第1話 少女と氷と鉄と
ドリィは朝起きてすぐ、ベッドの隣を確認する。そこに『何か』がいた形跡はある。掛布団がその輪郭に合わせた形に多少盛り上がっているが、肝心の中身はいない。
どうやら『彼女』は今日も外に出たらしい。いつものことだ、とドリィは小さくため息をつく。一人の時間を邪魔されたくないだろうし、『彼女』に会いに行くのは仕事が終わってからでも構わないだろう。
ベッドから抜け出た下着姿のドリィは、シャワールームで顔を洗い、手早くカロリーブロックをカバンから取り出して口に放り込む。それから、部屋の隅に放ってあるパイロットスーツをもそもそと着る。ファスナーをきゅっと締め、腕時計型の端末を装着して、準備完了だ。
少女ドロシー・ドレイク……ドリィは愛機カラドリウスを駆り、今日も『夢見る宝石』マテリアル集めに奔走する。いつもと変わらない日々。それが彼女の仕事。
居住区からエレベーターで最上階まで上ると、ドーム状の広い部屋に着いた。そこは既に活動を始めているシーカーたちでごった返していた。その様子は空港の混雑具合に似ている。ドリィと同じく、パイロットスーツを着ている人間が多かった。外への出入り口には改札機がある。
ドリィは改札機のタッチ面に腕時計型端末をかざし、チェックを済ませ、外に出た。
青空の下の甲板は、立っているだけで風を全身に浴びることができ、心地いい。ギルドベースの甲板には、シーカーの収穫物を引き取る業者が手配したカーゴジェットが何機も泊まっていた。
ドリィは甲板の上を一直線に格納庫に向かう。少し離れた場所にある格納庫の扉は開いており、そこに彼女は飛び込んでいった。そこらで作業している整備士たちに「よっす」と挨拶して、カラドリウスのもとに走る。
「あの子、今日も稼ぎに出るのか」
「しかし何で、十四歳くらいの小さな子が……」
「何でも、飛甲機オーナーの親から式典用の機体をかっぱらって家出してきたらしい」
「それマジ? あの子の親って『母なる船教』の教祖でしょ?」
「だって、食堂で本人が言ってるの聞いたんだよ」
「きっとおうちが嫌になって飛び出してきたんだろうねぇ……あたしにもあんな時代があった……」
整備士たちが口々にドリィの噂をする。耳のいいドリィにはすべて丸聞こえだった。
他人からいろいろ言われても仕方ない身の上だと思っている。しかしこの選択は間違っていないと彼女は思っていた。
格納庫にずらっと並んだ飛甲機の中から、カラドリウスの入っている房を見つける。白い装甲のカラドリウスは、無骨な飛甲機たちの中でもひときわ異彩を放っていた。
博物館の展示品だったカラドリウスに乗り込み、家を飛び出した日を思い出す。あれは自分でも思い切った行動だと思った。ああするよりほかに、自分の存在価値を探す方法はなかったのだ。
「……お前も、あのままくすぶっていたくなかったよね?」
ドリィはカラドリウスに語り掛ける。騎士然とした機体の顔は、肯定の色も否定の色も見せなかった。
腕時計型端末をコクピットハッチに向け、画面を操作する。赤外線信号が発され、待ち構えていたように機体の胸の装甲がばくっと開いた。
コクピットからタラップが降り、ドリィはそれを上って内部に入り込む。ドリィが乗り込むと、タラップはまたコクピット内側の元の位置に巻き戻された。
手元の操縦桿には指それぞれに対応した神経パッチがあり、指の神経から細かな動作を機体に伝達する仕組みになっていた。
武器を装着するのも、『武器を使いたい』と操縦者が念じればそのように動く。兵士に課すような特殊技能の訓練を受けていないドリィにとって、この仕様はありがたい。
パッチに指をあてると、一瞬ぴりっとした痛みが走る。静電気より痛くない程度の微弱な電流だ。パッチは指に吸い付いて、ちょっとしたことでは外れそうになかった。
ドリィは操縦桿をぎゅっと握り、自分の腕を動かす感覚を念じる。カラドリウスが肘を曲げ、マニピュレーターが滑らかに空を掴むのがモニター越しに見えた。機体の腕が少女の意思をそのまま反映しているのだ。
そのまま「コクピットを閉じろ」と念じると、胸の装甲が元の位置に収まり、次いで壁に張り巡らされたモニターが起動して、周囲の映像を映し出す。
「バルカンの残弾は……」
機体の基本データを呼び出せ、と意識すると、顔近くの画面にデータが表示される。メカニック達のおかげで機体のコンディションは良好、ブレードもバルカンも十分使えるよう調整されている。それだけの対価を支払っているのだから、当然といえば当然だ。
ドリィは機体を操作して、格納庫の壁にかけてある、マテリアル回収用のコンテナを手に取らせた。大きさ二メートルほどの、機体に比べれば小さなホルダーだ。それを右腰のアタッチメントに取り付ける。
ドリィは操縦桿を動かして、カラドリウスを甲板まで歩かせた。そしてカタパルトに足をかけ、発進体勢を取らせる。
「ドロシー・ドレイク、出ます!」
ドリィは回線を開き、宣言する。モニターには『オーケー』のサイン。
蒼天のもとカラドリウスはブースターを展開し、ギルドベースの甲板から飛び立った。
ドリィはまだ、青い世界に飛び込むのに慣れていない。地面がなくなり、立体的な機動が求められると、毎回「最初に進路を固定して、バーニアで姿勢制御して……」と考えてしまう。
瞬間、ぐるりん、と空中で機体が一回転した。
「うおおっ!」
内臓がひっくり返る感覚。未だにこの手順は慣れない。
ドリィが計器類をいじくって位置を調整すると、ようやく姿勢制御装置が働いた。ぐるっとまた回転して機体が安定すると、ドリィは一人安堵のため息をつくのだった。
「今の、見事な逆上がりだったわ……」
ドリィは自分に皮肉を言う。
本来は二人乗りのカラドリウスの後部座席には、まだ誰も乗っていない。空虚なコクピット内に、ドリィは少しだけ寂しさを覚えた。
眼下を埋め尽くす雲海に機体の爪先をつけ、一気に潜る。その後は気流に流されないように角度を調節しながら、降下地点を見定める。これがなかなか骨の折れる作業だった。
雲海を抜けると、ぶわっと視界が開け、地上が見える。
大地は見渡す限り灰色で、どこまでも砂漠が広がり、時おり永久凍土で形成された崖や凍りついた湖が見られる。針葉樹らしきものがまばらに生えているものの、数は多くない。
この大地で、彼女の仕事が始まる。
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