第3話 幽霊
「なんで入学初日に全校生徒から嫌われてんの」
キッチンで料理をしていた流転に居間から唐突に声をかける暦。
その声は少々覇気をまとっていた。
「嫌われるようなこと言ってないんだけどな」
暦に聞こえたのかはわからない程度の声量で流転が答えると暦は大げさにため息をついた。
「じじいにも良く忠告されてたじゃん。偏見で前が見えなくなることがあるって」
「じゃあどうすれば良かったんだよ!!」
流転はつい暦の声に反発して暦に近づき、大声を出してしまった。
しかし暦は一切動じず、真っすぐ流転の目を見つめ、諭した。
「―――だからまずは知らなきゃ。誰だって初めは知らないんだから」
暦の真っすぐな目を見て、すべて見透かされたように感じた流転はやり切れず、俯いた。
「…すまん」
「いいよ、私なら。でもこれが他人だったらダメってこと、わかった?」
二人の間には他の人間には想像すらできないほど同じ時間を共有している。
いつのまにか形成された強固な絆は、お互いの事をほぼ知り尽くした信頼を基に形作られていた。
「わかったなら早く料理作れ」
目にもとまらぬ速さで横蹴りを喰らわされる流転。
脇の下は大ダメージだった。
(飴と鞭か…)
脇を抑えながらキッチンへ向かおうとすると以外にも暦から呼び止められる。
「ねぇ、この部屋って月1万、普通に安すぎるよね、いる?」
流転は何を言われたのか一瞬判らなかったが、すぐに何を言わんとしているのか理解できた。
「いるぞ。天井に張り付いてる」
「さすがに見つけるのは早いね」
言われて暦も天井を見上げる。
そこには一般人には見えない、持っていない人ならば気配すら感じることないかもしれない。
この部屋は月1万円、住む人間は一日でいなくなってしまうと言われる物件―――いわゆる事故物件というやつだった。
「いつ除霊する?」
「飯食ってからでいいだろ」
一切恐れることなく生活の一部のように振る舞う二人に恐れを抱いたのは誰でもない、幽霊自身だった。
≪ちょ、ちょっと待ってくださいッ!!≫
流転と暦は一切迷うことなく声のした方向―――つまり天井を同時に視る。
≪私が視えているんですか…?除霊って…冗談ですよね?≫
はは、と笑う幽霊は人型をしているが輪郭が曖昧でまるで煙のようにぼんやりしていた。
「いや、ほんと。悪いけど出てってもらうわよ」
暦が冷酷な言葉を掛ける。
「運が悪かったな。俺たち、お前らの専門なんだ」
ばつが悪いように流転が声をかけると幽霊は泣き始めた。
≪そんな…そんなことって…わたし、まだこの世に未練があるんです…!!≫
「未練が無い奴はとっくに成仏してる」
≪お願いです!悪さも何もしませんから…!!≫
暦はこの道のエキスパートのように一つため息を吐くと淡々と告げた。
「大体悪霊っていうのはそう言う。試しに放置したこともあった、でもすぐに本性を現した。私を殺しに来た。だから祓ってやった」
ひいいと萎縮する幽霊。
「こちとら立て続けにハプニングが起きてるの…あまり刺激しないことね」
頭を抱え、イライラしている様子の暦。
流転は暦が思うハプニングに自身の蛮行も入っているだろうと反省した。
彼は別に周囲が全く見えていない偏見だらけの愚か者ではない。
ただ、時々ヒートアップするとなりふり構わず自分でも口に出すことをためらうようなことを言ってしまう性質なのだ。
それが彼の中に眠る潜在的な能力の片鱗であることは今は誰も知らない話。
「ほら、料理できたぞ」
段ボールを逆さまに設置し、机に見立てた箱の上に食事を並べる流転。
暦も何も言わず食事の準備を始める。
あたかもそれが当たり前かのように。
≪食事ッ!!そうだ!今度から私が食事を作ります!!≫
いただきます、と手を合わせた二人に向かって突然話し出す幽霊A。
暦は無視し、箸を握って主食を突き始めた。
「突然どうした?」
困惑する流転に幽霊は言った。
≪この食事が終わった後、私は祓われるんですよね…もしも祓わないという約束をしていただけるのであれば、私は専業主婦として永久に仕えます!≫
どうですか?という消え入りそうな声に暦は食事をしながら答えた。
「永久って、ほんとに未練タラタラ。成仏する気ないじゃない」
「専業主婦なー、家事全般は俺らできるしな」
「まぁ私しないけど」
「そうでした俺だけでした」
掃除炊事洗濯もろもろ、これから一人でやっていくとなると少々気が重いというのは正直なところだった。
(ぶっちゃけ手伝ってくれるならありがたい…)
だが、そんな提案をした場合、イラついている暦からは叱責されることは間違いない。
そうした後、家事全般を本格的に負担させるように罰を与えるのがオチとして見えている。
流転は場を濁すように幽霊に提案した。
「なぁ、姿を現すことはできないのか?」
現状幽霊の姿は煙のように判然としない。
先程から声のように聞こえているのは脳内に幽霊が干渉することで語りかけている―テレパシーのようなものだ。
聞こえないはずのモノが聞こえる―それだけで普段は使われない神経が刺激され、疲労が蓄積してしまうものだ。
暦が苛立っているのもそれが一役買っているだろう。
≪もちろんできますよっ≫
えいっという可愛らしい掛け声のようなものが響き渡ると煙から女型の幽霊が姿を現した。
白装束に身を包み、黒髪ロングの髪型は艶があり、出るところは出て引っ込むところは引っ込んでいるスタイルの良いお姉さんのような姿をしていた。
流転の方を見てニコリと微笑みかけると流転は思わずドキリとしてしまった。
それを視認した暦は箸をそっと置き、胸の前で印を結んだ。
「オンベイ シラマンダヤ ソワカ オンベイ シラマンダヤ ソワカ…」
天井に向かって大きな黒い渦が発生するとともに、何かが蒸発するような音が響いた。
「きゃーーーー!!
引力に逆らうように天井を高速で動き回る幽霊。
暦は止まる気配が無い。
一心不乱に唱えていた。
それを止めたのは他でもない、流転だった。
「や、止めろ!暦!除霊には順番があることを忘れたのか?!」
流転に言われ、ぴたりと詠唱を止めた。
除霊を行う際には多くの手順を踏まなければならない。
除霊と言うのは霊と一時的に対等な立場になって接する、つまり、適切な順番で事を進めないと悪霊に取り憑かれる危険性だってあるのだ。
「お前らしくないぞ、一番除霊の危険性はわかってるはずだろ」
流転が警告をするが
「…うるさ、幽霊ごときに鼻の下伸ばしてたくせに」
嫌味たらしく返された。
だが、実際思い当たる節があったのか、言葉を止める流転。
関係回復にはまだまだ時間がかかりそうだ。
「た、助かった…」
ぜえはあ言いながら呼吸を整えるお姉さん系幽霊。
片手で額の汗を拭うモーションをすると流転の後ろに隠れた。
どうやら流転なら取り急ぎ祓うことはしないだろうと考えたようだ。
しかし、その行為は暦をまた激怒させることになる。
再び印を結んだ。
因みにここで言う「印」とは、手を使用しとある意味を持った特定の形を形成することで効力を発揮するものと定義しておく。
暦の手はじゃんけんのチョキを出した片手を空に向け、突出した二本の指をくっ付けた形をしていた。
「印」は様々存在するが、暦のこの「印」が一般的に使われる「印」として解釈してもらって差し支えない。
「落ち着け、暦。少し話を聞いてみないか?」
「悪霊に傾ける耳なんてない」
「そう言わずさ」
「わ、私からもお願いします!!」
やれやれと言わんばかりに溜息を吐くと、何事もなかったかのように夕飯を食べ始めた。
流転もホッと胸を撫で下ろし、箸を握った。
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