第2話 蠢く大地
日陰に咲く花
蠢く大地
過去をより遠くまで振り返ることができれば、未来もそれだけ遠くまで見渡せるだろう。
ウィンストン・チャーチル
第二章【蠢く大地】
「晋平、誰だそいつは」
「横崎基生って言って、俺達に協力してくれるらしい。もともとは詐欺師だが、偶然そこで会って。警察の動きも知ってるかもしれないから連れて来た」
「怪しさ満載だな」
晋平が連れて来た横崎という男は、口角をあげたまま、目を細めてニマニマしていたためか、大樹は怪しんでいた。
しかし庵道は流し眼で微笑んだまま特に気にしている様子もなかったため、テーブルに並んでいるクロワッサンを掴んで食べた。
「詐欺師なんぞ信用するもんじゃねえだろ」
「そんな大したものじゃない。詐欺って言ったって、騙した金は1年半で3億くらい。詐欺師の風上にも置けないからね」
「・・・え?こいつ何言ってんだ?」
隣に居る順一に問いかけると、順一からはまともに相手にするなと言われてしまった。
ふと、横崎は腰に何か封筒を折って差し込んでいたため、それに気付いた大樹がそれは何だと聞くと、思い出したように横崎はそれを手に取った。
「そうだそうだ、忘れてた。俺の履歴書みたいなもん」
そう言うと、横崎はその封筒を折れたまま庵道に渡した。
1人用のソファに腰かけていた庵道は、肘かけに肘をつき、足を組んだ格好だったのだが、その中身を見るためなのか、ズズ、と身体をずらした。
背もたれには、背中ではなく頭が来ており、首が痛くないのかという姿勢なのだが、庵道は中身を読んでいるからか痛みなどは感じていないようだ。
角度的にも場所的にも、そこに何が書かれているかは分からないが、眠たそうな目の庵道の視線が左右に動いているため、文字が沢山あることだけは分かった。
「首に痣・・・」
ぽつりと庵道が呟いた言葉は、きっと誰にも聞こえていなかった。
読み終えると、庵道は大きな欠伸をして手を差し出した。
それが何を意味するのか分かった晋平は、庵道の手にテーブルのクロワッサンを手渡すと、庵道は当たり前のように御礼を言う事もなく口に入れた。
「うん、美味い。売れそう。そうだ、売ろう。近所で1個350円で売ろう」
「高ぇよ!どんだけプレミアついてんだよ!誰も買わねえって!売るならチョコつけるとか、もっとサクサクにするとか、色々工夫しろよ!」
「それだ」
「それだじゃねぇから」
そんな会話をしている間にも、庵道はまた1個、また1個と口に頬張って行く。
食べては頷き、また食べては頷きを繰り返しているところから見ると、相当気に入ったようだ。
横崎が、賞味期限が近くて安くなっているパンを買い占めて、温め直して売れば儲かるなどと話していたが、晋平に説教されていた。
冗談だ、と横崎は笑いながら言っていたが、冗談のようには聞こえなかった。
このクロワッサンももしかしたら、と思うだけでこれからトイレの取り合いになるかもしれないと考えてしまう。
しかしこのクロワッサンは順一が買ってきたものだから大丈夫だろうと、また1つ、口に入れるのだ。
それから数日後のことだ。
まだ太陽が昇りかけていた時間帯に、庵道たちは目を覚ました。
いつもこんなに早いのかというと、そうでもない。
ならばなぜ、どうしてこの日に限って早く起きてしまったのかというと、本人たちにしか分かり得ない気配を感じたからだ。
「啓志」
「わかってるよ。臭うよ、プンプンな」
薫が起きるとすでに庵道が起きていて、大樹たちも次々に起きてきた。
家具などは良いにしろ、生きて行く為に必要最低限のものだけをまとめるように伝えていると、いきなりドアがブチ壊され、銃を持った男たちが入ってきた。
顔も防護されており、目元だけしか見えていない。
庵道たちは2階に避難し、銃撃されることを予想して自分たちも保管している銃を手に構える。
横崎は銃など持っていないため、眠気と戦いながら庵道たちの後ろに隠れている。
「俺がなんとか止めっから、窓から外に出ろ」
「あの人数相手に持ちこたえる心算か、大樹?」
「平気平気。な?薫も一緒にここで止めてくれるだろ?」
巻き込む形で薫をその場に留めると、大樹と薫以外のメンバーは先に2階の窓から脱出を試みた。
窓のすぐ傍には大きな木が育っていたため、そこにジャンプさえできればあとは簡単なことだった。
裏にいた男たちもいたが、気絶させた。
すると、家の中からは銃撃戦が始まった音が聞こえてきて、まだ中にいる大樹と薫のことが気にかかったそのとき。
耳も目も塞いでしまうような爆発が起こった。
防護服の男たちが逃げるように家の中から外へと避難する姿が見えたが、その中には大樹たちはいなかったようだ。
その後すぐに流れたニュースには、爆発によって出た死者は2人とされているが、それが誰なのかは判別できる状態ではなかったそうだ。
ニュースが流れているテレビの電源を切ると、順一が口を開く。
「横崎、お前が教えたんじゃないのか」
最も怪しい横崎が、警察に自分たちの居場所をばらしたのではないかというと、横崎は前髪をかきあげながら否定する。
「止せよ。だいたい、俺だって殺されかけただろ?それに、こんなにすぐにあんたらにバレるようなことはしないって」
「じゃあ、あそこがバレたんだ?」
「知らないね。俺以外に、トロイの木馬がいるんじゃないか?」
「こんなとき、大樹ならトロイってなんだ?鈍間ってことか?って言うんだろうな。真面目に聞いているのかわからないけど。まあ、誰が警察に通じてるかなんて、今考えたってしょうがないだろ」
「まあ、そうだな」
「おい、このナビ合ってるのか?なんか場所違くないか?」
「でも住所はこの辺のはずでしょ?ナビになってちゃんとセットしたもん」
「なんか微妙にずれてる気がするんだよな。地図買って確認しようぜ」
恋人たちがナビを見ながら道に迷っている頃、庵道たちが今いる場所の近くでも、こんな事件があった。
それは、老夫婦が暮らしている家に、警察官たちが突入してきたということだ。
老夫婦はいきなり入ってきた男たちに驚いてしまい、もともと心臓に持病があった奥さんは救急車で運ばれる事態になったが、どうやら無事のようだ。
警察官がいうには、この辺に凶悪な犯罪者がいるというタレコミがあり、それをもとに確保するため押し入ったという。
結局そのタレコミは間違いだったとされた。
奥さんもその後すぐに退院出来たため、裁判にはしないとのことだった。
一部壊されてしまった個所は警察が直すということで解決した。
ナビが正常に機能していないという事例は他にもあり、3日ほどニュースにはなったものの、システムを管理している会社が今一度調査をしているとのことだった。
そんなニュースを聞き流しながら、庵道は口を開く。
「俺思ったんだけどさ」
それはもう唐突で、あまりにものんびりとした口調だった。
「何を思った?」
「しばらく・・・バラバラに行動してみるっていうのはどうだ?」
「バラバラに?」
真意は分からないが、きっと内通者がいるとすればその人物のあぶり出しでもあり、いないとしたら誰かが見張られている、もしくは発信機をつけられている等のことが分かると考えたからだろう。
庵道と順一、そして晋平は良いとしても、横崎を野放しにしても良いのかという質問に対しては、別に横崎が捕まってもバラされるほどのことは何も無いとのことだった。
「啓志、バラバラになるのは良いけど、どうやって連絡取り合うんだ?」
彼らはスマホなど、居場所がバレる原因となるものは持っていないため、互いに連絡を取る手段はない。
一度離れてしまうと、拠点が無い限りは一生会えないことも有り得る。
「なんとかなるさ。最悪、一生会えなくても生きていけるだろ」
「ま、そうだな」
「おい、俺はどうなるんだ?俺にいたっては警察に捕まったらまたム所に戻るようなんだぞ?誰かと一緒に行動させてくれよ」
「詐欺師なんだろ?警察を騙して逃げ切るんだな」
「冷たいねぇ」
何処で落ち合うとか、何処で連絡を取るとか、そういったことは一切話し合わないまま4人は離れ離れになった。
庵道はそのうちまた会えるさ、とだけ言っていたが、実際のところどうなるかはわからない。
1人で行動を始めた庵道は、2時間ほど適当に歩きまわったあと、そこにある公衆電話ボックスに入った。
時計を見て時間を確認すると、靴ひもの間に器用に入れてあった複数回折ってある紙を取り出した。
そして受話器を手に持って何かの平たい道具のようなものを小銭入れのところに差し込むと、紙に書いてある番号へと電話をかけた。
数回鳴ったところで音が止むと、まずは相手の声を聞いてその人物を確認してから口を開く。
「俺だ。周りは大丈夫か?」
そう話しながら、庵道は番号が書かれている紙にライターをつけて燃やし始めた。
ある程度燃えたところで地面に捨て、足で火を消す。
「ああ、そうだな。だから悪かったって。ああ、これからのことで話しておくことがある。ちゃんと聞いておけよ」
「ああ、じゃあまた後で」
電話を切った晋平は、近くの店で腹ごしらえでもしようかと思って足を向けたそのとき、目の前に男が立っていた。
「一体何の用だ?」
「少し、お話を伺えればと思いまして。できれば、一緒に来ていただきたいのですが」
「・・・わかった」
晋平が男に連れて行かれる頃、順一たちのもとにも男たちが来ていた。
順一はその時呑気にロッククライミングをしていたのだが、そこへ男たちがやってきたため、途中で終わりにして着地した。
「俺に何か?」
顔から垂れる汗を拭っていると、男がその腕を掴んだ。
「一緒にきてもらおう。色々聞きたいことがあるんだ」
男に掴まれた腕を振り払うと、順一は自分の身体に付いている命綱のロープを外し、他の装備品も取り外した。
一度更衣室に戻ってタオルを取ろうとしたのだがそれも許されず、着替えられたのは結局、それから1時間後のことだった。
1人のんびりと公園のベンチに座っていた庵道は、男に取り囲まれても平然としていた。
「なんだ?俺のファンか?サインならやらないぞ」
「庵道啓志だな。少し聞きたい事がある。我々と来てもらう」
「・・・・・・誰の命令だ?」
男の1人が庵道に近づくと、その手に手錠をかけた。
そして自分にもかけて庵道を連れて行こうとしたのだが、庵道の力が強いのかそれとも重いのか、なぜか動かなかった。
どうしてだろうと後ろを見てみると、庵道にかけたはずの手錠はベンチの手すりにつないであり、庵道は未だそこに座っていた。
何が起こったのかと、別の男が同じように庵道に手錠をかけるが、またしても同じように他の男の手首に繋げられていた。
ケラケラと楽しそうに笑っている庵道に、男たちはついに銃を向けた。
庵道は座ったまま両手をあげて、こう言った。
「別に逃げやしないって。大人しく付いて行くから安心しな。手錠なんて野暮なもんつけなくても大丈夫だよ」
庵道がそう言ってベンチから立ち上がると、男たちは庵道を警戒しているのか距離を保ったまままだ銃を持っていたが、そのうち庵道が本当に抵抗する気がないと分かると、車へと乗せた。
あまり車には乗らない庵道だが、こうして両脇に男がいてすし詰め状態は嫌だと感じた。
目隠しもされているため、耳から入る音の情報と、肌で感じる空気の情報しかない。
「俺に聞きたい事があるって、一体何を聞きたいんだ?俺に用があるなら自分で来ればいいんじゃないか?」
「忙しい方だ」
「忙しいなら俺の相手なんてしてる暇ないと思うけどな」
「先に聞いておくが、お前、煙草吸ってないよな?」
「煙草ぉ?吸ってない。あんな金のかかるもん、誰が好き好んで吸うかよ」
「ならいい。臭いに敏感な方だ。煙草だけじゃなく、香水や化粧、体臭なんかでも嫌がるのでな」
「神経質?」
「口を塞がれたくなければ、大人しくしておくことだ」
「お宅らから聞いてきたんだろ?俺は丁寧に答えただけだって。それにしても、腹減ったな。着いたら何か出してくれるのか?」
すると、じゃき、と冷たい金属音と共に、庵道は自分の頬に何か冷たいものを突きつけられた。
それが銃口だと分かるのはすぐのことで、やれやれと庵道は口を閉じた。
真っ暗な視界からは何も分からないが、目的の場所が近づくにつれて、男たちの身を纏う空気がピリピリしてきたのを感じた。
時間にすると多分、40分かそのくらいだと思うが、目的地に到着すると、庵道の背中を押すようにして何処かの部屋へと誘われた。
椅子に座らされ、ようやく目隠しがはずさえると、庵道の目の前には1人の男が立っていた。
他の男たちは部屋から出て行くと、その男は話し始める。
「久しぶりだな、庵道啓志」
「やっぱりあんたか。杉原潦太」
庵道を拘束することもなく、杉原は庵道にコーヒーを淹れてそれを差し出した。
毒や睡眠薬が入っているのではと疑うところなのだろうが、庵道は少しも迷うことなくコーヒーを飲んだ。
その様子を見て、杉原は尋ねる。
「敵が渡したものを口にするなんてな」
「俺を生きたまま連れて来たのは、俺に聞きたい事があるからだろ?」
「・・・相変わらず、嫌な性格だ」
「お互いに、な」
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