3-2


 その日の昼休みも、染井は莉子をむかえに来てくれた。

「弁当、一緒に食べようか」

「うん」

 染井はいつも莉子に手をべてくれる。その感情がどこから来るのか莉子にはわからない。形式上とはいえ彼女だから優しくしてくれているのかもしれない。

 それなら、莉子はその形式上だけの彼氏に対して何かできているのだろうか。助けてもらって、手を差し伸べてもらってばかりで何も返せていないのではないか。

「どうかした?」

 黙ったまま自分を見つめる莉子に、染井は不思議そうな表情を浮かべる。

『好きな子に名前を呼ばれて嫌がる人なんていないよ』

 不意に、美春の言葉がよみがえる。

 好きな子、じゃないことは莉子が一番知っている。染井は莉子に対して何の感情も持っていない。それでも、今の莉子は染井の彼女だ。それで、あれば。

「なんでもないよ。行こっか……悠真くん」

「そっか。……え?」

 頷きながら返事をした後、染井は驚いたように莉子を見た。その顔は困っているような、戸惑っているようななんとも言いがたい表情をしていた。少なくとも美春の言っていたような喜んでいる表情には見えない。

 喉の奥にすっぱい何かがこみ上げてくる気がする。それを慌ててむと何でもない表情を作った。

「何?」

 普通に言ったつもりだったのに、上手く声が出せずかすれたような声になってしまう。ごまかすためにせきばらいをしてみせたけれど、染井はそんな莉子の態度なんて気にも留めていないようで、手のひらで口元をおおうと視線を逸らした。

「どうしたの?」

「や、えっと、今、俺のこと……」

「……別に、悠真くんだって私のこと莉子って呼んでるんだから変じゃないでしょ?」

「まあ、そうなんだけど。ビックリして」

 ビックリしただけ、であれば嫌がっているわけではないのかもしれない。そう思うと少しだけ安心する。これで嫌がられでもしていたら勇気を出して名前を呼んだ意味がない。

 いや、別に名前で呼んだからといって何がどうっていうわけではないのだけれど。

 昼休みでざわついているはずの教室の中で、染井と莉子の周りだけまるで音がなくなったようにふわふわしたような、それでいてどこか気まずいような空気が流れていた。

「莉子?」

「な、なに」

「や、難しい顔してたから。えっと、とりあえずみんな待ってるしお弁当食べようか?」

「あ、うん」

 難しい顔をしてるのは、染井の方でしょ。そう尋ねることはできなかった。莉子は染井にうながされるまま立ち上がると、井原たちが待つ方へと向かった。

「あ!」

 嬉しそうな声に顔を上げるとそこには美春の姿があった。昨日は木内と二人で食べていた美春だったけれど今日は木内とともに、こちらで一緒に食べるようだ。

「こっちこっち」

 手招きをされ、染井の正面ではなく美春の隣に座る。少し気まずかったから助かった。

「悠真、どうしたんだよ」

 弁当箱を机の上に置いていると、井原のからかうような声が聞こえた。

「何? りこちん迎えに行って何かしたの? そんな照れた顔しちゃってさ」

「え?」

「は? 照れてなんかねーし」

 莉子と話すときよりもくだけた口調で言い返す染井の表情は、どこかムキになっているようにも見えた。

「噓つけ。僕にはわかるぞー。その顔は昔、三組のあさちゃんにラブレターをもらって嬉しさを隠してたときと同じ顔だ!」

 三組の朝美ちゃん、が誰かはわからないけれど井原の言うことがたしかなのだとしたら、もしかして……。

「……うるさい、それ以上しやべるな」

「わ、図星か? ったく、りこちんに何をしたんだ?」

「したんじゃねえよ」

「え、ってことはまさか!」

 井原たちの視線が急に莉子へと向けられた。その視線からあらぬ誤解を受けたことに気付き、莉子は慌てて否定した。

「ち、違う。私は何も……!」

「えーりこちんってば積極的ー。何したのー?」

「美春まで……。って、あ」

 呼び方を間違えたことに気付いたのは、美春が嬉しそうに莉子を見ていたからだった。

「ね、今私のこと美春って呼んでくれた?」

「……何、ダメだった?」

「わー、嬉しい! ねえ、そうちゃん。私もりこちんと仲良くなれたよ」

「ホントだ、よかったね」

 何がよかったのかわからないけれど、木内と美春は顔を見合わせると小さくハイタッチをした。このテンションにどうついていったらいいのかわからない。

「それで? りこちんははるくんに何をしたの?」

 話が逸れたかと思ったのに、しっかりと美春は莉子に食いついてくる。莉子は一瞬、染井に視線を向けるとおそおそる口を開いた。

「だから、一緒だよ」

「一緒って?」

「……染井にも、美春にしたように呼び方を変えたの。……その、悠真くんって」

「……それだけ?」

「それだけ! でも、美春と違って染井は喜ばなかったみたいだけど」

 あれ? でも、井原いわく先程の顔は染井の照れているときの表情らしい。と、いうことはもしかして。いや、でも井原のかんちがいということも。

 ほんの少し期待し、それからいやそんなことはないと、抱いたあわい期待を自分自身で否定して染井へと視線を向ける。

 自分の席に座る染井は、莉子と視線が合うと困ったように目を逸らした。

「……喜んだ、の?」

「……別に」

「じゃあ、やっぱり喜ばなかったの?」

「……そんなこと、ない」

 染井の表情は相変わらずだ。付き合いの浅い莉子には、この表情から染井が何を考えているのかまではわからない。そんな莉子の肩を大城がトントンと叩いた。

「耳、見てみ」

「耳?」

 笑いをかみ殺しながら言う大城の言葉に、莉子は視線を染井の耳へと向けた。

「噓……」

 染井の耳はわかりやすいほど真っ赤に染まっていた。その色は言葉よりも表情よりもゆうべんに語っていた。

「嫌じゃ、なかったんだ」

「嫌なんて一言も言ってないよ」

「じゃあ、嬉しかったの?」

「……そりゃまあ、ね」

 相変わらずの表情だけれど、それが照れているのだとわかってしまった今となっては、逆に莉子の方が照れてしまいそうになる。

「そっか」とわざと素っ気ない言い方をする莉子に、気付けば美春たちがあたたかい視線を向けていた。

「ラブラブだねぇ」

「ホントにねぇ」

 からかうような言葉を聞き流して、莉子は弁当箱を開ける。普段と同じ、ほとんどが前日の晩ご飯を詰めた弁当だ。ゆいいつ、朝焼いた卵焼きを口に入れる。ほんのり甘い卵焼き、それがなぜだか今日はいつもよりも美味しく感じられる気がする。ふわふわとした気持ちのまま、ふと染井に視線を向けた。

 染井は朝、莉子がわたした紙袋をちょうど開けているところだった。取り出した弁当箱の蓋を開けた瞬間、パッと表情が明るくなるのがわかった。

 その姿にどこか気恥ずかしくなって思わず目を逸らしてしまう、染井のことなんて気にしないように、そう思いながらおかずを口に運ぶ莉子の耳に「あれ?」という声が聞こえた。

「悠真、珍しく弁当なんだ? しかも手作りじゃん。どうしたの、それ」

「……いいだろ、別に」

 不思議そうに言う木内に、染井は素っ気ない態度を取る。そして──。

「あ……」

 莉子の方を見て嬉しそうに笑った。その表情に莉子は俯き目を逸らす。そんな莉子とは対照的に、ざとく染井の表情に気付いたらしい木内は「あれ?」と声を上げた。

「悠真さ、今りこちんの方見て笑ってなかった?」

「さあね」

「えー、なんだよ。教えろよー」

「秘密ー」

 不服そうな木内とどこか嬉しそうな染井。二人の声を聞きながら、莉子は顔が上げられずにいた。


 染井や美春たちとの昼食は楽しいものとなった。「りこちん、りこちん」と何度も美春が莉子に話しかけるので、ちゆうからあからさまに木内が頰をふくらませ「みーちゃん、僕のことも構ってよ」なんて言ってねていた。その姿に思わず笑ってしまった莉子を見て染井も笑っていた。

 弁当を食べ終わると、莉子は一人教室を出た。担任にプリントを提出し忘れていたのと飲み物を買いたくなったから。染井──悠真が「ついていこうか?」というような顔をしていたけれど、井原たちと話が盛り上がっていたので静かに首を横にった。

 職員室で担任にプリントを渡すと、わたろうにあるはんで飲み物を買い教室へと戻る。あと数段で階段を上りきるというところで、莉子の視線の先に誰かのかげが見えた。

 ぶつかるのを避けるため顔を上げると、そこには真凜と戸川たちの姿があった。

「…………」

 話をすることはない。莉子は真凜を避けるように階段を上りきる。けれど、なぜか真凜は莉子の前にふさがった。

「……何?」

「ね、そろそろこうかいしてるんじゃない? 私たちのグループを抜けたこと」

 笑いながら真凜は言うけれど、莉子にはその言葉の意図がわからない。いったい真凜は何を考えているのだろう。

 莉子が黙ったままでいるのをこうていと受け取ったのか、真凜は口角を上げると嬉しそうに笑みを浮かべた。

「まあねー、私もちょっと莉子にイジワルしすぎちゃったかなって反省してたの」

「え……?」

 真凜の口からそんな言葉が出ると思ってもみなくて、莉子は思わず口を開けたまま真凜の顔を見つめた。真凜は可愛い顔を悲しげに歪めて、しおらしい態度を見せた。

「好きな子にはイジワルしちゃうっていうか、莉子が他の子と仲良くするのが悲しくてついついあんな言い方しちゃったの。ホントは仲良くしたかったのに」

 そうだったの、と思えるほど莉子はバカではない。バカではないのだけれど──。

 大きな目に今にもあふれそうな涙をめている真凜を見ていると、もしかしたらという気持ちがてくる。

 真凜が莉子と仲良くしたいと思ってくれていた? 本当に?

 心の中のもう一人の自分がそんなわけないでしょ、とたしなめる。けれど、もしかして、本当は。そんなおもいをどうしても捨てきれない。

「あ……」

「ね、許してくれる? 今までのこと」

「……うん」

「よかったぁ。莉子ならそう言ってくれると思ってたの」

 真凜は莉子の両手をぎゅっと握りしめる。こんなふうに真凜の手にれたことなど今まで一度もなかった。

「えへへ、私ねヤキモチいちゃったの」

「ヤキモチ?」

「そう。悠真君と莉子が仲良くしてるのを見て、うらやましくなっちゃった」

「っ……」

 そういうことか、と莉子は自分の表情がかたくなるのを感じた。結局のところ、真凜は莉子が悠真のそばにいるのが気に食わなくて──。

「あ、誤解しないでね。莉子にじゃなくて、悠真君に対してだからね」

「え……? 悠真くんに?」

 思いも寄らない言葉に、聞き返してしまう。けれど、その瞬間莉子の手を握る真凜の手に力が込められた。

「いたっ」

「あ、ごめんね。莉子が悠真君を『悠真くん』なんて呼ぶからビックリしちゃって。前まで染井って呼んでたよね? 呼び方変えたんだぁ」

「えっと、うん」

「ふ〓〓〓ん? やだなぁ、莉子が悠真君と仲良くなるの。私たちの莉子を取られたみたいでしつしちゃうなぁ。ねー?」

 周りにいた戸川たちに真凜は同意を求める。戸川たちは口々に「そうだよね」「悲しいよね」と言い始める。その口調はなぜか莉子を責めているようにすら聞こえた。

「だからさ、そろそろ戻ってこない? 莉子だって寂しいでしょ? ね、私たち友達じゃん」

「とも、だち」

 友達という言葉につい頷いてしまいそうになる。けれど、胸の奥にさった何かがチクリと痛む。

 本当に友達だったのだろうか。真凜の莉子に対する態度もそうだけれど、莉子自身も真凜のことを友達だと、友達になりたいと本当に思っていたのだろうか。

 ただ一人になりたくなくて、グループから外れたくなくて利用していただけではないのか。それは本当に友達だと言えるのだろうか。

 黙ったまま何も言わない莉子に何を思ったのか、真凜は「しょうがないなぁ」と笑った。

「ね、これあげる。仲直りのしるし」

「ストラップ……?」

「そ。この間、パパが仕事で海外に行ってたんだけど、私と友達の分って言って買ってきてくれたの。莉子にもあげる。友達にしるし」

 ピンク色のハートがついたストラップを、半ばごういんに真凜は莉子へと渡そうとする。「ありがとう」と言って受け取れば、元に戻れることはわかっていた。でも──。

「……い」

「何? 何か言った?」

「いらないって言ったの!」

「……は?」

 莉子の言葉に、最初こそ戸惑いを隠せなかった真凜だったけれど、だいにその表情はいかりへと変わっていった。莉子は真凜が押しつけようとしていたハートのストラップをかえすと、まっすぐに真凜を見つめる。

「何よ……! 黙って受け取ればいいじゃない!」

 黙ったまま動かない莉子にしびれを切らしたのか、真凜は莉子のポケットに無理矢理手を突っ込み、スマホをうばった。

「やめっ……!」

 スマホについていたティールのストラップを見て、真凜は小馬鹿にするように笑った。

「わ、何これ。しゆの悪いうさぎがついてんじゃん。こんなの好きなの? こんな変なのより私のあげたやつの方が絶対可愛いじゃん。さっさとこんなもの外して、私のあげたハートつけなよ」

 まるでそうするのが当たり前だと言わんばかりの態度を取る真凜と、後ろで頷く戸川たち。けれど──。

「返して、私のスマホとストラップ」

「は? 何? 莉子何か勘違いしてない? あんたに私に命令する権利なんてないのよ」

「そんなのどうでもいいから返してよ!」

「よっぽど大事なものなのね。いいわ、じゃあ返してあげる」

 真凜はスマホを差し出す──けれど。

「ああ、でもこれは趣味悪いから捨てた方がいいと思うわよ。ふふ、だから代わりに捨ててあげる」

「やっ──」

 右手にスマホを持ったまま、左手でティールを握りしめると、真凜はそのまま勢いよくティールを引きちぎった。

「バイバーイ」

 楽しそうに笑うと、ティールを、階段の下へと投げ捨てた。

 必死だった。何も考えられなかった。

 気が付くと莉子は、無意識のうちに階段の方へと身を乗り出していた。視界がゆっくりと回転していく。ころしたような悲鳴と、それから──。

「自分で落ちたんだからね! 私、知らない!」

 さけぶ真凜の声を聞きながら、莉子は自分の身体が落ちていくのをまるでスローモーションのように感じていた。

「っ……」

 瞬間、言葉にならないほどの痛みが全身を襲う。

 骨が折れているかどうかはわからない。ただ血が出ていないことだけが、せめてもの救いだった。

 誰かが来る前に立ち上がらなければ。心配されるよりも、教師を呼ばれて大事になるのが嫌だった。必死でりに手をばし立ち上がろうとする。

 そんな莉子の手を誰かが摑んだ。

「りこちん!」

「み、はる……?」

 顔を上げると、莉子の目の前に真っ青な顔をした美春の姿があった。どうしてこんなところにいるのだろう。そう思うけれど、上手く言葉が出てこない。

「大丈夫? 怪我は? 保健室行く?」

「だい、じょぶ……」

「絶対噓! ああ、もう。ちょっと待ってて」

「あっ……ダメ!」

 莉子はそうとする美春の手を必死に摑む。手摺りから手を離したことで、身体が崩れ落ちそうになる。そんな莉子の身体を、美春は慌てて支えた。

「りこちん! 何やって……」

「先生には……言わ、ないで」

「っ〓〓。もう! 言わないよ! だからちょっと待っててね!」

 美春は莉子の身体をその場にそっと座らせて、それから一つ飛ばしで階段をがっていった。

 教師には言わないという美春の言葉に安心して、莉子は壁に背をもたれかからせた。大きな怪我はないと思ったけれど、左足が痛い。もしかするとねんをしてしまったのかもしれない。

 とはいえ、階段の一番上から落ちて捻挫だけで済んだのであればそれは不幸中の幸いだろう。

 握ったままになっていた手をそっと開ける。そこには泣きながら笑うティールの姿があった。思わず莉子の口元にも笑みがかびがる。

 ふう、と息を吐くのと、遠くから誰かの廊下を走る音が聞こえてくるのが同時だった。

 誰か、なんて見えないのに。足音しか聞こえないのに。悠真だと、そう思うのはどうしてだろう。

「莉子!」

 だからその声が聞こえたときに、安心するというよりも予想が当たっていてふっと笑ってしまった。

「やっぱり、悠真くんだ」

「何言ってんの。大丈夫? 階段から落ちたの?」

「うん、ちょっとバランスくずしちゃって」

「……ホントに? 落とされたんじゃなくて?」

 悠真の言葉に、莉子は首を振った。落とされたわけではない。結果としてきっかけは真凜があたえたとはいえ、あの場でティールを取り返すために階段へと身を投げたのは莉子自身だ。けれどそれを言ってしまえば、自分があげたティールのせいで、と悠真が気にむのはわかっていた。

 悠真はまだなつとくしがたいような険しい表情を浮かべていたけれど、莉子が左足首を押さえているのに気付くと、心配そうに声をかけた。

「足、どうかしたの?」

「捻挫しちゃったみたいで」

「見せて。……酷いな」

 手をどけると、すでに足はれ始めていた。先程よりもズキズキと痛む。

「先生に言うのは嫌だって上野から聞いたけど、保健室には行った方がいいよ」

「でも……」

おくきた真凜たちの名前を出したくないのであれば、自分で落ちたって言えばいいから。とりあえず保健室で診てもらわないと、もしも骨が折れてたりなんかしたら大変だから」

 真剣な表情で言う悠真に、莉子は静かに頷いた。

 保健室に行く、と決めたのはいいけれど一つ問題がある。どうやって保健室まで行こうかということだった。

 先程、立ち上がるために左足に体重をかけただけでも激痛が走った。そんな状態で歩くなんてできるわけがない。悠真に肩を貸してもらえればなんとかなるだろうか──。

「はい、じゃあ乗って」

「え?」

 莉子の前にしゃがむと、悠真は背中を向けた。乗って、という言葉の意味を一瞬、理解できなかった。

 や、でもこれは。まさか。

「あ、あの」

「どうしたの? 保健室に連れて行くから、ほら早く乗って」

「や、無理だよ。乗るなんてそんな……」

「何言ってるの。その足じゃ歩けないでしょ? あ、それともおひめ様抱っこの方がいい?」

「おっ……」

 悠真の言葉に、お姫様抱っこをされているところを想像して顔が熱くなるのを感じる。おんぶでさえ恥ずかしいのに、お姫様抱っこなんてえられるわけがない。

「それはもっと無理」

「じゃあほら、あきらめて早く上に乗る」

「う、ううっ……」

 どうがんっても悠真はゆずってくれそうにない。肩を貸してくれればなんとかなるのに、と思ったけれど、そんなことを言おうものなら問答無用でお姫様抱っこをされてしまいそうな空気すら感じる。

 莉子は諦めて悠真の肩にそっと手をかけようとし、躊躇ったままその手は宙で止まった。

「お、重いよ? つぶれちゃわない?」

「それぐらいで潰れないよ。ほら、大丈夫だから」

 両手を悠真の肩に置き、どうやって体重をかけようかと悩んでいると悠真は莉子の手を引っ張った。

「きゃっ」

 そのまま悠真が立ち上がり、莉子の身体は浮かび上がる。慌てて悠真を後ろから抱きしめるような形で摑まると、悠真は莉子の足に腕をからめて落ちないようにしっかりと固定した。

「ホントに、大丈夫?」

「大丈夫だから、しっかり摑まってて」

 一歩ずつ悠真は歩き出す。背中越しに悠真のぬくもりが伝わってくる。

 真凜たち偽物の友達と、偽物の恋人の悠真。どちらも同じ偽物のはずなのに、悠真の背中から伝わってくる温度は優しくあたたかく、心まで温めてくれるようだった。

「悠真くんの背中、あったかい……」

「……そう」

 ポツリとつぶやいた莉子に、一瞬の間のあと、悠真は小さく相づちを打った。

 階段を下り、保健室に続く廊下を歩いていると、近くにいた生徒が莉子と悠真を見て指を差して何かを言っているのが見えた。

 けれど今の莉子に、そんなことを気にする余裕はない。自分の心臓の音がうるさすぎて周りの喧噪も何も聞こえてこない。聞こえてくるのは自分の鼓動とそれから──。

「あ……」

「どうかした?」

「ううん、なんでもない」

 背中越しに悠真の心臓の音が伝わってくる。莉子のものよりも随分と速いその鼓動の音は、悠真がどうびようであることを嫌でも思い出させる。

 そうだ、悠真はあと三ヶ月でこの鼓動を止めるんだ──。

 思い出した事実は、莉子の胸の奥を重く沈ませる。

 悠真は自分のことを好きにならないで欲しいと、そう言っていた。でも……。

 辛いときはそばにいてくれて、苦しいときはいつだって駆けつけてくれる。そんな悠真を好きにならないなんて、その方が無理だ──。

 悠真の肩に回した腕に力を込めるとぎゅっと抱きしめる。

 速くなる鼓動、熱くなる身体。全身が、悠真のことを好きだと叫んでいた。

 莉子が悠真のそばにいるためには、悠真のことを好きになってはいけない。だから、この気持ちは隠すか捨てるかどちらかしかない。

 好きだよ、悠真くん──。

「何か言った?」

「……ううん、なんにも」

 伝えることのできない想いを届けたくて、莉子はもう一度悠真の身体を後ろからぎゅっと抱きしめた。好きだよと、ありがとうの気持ちを込めて。





≪『この鼓動が止まったとしても、君を泣かせてみたかった』試し読みはここまで!≫


お読みいただき誠にありがとうございました♪


第7回カクヨムWeb小説コンテスト<特別賞>受賞作!!

泣けない少女と余命三ヶ月の少年の、

切なくも愛にあふれたラブストーリー。


……気になる続きは、


『この鼓動が止まったとしても、君を泣かせてみたかった』


(望月くらげ)


をご覧ください!!


詳しくは、ビーズログ文庫の公式サイトへ♪

https://bslogbunko.com/product/konokodou/322208000958.html

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

この鼓動が止まったとしても、君を泣かせてみたかった 望月くらげ/ビーズログ文庫 @bslog

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る