ペトリコールとゲオスミン

<このレビューは冒頭から殆どネタバレです。御注意ください〉

「梅雨入りを告げるニュースを見た夜に別れ話のLINE届いた」
 気怠い梅雨入りの日の夜から物語は始まります。
一方的に別離を告げられた主人公の女性は、涙をタマネギのせいにする気の強い人です。それでも「思い出のパキラ」(いま人気の観葉植物)は彼のプレゼントでしょうか、どうしても捨てられません。雨のせいにして三日も家に閉じ籠もります。

 そのまた翌日もまた雨。降り出した雨の放つペトリコール(雨が降ったとき地面から立ちのぼってくる匂い)にも彼を思い出します。雨に打たれ、ずぶ濡れになっても、雷鳴に負けじと大声で叫んでも、彼が忘れられません。

 占いを信じたわけではないけれど、雨の中を車で飛ばします。
「思い出が遠心力で抜けるかな、アクセル踏んだ峠のカーブ」
無茶な運転に、吹っ切れない自分を責める思いが隠れているようです。ところが。

「灰色の雲散る展望駐車場やっと見つけた天使の梯子」
雲間から光の筋が大地を照らします。やっと見つけたのは、探していたのは、本来の自分でした。たまに泣くことがあっても芯の強いしなやかな女性像が立ち上がります。

 雷鳴を轟かせていた豪雨がいまは小雨になりました。雑貨屋で可愛いウチワサボテンを見つけます。そんなゆとりも取り戻したのです。
「雨上がり、独りぼっちの向日葵が雲間から指す陽を探してる」
向日葵も彼女のように自分らしい未来を探しているのです。
ゲオスミン(ペトリコールの対語で、雨上がりの匂い)は彼女の心を洗い流してくれました。

「いつからか勝手に思い込んでいた虹の向こうは何も無いこと」
それは恋がたったひとつ終わっただけのこと。虹を越えてゆけば、明日はまだその先にどこまでも続いていました。

帰宅した彼女は洗濯をします。この洗濯は選択と掛けているのでは?(笑)
「久々に気合いを入れた化粧して雨降り止まぬ街へ繰り出す」
雨はまだ降っているのです。でも彼女にはもう関係ありません。明日に向かって、新しい出会いを求めて、彼女は歩き出しました。



不意打ちのように失恋した彼女の内面を、短歌が鏡のように映し出していきます。短歌のリズムが歌うようにステップを踏むように物語世界に響きます。ひどく傷ついた心を彼女自身が癒やし先へと進む強さに感動しました。

連作ですが「雨上がり、独りぼっちの向日葵が雲間から差す陽を探してる」の歌が一番好きです。それとペトリコールとゲオスミンの使い方が憎らしいほど効果的でお洒落です。パキラやウチワサボテンといった小道具の置き方も冴えています。一編の小説を読んだような深みと味わいがありました。

(追記)
同じ作者の美味しくて切ないサボテン恋愛小説を読んだことがありまして、このウチワサボテンが優しいマスコットとなる予感がしました。