第89話 一閃
黒衣の男は、花之宮さんの攻撃を喰らって体が痺れていた。
しかし、その状態でも余裕は消えない。
にやりと笑みを刻み、ゆっくりとだが——立ち上がる。
「なっ!? わたくしの猛毒を喰らっておきながら……立てるのですか!?」
「当然よ。今の俺様はまさに闇の君主。闇の君主に毒など効くか」
「まともに喰らってたでしょうが!」
再び、紅さんが地面を蹴って黒衣の男に肉薄する。
拳を炎で覆い、何倍にも攻撃範囲を拡張した一撃を繰り出した。
「もうお前の動きは見たよ」
黒衣の男は、紅さんの攻撃を片手で止める。
わずかに男から魔力の波長を感じた。恐らく、俺と同じ能力を使ったのだろう。
完全に威力を殺された彼女は、衝撃に目を見開く。
「くっ!?」
「次は俺様の番だ」
男は紅さんを蹴った。
わずかに魔力をまとった一撃は、紅さんを冗談みたいに吹き飛ばして結界に激突。重力に従って地面に転がった。
「紅さん!」
「油断しないでください、明墨さん! 来ますよ!」
「さあ! 今度こそお前の番だ!」
黒衣の男が、花之宮さんの構築した防壁を崩壊の魔力を込めて貫く。
再生より崩壊のほうが早い。おまけに、崩壊しては魔力の効果を発揮できない。
次第に再生能力自体を失い、やがて貫通する。
「死ね、不快な男!」
「させんよ」
キィィィッッ!!
眼前に迫った黒衣の男。その男の胸元が、斜めに斬れた。
深く斬れたのか、大量の鮮血が舞う。
「剣さん!」
「たまにはこの老骨も働かねばなるまい。若者ばかりに重荷を背負わせるのはちょっとな」
今のは剣さんの攻撃だ。
相変わらず魔力が感知しにくい。その上で速く、鋭い。黒衣の男も回避が間に合わずダメージを受けた。
地面を蹴ってわずかに後ろへ下がる。反対に、剣さんは前に出た。
「防御は任せたぞ、明墨くん。閻魔殿での君の働きを私は信じている」
「は、はい! 任せてください!」
「では、わたくしは紅さんの治療にあたります」
花之宮さんだけが紅さんのほうへ向かい、俺は魔力を展開。剣さんがゆっくりと人型モンスターのもとへと向かった。
「くぅ! 猿の中にもまだこれほどの使い手がいるとはな……感じるぞ、爺。貴様から特大の力を。強いな」
「当然だ。私はまだまだ日本を……この国を引っ張らねばならぬ」
人型モンスターの傷がみるみる内に再生していく。
簡単には死なないらしい。もうひとりの人型モンスターと同じだな。
「小生も協力しますよ。二人であの老骨を倒しましょう」
「うむ。やるべきことが多いからな……時短は大事だ」
そう言って二人は同時に地面を蹴った。
左右から挟みこむようにして剣さんに襲いかかる。
すぐさま俺は剣さんの周りに魔力を這わせて——キィィィッン。
相手の攻撃を防御する前に、再び二体の人型モンスターが斬れた。
「ッ」
「ぐ、——え?」
黒衣の男は腕を切断されただけだ。ギリギリで攻撃を見切りやがった。
しかし、もう片方の男は首を刎ねられる。反応すらできずに絶命した。
——つ、強すぎる……。
紅さんですら攻撃を防がれ、吹き飛ばされた相手を前に……剣さんはまったく近づけさせずに圧倒している。
驚くのはその攻撃速度と——範囲。
明らかに剣が届く距離じゃないのに、相手は攻撃を受けている。二十メートルは離れていたのに、だ。
「どうしたのかね? 私を倒すのだろう? もっと近付かなくてもいいのか?」
「……チッ。粋がるなよ、爺。たしかに近接戦はお前のほうが有利かもしれないが、こっちは距離を離した状態でも戦える!」
バッとさらに後ろに下がった黒衣の男。
三十メートルを超えてさらに離れる。
お互いの距離が五十メートル——結界のギリギリの範囲まで離れると、その手に黒い魔力を集中させた。
「崩壊の一撃を受けるがいい。防御は無駄だ。その防御ごと貫いて削り殺してやる!」
「…………」
巨大な魔力が男の手のひらに集まっていた。
しかし、それを見ても剣さんに一切の動きも動揺もない。
ただただ水面のような真顔で相手を視界に捉えている。
「——いいのかね? それで」
「……あ? なんだ、てめぇ。遠距離からセコセコ相手を倒すのは流儀に反している、とかふざけたことは抜かさないよな?」
黒衣の男が口汚く言った。
剣さんは首を横に振る。
「いいや。まずはこの結界を壊すのが最善ではないのかね?」
「ハハッ! どうだかな。結界がなくなればお前らにも逃げられる可能性があるだろう? だったら、お前らの土俵で戦ってやるさ」
「こちらはいつでも解けるのだがね……」
「なら解けばいい。わざわざお前らを無視してまで破壊する意味がないからな!」
「そうか……残念だ。その程度の距離で私の攻撃が避けられると思っているのなら……な」
「——は?」
人型モンスターは一瞬にして真顔になる。
剣さんの言葉の意味を理解したのだろう。理解したときには——すでに攻撃は放れていた。
五十メートル先の黒衣の男の腕が、再び切断された。
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