アームド・エアクラフト

樫井素数

プロローグ

 静かに雨が、地上に落ちた廃フロートの上に降り注いでいる。

 かつては人の住む移民船の一つだった場所も、何らかの理由で放棄されてしまって見る影もない。ここは、人類が惑星『凍星』に移住する黎明期に打ち捨てられた場所だった。

 機材が積み重なったゴミ山の上で、壊れたアンドロイドが曇天を見上げている。フロートの天井はぶち抜かれており、その箇所にどんよりした空模様が切り取られていた。


 アンドロイドの四肢はもぎ取られ、煤で汚れた上半身しかない。髪の毛もなく、壊れたマネキンのようなそれは、何色でもない虚無の目をたたえていた。


 アンドロイドの意識は灰色の海の中に漂っている。なぜ自分がここにいるのか、わからない。自分という存在が何なのかも理解できない。ただ自分がゴミ同然に捨てられていることは理解していた。理解したからといってどうすることもできなかった。

 いつから自分はここにいるのだろう。いつから自分は存在していたのだろう。


 その答えは誰も教えてくれない。


 何か、アンドロイドの視界の隅で動くものがあった。

 それは一人の少女だった。傘もささずに、ゴミの山を見上げている。艶やかな長い黒髪と、若者らしいみずみずしさをたたえた瞳が印象的だった。濡れそぼった髪が彼女の頬に張り付いている。

 少女はぴっちりと身体に吸着する、ウェットスーツのようなものを着ていた。それは少女が、飛行可能な七メートル大の人型ロボット『飛甲機』のパイロットである証だった。

 どうやら育ちは悪くないらしい。まだ新品同然のパイロットスーツに、利発そうな面立ちで、この掃きだめとは場違いな見た目をしていた。

 その手にはアタッシュケースほどの大きさの、携行用バッテリーがあった。おそらく飛甲機のバッテリーが尽き、この廃フロートに代わりを探しに来たのだろう。


「……寂しそう」

 ゴミ山を見上げる少女はぽつりと呟く。その目はアンドロイドを見据えていた。

 決して深い考えから生まれたわけではない憐憫。アンドロイドの雰囲気から、思わず漏れただけといった言葉。


 それに反応して、アンドロイドはぐるりと瞳をそちらに向けた。

 瞳孔の開いた、金色の瞳が少女を捉える。

 その目には何の感情も含まれてはいなかった。


 パイロットスーツの少女は、氷の手で心臓を掴まれたように青ざめる。

「生きてる……」

 彼女は手元で口を抑え、息を呑んだ。

 しばらく両者の見つめ合いが続く。


 少女は、何かを逡巡しているようだった。やがて意を決したような顔になると、ゴミ山をかき分け、アンドロイドに向かった。流砂のように足元を掬おうとする、機械油で汚れたゴミの中を彼女は登っていく。


 やがてその手がアンドロイドの肩を掴む。アンドロイドを抱え上げるとゴミ山を滑り降りて、元来た道を引き返す。かろうじて非常用照明が残っている薄暗い廊下を渡って、必死で駆けた。


「カラドリウスーっ!」

 少女が叫ぶ。それは、出口の外に鎮座している飛甲機の名前だろうか。


 飛甲機『カラドリウス』はフロートの外縁部に膝立ちになり、雨に打たれていた。

 別名アームド・エアクラフトと呼ばれる人型ロボット『飛甲機』は、人間の活動を拒む凍星において、冒険家であるシーカー業を営む人々になくてはならない存在だ。航空機のような羽を持ち、自分の身体と同様に動かせるそれは、どんな事態にも対応することができる。


 『カラドリウス』の高貴なデザインは、一般的な飛甲機と一線を画す。真紅で縁取られた白銀の機体は、神の遣わした白い鳥、そしてその体から流れる血を表しているらしい。左腰には武器、高振動ブレードを装備している。両腕にはバルカン砲が装着されていた。

 カラドリウスは雨に打たれつつも、自分を呼ぶ声を聞いた時、ぎんっと目を光らせた。そして胸のハッチを開き、コクピットを露出させる。


 カラドリウスの胸にあるコクピットからタラップが伸びている。少女はそれを上り、後部座席にアンドロイドを置いて、シートの背中のあたりから伸びるハーネスを身体に装着させた。黒いベルトは胸元で交差し、シートの対角線上にある金具がぱちんと音を立てた。

 少女は前方の座席に向かい、足元に収納されている補助バッテリーを交換する。空になったものを外に投げ捨て、先程持っていたものをカートリッジに挿入した。そして自分もハーネスを身に着ける。


 計器が操作されると、カラドリウスはコクピットハッチを閉じる。一瞬コクピット内が暗黒に閉ざされるが、すぐに壁全体に張り付けられたモニターが外部の様子を映した。座席から見ると、まるで空中を浮かんでいるようだった。

 少女が操縦桿を引くと、カラドリウスは背中のブースターをふかし、雨の降りしきる曇天へ飛び立つ。


 眼下には氷河と砂漠が広がる大地と、それに寄せては返すエメラルド色の海があった。時が凍り付いたように荒涼とした地平は、見ているだけである種の虚無感を感じさせる。

 カラドリウスの頭上には灰を混ぜた綿のような雲が浮かんでいる。雲は見渡す限り上空に敷き詰められているが、ちょっとした裂け目から陽光がさしている。天使が光の矢を、雲の上から放っているかのようだった。

 数秒後、雲海の上に出る。モニター越しの視界には先程と打って変わって晴れやかな青空が広がった。透き通った空気が漂い、スカイブルーのパノラマは、大気を一枚隔てれば真空の宇宙とは思えないほど鮮やかな色をしている。


 カラドリウスが向かった先は、雲の上にある空中空母『ギルドベース』。凍星に点在するコロニーの一つで、シーカーたちの宿。外観は移民船時代の探査ボートをそのまま使っており、数十人が生活できる大きさはあるものの、かつて人々が宇宙を渡ってきた船としては小型のものだった。

 船の背には甲板があり、何機かの飛甲機がたむろしている。空いている場所に少女は狙いをつけ、カラドリウスを降下させた。機体を減速させ、足裏のバーニアをふかし、位置を調整しながら慎重に着地する。


 ずしん、という衝撃。カラドリウスの身体から甲板に雨の残滓が滴る。

 少女は飛甲機を発着場の片隅にある、並んだロッカーのような格納庫まで歩かせ、空いている箇所に入って内部に安置させる。すぐに機体がロックボルトで壁面に固定され、ロッカー内部に設置されたドライヤーが一瞬のうちに機体を乾かす。その後、稼ぎ時だと言わんばかりにギルドに雇われている整備士たちが飛んできた。

 コクピットを開けて少女はアンドロイドのハーネスを外し、再び抱え上げて機体から降りる。落とさないよう気を遣っているのが感じられた。


「ドリィ。なんだい、そのアンドロイド?」

 年配の女性である、整備士の一人が声をかける。ドリィと呼ばれたパイロットスーツの少女はぶっきらぼうに答えた。

「廃墟で見つけたの!」

「ジャンク屋に売るのかい?」

「ノーコメで!」


 アンドロイドは無感動な目を見開いたまま、周りを見続けていた。自分を持ち運んだこの少女は、何をするつもりだろう。

 見上げた先にあるドリィの瞳はひたむきだった。格納庫を出てギルドベースの中心部に向かう。居住区に繋がるドーム状エレベーターの周りには、小さな公園のように木々が植えられていた。

 青空の下に広がる緑。それはアンドロイドの目には鮮烈で、心地よいものに映った。木立の間を抜けるドリィ。その腕に抱えられたまま、アンドロイドは植物の発するにおいを感じていた。


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