ドリィはシーカーのことを知った。自由に羽ばたき、冒険をしながら稼ぐ職業だ。ドリィはいつしか、鳥籠の中の自分より自由なシーカーに惹かれていった。

 ドリィはダイニングを出ていき、母親はそれ以上追いかけてこようとしなかった。自分のやることなすことに口出しをしてきつつも、結局は無関心なのだ。自分のことを第一に考えているし、子供は所有物くらいにしか考えていない。


 ドリィは部屋に戻った。自分の部屋は、いろんなぬいぐるみやら教材やらで雑然としている。彼女は片付けが苦手なのだった。

 カバンに、必要なものだけ詰め込む。お気に入りの小説、手のひらサイズのぬいぐるみ、電子端末。着替えは家出した先で調達すればいいと思っていたので、意外にも荷物は少なかった。


 ドリィは深夜、こっそり家を出て、移民船内を通行するリニアの駅に向かう。

 『飛甲機博物館』行きの切符を改札横で買い、長い自動廊下を一人で延々とホームに向かう。自動操縦のリニアは、人の気配を感じてすぐに来た。ぷしゅう、とドアが開くと、誰もいない、無機質な室内が見える。シートに座るや否や、リニアは発進し、数分で目的地に着いた。


 リニアの着いた駅から直通で、博物館の一階に行くことができる。駅の照明は暗く、既に閉館している時間だったが、ドリィには関係なかった。

 かつて母親と共に来たことがある。ガルシアは、この博物館の館長だ。ドリィは母親のIDカードを、夕飯の前に彼女の部屋からちょろまかしていた。IDカードはマスターキーのようなもので、あらゆるロックを解除できる。

 飛甲機が展示されている場所に向かう。いくつもの自動ドアをくぐり、非常照明だけが灯った薄暗い展示室を後にする。そして、飛甲機が並べられている広場までたどり着いた。


 様々な年代の飛甲機が、歴史を感じさせる配置でディスプレイされている。最低限の灯りしかない暗闇の中でも、膝立ちをしている巨人の存在感は圧倒的だった。

 ドリィは一直線に、ある飛甲機のもとへ向かう。自分が乗るならこれだと、前から決めていたものだ。


 式典用飛甲機カラドリウス。神の化身とされる鳥の名前を持つ機体。その外見は白騎士のようで、一般の飛甲機のように効率を重視したものではない。

 しかし、ドリィはこの機体に惹かれていた。人を乗せて自由に飛ぶという本来の役割を奪われ、式典での賑やかしに終始したカラドリウスには、どこか自分と同じものを感じていた。


 生まれに縛られて本当にしたいこともできないで、何が人生だろうか。


 ドリィは将来のレールを敷かれている身だった。母親の後を継いでオメガ教の教祖になるという未来だ。しかしその生活には、宗教的な制約が常につきまとう。朝起きてから寝るまでの行動や、恥ずかしいことまで、全部にだ。ドリィにはそれが耐えられなかった。

 こうして展示されているだけで身動きの取れないカラドリウス。それが生まれた意味を、もう一度与えてやろうと思った。ドリィは勝手にカラドリウスに自分を重ね合わせていた。


 胸部によじ登り、備え付けられた取っ手を引いてロックを外す。がしゅう、と音を立ててコクピットが露出し、ドリィはためらわずに乗り込んだ。

 コクピットは意外に狭い。パッチに指をつけると電流が走る。ドリィは暇を見て自宅でやっていた、飛甲機のシミュレーションゲームと同じ感覚で、カラドリウスの操縦桿を動かした。


 『飛べ』と強く念じる。しかしその念が、大きすぎた。

 じゃきん、とカラドリウスの羽が展開し、上空に舞い上がる。そのままカラドリウスは猛烈な勢いで「がしゃあん」とガラス張りの天井を突き破って、夜の空にまろび出た。


「うひゃあっ!」

 ドリィは思わず叫んだ。予想していたことだが、身体全体にGが襲ってくる。

 警備システムに引っかかり、アラートが背後でがなり立てていた。

 すぐさま自動操縦ドローンが追ってくる。ドローンは外敵に向かって、威嚇射撃を試みた。

 ドリィは上も下も、何が何だかわからない感覚に陥りながらも、ひたすら飛甲機を墜落させないようにしていた。射撃を回避できたのは、そのジグザグな軌跡による偶然に過ぎない。


「あのトゥルマ……どこに……」

 ドリィは手元に表示されたマップを確認する。自分をかくまってくれそうなトゥルマには、事前に連絡していた。自分のいる移民船団から、そこそこ離れた距離にある場所。

 それが、現在ドリィが寝泊まりしているギルドベースである。ドリィはナビゲーションに従って最短経路を辿りながら、時折後ろから発射されるドローンの射撃を回避していった。

 ドリィは残りの燃料をすべて使い切るつもりで、全速力でカラドリウスを飛ばす。ドローンは射程内に目標を見失い、撤退した。


 ドリィは雲を抜け、空母のようなフロートを見つける。フロートから出るガイドビーコンに従い、機体を甲板に着陸させた。

 空母にずしん、と乗ったドリィは、コクピットをがしゅう、と開け、タラップを下げて甲板に降り立つ。

 そして事前に連絡を入れていたトゥルマのオーナーに迎え入れられ、ドリィは新天地での活動を始めるのだった。

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