第2話 機械蟲フューネス

 カラドリウスはホバリングしながら、凍てついた崖を超え、白い帽子をかぶった山々を超え、目的地に向かう。そこは氷筍のような氷が、花弁のように地面から突き出ている土地だった。

「……あれだ」

 地面の中から何かがせり上がり、周りの地面がめくれているのだった。凍った地面が渦を巻いている中心に、それはあった。


 大きさにして二十メートルほどの巨大な胡桃。実際は地下深いところで固まった岩なのだが、そうした印象を与えた。赤黒く固まったそれは、明らかな異物として見つけやすかった。

 これはマテリアルを保護するための殻だ。地中深くに生み出されるマテリアルは、溶岩から中身を守るためにこうした殻を持っているらしい。

 ドリィはカラドリウスをゆっくりとそれに近づけ、十分接近したところで地に足を下ろす。足の裏で氷がめきめきと割れた。

 胡桃は飛甲機と比べても大きく、見上げると圧倒された。ごつごつした表面は、易々と砕けるようなものではない。


 ドリィはカラドリウスの腰にマウントされている高振動ブレードを抜き放った。長いナイフのような刃は薄青く、きらりと光った。

 操縦桿を引き、カラドリウスにブレードを振りかぶらせ、そのまま振り下ろす。刃が胡桃の殻にぶつかったとき、表面分子の微細な振動がチェンソーのような切れ味を発揮した。

 ががっ、と歯が唸り、胡桃の表面を削っていく。が、勢いが強すぎて押さえていた左手の指に刃が当たってしまった。


「いてっ! 指切った!」

 飛甲機と操縦者の神経は繋がっている。まるでカッターで指を切ったような感覚がドリィを襲った。慌ててカラドリウスは左手を離し、ドリィはコクピット内で切った指をくわえる。血など出ていないが、確かに痛みは感じた。

 ドリィは逆上して、ブレードを振りかざした。うまく行かない苛立ちに、彼女は支配されていたのだ。

「こんなろ! 食らえっ!」

 がぁんとブレードを胡桃に叩きつける。がぁん、がぁん、と連続した打撃音が凍った大地に響き渡った。


 ブレードが急にがりっ、と音を立てる。「やばっ」とドリィはブレードの刃を確認する。刀身をまじまじと見ると、無残に刃こぼれしてしまっていた。

「あっちゃ……ちくしょう……やっちゃった……」

 これは修理費がかかる。ドリィは一時の感情で刃を振るったことを激しく後悔した。

 修理費は家から持ち出したICに入っている、なけなしの生活費から払わなければならなかった。収入の少ないドリィには痛手であり、ICに入金した母親の顔がちらつくという、ドリィにとって二重の苦痛である。

「ごめんね、カラドリウスぅ……」

 カラドリウスは何も言わない。

 だが、ドリィは胡桃を見て、自分の行動が無駄ではなかったことを知る。

 いくつもの断面を刻まれた胡桃の殻は、ぱきんとあっけなくひび割れ、一筋の裂け目を作った。


「おっ。何か知らないけどラッキー!」

 ドリィは喜び勇んで胡桃の断面に飛びつく。

「あとは、中身を壊さないようにっと……」

 機体の指を裂け目に突っ込み、こじ開ける。胡桃は断裂部からめりめりと割れていき、その内部にあるものが見えた。


 燃えるルビーのような、飛甲機のこぶし大の宝石。裂け目から差し込む陽光を反射してぎらぎらと輝いている。これが『夢見る宝石』とも言われるマテリアルだ。その名前は、夢を見ているように表面が刻一刻と移り変わることに由来する。ルビー色からサファイア色へ。次いでダイヤモンドの色へ。

 凍星の地表には、ごくまれに希少物質の塊である『マテリアル』が出現する。マテリアルは化学反応で絶大なエネルギーを生み出す。マテリアルを燃料にした技術が現在進んでおり、飛甲機のバッテリーはそれによって作られるエネルギーを閉じ込めたものだ。

 それだけでなく、大地の情報が詰まっており、科学者たちからすれば喉から手が出るほどほしいものだった。シーカーたちの大半は、このマテリアルを集めることを主眼に置いている。それが一番収入になるからだった。


 ドリィはそっとカラドリウスの腕を伸ばし、握りつぶさないよう細心の注意を払って、マテリアルを掴む。指先に手ごたえがあった。

「よし……」

 胡桃を割れたのはまぐれに近い幸運だったとはいえ、ドリィは内心ガッツポーズをした。あとはコンテナに入れて、ギルドベースに持ち帰れば報酬を受け取れる。『あの子』にもっといいパーツをあげられるかもしれない。


 しかしドリィが安堵した直後、『それ』はやってきた。


 コクピット内に響くアラート。ドリィは弾かれたようにターゲットを向く。十メートルの大きさを誇る『それ』はぶんぶんと不快な音を立てて羽ばたき、カラドリウスの近くを旋回している。長い髭のような触覚をひくつかせながら、鋭い牙をカチカチいわせていた。

「フューネス……!」

 ドリィは息を呑む。


 鎌を持った、翅の生えたグソクムシに似た銀色の機械蟲『フューネス』。マテリアルのある場所に現れ、資源を持ち去ってしまう。この星における、人類と生存競争をしている生物……らしい。

 らしいというのも、死体はすぐ劣化してしまい、研究がほぼ進んでいないからだ。

巷では機械生命体だ、移民船団が開発した機械の失敗作が逃げ出したものだ、エイリアンの遺物だなどと様々な憶測が飛び交ったが、公的な声明はまだ出ていない。まさしく未知の敵なのだ。


 片手にマテリアルを持ったままでは戦えない。ドリィがひとまずホルダーにマテリアルを入れようとしたとき、敵は間髪入れず突撃してきた。

 腕の鎌でカラドリウスのホルダーを切り裂き、同時にカラドリウスが持っていたマテリアルを弾き飛ばす。マテリアルは氷の地面を何度か跳ねまわり、少し遠い位置に転がった。


「このっ……!」

 ドリィは焦って、高振動ブレードを再び構える。そんなドリィに目もくれず、フューネスはマテリアル目指して飛んでいく。自分を無視する敵に、ドリィは苛立ちを感じた。


「待たんかぁ! ダンゴムシ野郎ーっ!」

 カラドリウスは後ろから追いすがり、ブレードで斬りかかる。その気配を察知して、フューネスは翻った。フューネスの側頭部にはガトリング砲が搭載されている。砲がきりきりと位置を調整し、カラドリウスを狙った。


 敵の照準が合う前に、ドリィは自分の状況に気づいて足裏のバーニアで機体に急制動をかける。一瞬後に砲口が火を噴く。

 ドリィはカラドリウスを旋回させ、銃弾の雨をかわす。いくつかは機体をかすめたが、間一髪でどれも致命傷を負わずに済んだ。白い機体に黒い銃弾の痕がついた。負けじとカラドリウスも左腕のバルカンで敵を狙う。ドリィのこめかみを冷や汗が伝った。


 がるるぅ、とカラドリウスのバルカンが火を噴く。

 照準を合わせているはずなのに、敵はホバリングしている蜂のように小刻みに動いて、ターゲットがぶれる。そのためバルカンの弾は空しく空中に軌跡を描くのみで、一発も当たらなかった。モニターの隅に表示される残弾数が見る間に減っていく。


「ええいっ、しゃらくさいっ!」

 ドリィは目くらましにバルカンを斉射したまま敵の背後まで大きく回りつつ、再度ブレードを手に相手に肉薄する。

「今度こそ、食らえっ!」

 叫ぶドリィ。ブレードが横一文字に敵を斬り裂こうとする。フューネスはぐるりと空中で一回転した。そして腕の鎌を振りかざし、ブレードを受け止めた。鉄と鉄が擦れ合う甲高い音が響き、火花が飛び散った。


 両者が刃を隔てて、しばし睨み合う。


 激しい鍔迫り合いの末、カラドリウスが根負けした。じゃりん、と音を立ててブレードが弾かれる。

 ドリィの手は、刃物を持つことに慣れていない。カラドリウスの腕は彼女の腕と感覚を共有している。何かと本気で殺し合ったことのない彼女は、相手の圧力にいとも簡単に屈してしまうのだ。

 フューネスはそのまま頭からカラドリウスに体当たりする。ずどん、という衝撃が機体を襲った。


「うあっ!」

 ドリィは呻く。カラドリウスはそのまま弾き飛ばされ、地面に激突した。再びの衝撃。ドリィは胃が飛び出そうな感覚に襲われた。

 フューネスは羽音を立て、転がっているマテリアルに向かう。カラドリウスなど興味もないといった風だ。そしてマテリアルを掴み、持ち去ってしまう。

「ま、待って……」

 ドリィは操縦桿を動かそうとするも、機体に負荷がかかりすぎ、すぐには立ち上がれない。そのままフューネスはレーダーの圏外に飛び去り、追うことは不可能になった。



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