第5話 阿修羅
春の暖かな陽気に包まれながら、流転は高校へ行くために停留所にてバスを待っていた。
暦に嫌われ者とは一緒に歩きたくないと言われたことはかなり引きずっていた。
そこまで言わなくても良いのではないか、と考えたが、それはいくら何でも自分主体で物事を捉えすぎている。
前提として流転と暦は何年も会話という会話をしてこなかった。
実家では先述した通り暦は無口になったというかあまり流転に干渉しなくなった。
それに加え女子特有の時期と言うのもあるだろうが、いつもじいさんと喧嘩していた。
それは全てじいさんが暦のことを理解していないがために起こった仕方のない出来事である。
全て暦の完全勝利、じいさん涙目という結果で幕を閉じていた喧嘩だったが、そのあたりからか、暦は流転やじいさんに一切期待を示さなくなった。
流転は少し思うところがあった。
暦の性格が変わったのは清々が居なくなってからだ。
つまり、暦は清々のことが好きだったのではないか、と。
そこに特別な感情があるにしろ無いにしろ、気に入っていたことは確かなので、居なくなったことでの悲壮感は少なからず感じていたのだろう。
乙女心はわからない―――と突っぱねてもいいのだが、それでも暦は流転にとっては掛け替えのない大切な家族だ。
どんなに嫌われようが、憎まれ口を叩かれようが、それは全て受け入れる覚悟でいる。
それに、暦には聞かなかったがもう既に友達がいるのかもしれない。
だとしたら尚更流転との交友関係を周知されたくないのは当然の理屈だろう。
実際今も周囲には流転の方を見ながら耳打ちをしている学生が何人もいる。
友達のいない流転なら失う物はないが、暦にはもう失いたくないものができたのかもしれない。
バスが到着して乗り込む瞬間、その声は聞こえた。
≪―お前の思考はつまらんな―≫
脳内で何者かの声が響いた。
流転は驚くような素振りも見せずただそれが日常のように受け流した。
「最近出てこないと思ったら…今頃何しにきやがった」
言いたいことは沢山あるが何とか堪えつつ、思考に干渉してきた理由を小声で問いただした。
≪―おいおい、独り言には気を付けろよ。更に嫌われるぞ―≫
その声は心配するような優しい差がこもった声などでは無く、嘲るような笑みを浮かべた声だった。
彼は「
五年前、流転が十歳の時、突如として思考に干渉し始めた存在で、当初は流転をサポートするような姿勢を取っていた。
だが、徐々に流転の思想に反発するようになり、関係性は悪化。
ここ最近まで一切の流転との繋がりを切っていた。
因みに流転が掲げる思想という物は、強き者が弱気者を従え、支配することの合理性や、優位性に賛同するような思想の事だ。
阿修羅は流転の思考を常時汲み取っているため、思想の変化には誰よりも早く気が付いた。
その当時、阿修羅は流転に対し、深く失望していた。
そしてそれと同時に、自分の教育者としての技量に絶望した。
流転にとって阿修羅という存在は唯一の理解者であり、じいさん―――流転の師匠と同じ教育者としての立ち位置にいた。
それほどまで近しい存在だった阿修羅を失った事実は流転を大きく傷つけた。
そしてそれはまた、流転の中の弱肉強食的思想に傾きかけた唯一の抑止力が失われたことも意味していた。
「黙れ」
流転は阿修羅の言葉を一蹴した。
しかしその声はかなりの声量だったらしく、目の前の優先席に座り、バカ騒ぎをしていた髪を金髪に染めた二人組の不良高校生の耳に入ってしまった。
二人の不良は後方を確認すると流転を睨みつけ、ニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「おい、お前なんか言ったか?」
明らかな挑発に聞こえる不良の声に流転の堪忍袋の緒が切れた。
先程から阿修羅との会話で苛立っていたところに不良からの挑発だった。
それに周囲を一瞥すると寝ている赤ん坊を抱えた母親や、杖で揺れる身体を何とか支えるご老体の姿もあった。
抑えられなかった。
「黙れっつったんだよ」
まさか挑発に乗ってくるとは思わなかったのか、一瞬驚いたような素振りを見せたが、面白そうな新しいおもちゃを見つけた子どものように笑みをこぼすと言った。
「次降りろ」
もちろん従わずに事を済ますこともできる。
いまから謝罪の一つでも言えば許してもらえるかもしれない。
だが、流転はこの状況を考えた。
そして邪魔者は退場する方が良いと気付いた。
「わかった」
流転は一切の迷いを見せず次止まる意思を運転手だけでなく、不良そして乗客全員に示した。
周囲の流転の昨日の蛮行を知る者たちは驚いたように目を丸くして一連の騒動を見ていた。
バスが止まった。
流転はバスから降りると、二人の不良もバスを降りた。
三つの害悪因子を吐き出したバスは軽くなったように勢いよく出発した。
「覚悟はできているんだろうな」
二人の不良に言われるがまま、後に付いて行った。
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