第二章 あの日と同じ青空の下で

2-1


 カーテンのすきからむ光がまぶしくては目を開けた。光をさえぎるように手のひらで目をおおう。真っ暗にもどった世界で、昨日のことを思い出し気が重くなるのを感じた。

「学校、行きたくないな」

 昨日の朝も同じことを思い、それでもなんとか自分を奮い立たせることができた。あれはまだそめのことだけだったからだ。

 でも今日はちがう。自分の居場所がないとわかっている場所に行かなければならない。こわい。怖くて怖くて仕方がない。教室に入った莉子にどんな視線が向けられるのか想像にかたくない。りんはきっともう莉子を友達だとは思ってくれないだろう。グループからはじき出された莉子を、やつかいの種みたいな莉子を自分のグループに入れてくれる子なんておそらくいない。

 みんな自分のところに莉子という名のやくさいが来ないことをいのっているはずだ。

 胃のおくがジクジクと痛い。息苦しくて胸が重い。

 それでも身体からだを起こしてパジャマをぎ制服を着る。弁当を作り朝ご飯は牛乳だけ飲んで、重くてしずんでしまいそうな気持ちを引きずりながら莉子はげんかんのドアを開けた。

「……え?」

 外に出たところでへいの向こうにだれかがいるのに気付いた。まさか、そんなこと。あわててしきの外に出ると、そこにはポケットに手を入れ、塀にもたれかかるようにして立つ染井の姿があった。

「なんで」

「おはよ」

「おはよ……って、じゃなくて。なんでここにいるの? だって染井の家ってうちと反対方向でしょ」

 莉子の問いかけに返事をすることなく、染井は手をつかむと歩き出す。莉子はその手に引っ張られる形となり、体勢をくずさないように追いかける。

「ねえ」

「…………」

「染井ってば」

「別に。いつしよに学校に行こうと思っただけだよ」

 意味がわからない。一緒に学校に行くためにわざわざこの時間に、高校を通り過ぎて反対方向にある莉子の家に来たというのか。

 風にかれたせいか少しだけ赤くなった耳とほお。いったい何時からあそこで待っていたのだろう。

「なんで、そんな」

「…………」

「私の、ため?」

 莉子が学校に行きたくないと思っているだろうから、一人であの教室に向かうのは不安だろうから。もしかして、それで──。

『じゃあ、おれのそばにいればいいよ』

 不意に昨日の染井の言葉が頭をよぎる。約束したから、だから……?

「別に。付き合ってるんだから、一緒に学校に行ったって変じゃないでしょ」

 染井はこちらをかえることなく言う。まっすぐ前を見ている染井がどんな表情をしているのか見えない。左手が寒くてスカートのポケットに入れる。染井とつながっている右手は、左手と比べてずいぶんとあたたかく感じる。

 ──染井って体温高いんだ。

 不意に頭を過った思考がみようずかしくて、慌ててはらうように莉子はわざとにくまれぐちたたく。

「これじゃあ付き合っているの、丸わかりじゃん」

 莉子のとなりで、染井が小さく笑ったのがわかった。

「昨日の一件で学校中にわたっているんだから今さらだろ?」

「……たしかに」

 いや、その知れ渡らせるきっかけは染井が引き起こしたんだろう、そう思うとなんとなくに落ちないけれど、染井の言うとおりで『そんなことない』と否定することすらできない。本当ならないしよにするはずだったのに、気付けば結局こうして染井のペースに乗せられている。

「…………」

「…………」

 それ以上何も言うことなく無言のまま染井の隣を歩く。染井も何かをしやべるわけではなくただ手を繫いだまま歩き続ける。

 だまられてしまうと気まずい。だからといって『何か話してよ』と言うのも変な話だ。

 いったい染井は、どういうつもりなんだろう。そもそもどうして莉子だったのだろう。

 いや、莉子が染井のことを好きじゃなくて、莉子なら染井が死んだとしても泣かない、泣けないからというのはわかっている。けれど、いくら染井がモテるとはいえ学校中全員が染井のことを好きだというわけじゃない。染井のことを苦手な人だって好ましく思っていない人だって何人かはいるだろう。その中でどうして莉子だったのか。だいたい染井は、なぜ莉子が泣けないことを知っていたのだろう。

 そっと隣を歩く染井に視線を向けると、ちょうどこちらを見ていたようで目が合った。

「なに?」

「べ、別になんでもないよ」

 さきほどの質問を直接染井にぶつけるわけにもいかずごまかすけれど、染井はジッと莉子を見つめる。まるでその視線は『なんでもないわけないでしょ』と言っているかのようだ。

 何か、何か言わなければ。

 莉子は必死で話題を探す。

「えっと、その……今日、いい天気だね」

「は?」

 必死にしぼした言葉に、染井はきよかれたような顔をしたあとした。

「っ……あはは、なんだそれ。法事で話題に困ったしんせきかよ」

「どういうことよ」

「最近、うちの法事で同じようなことを言ってた人がいたなって話。もうちょっとがんらなきゃ。それじゃあ俺のこと見つめてたってかくせてないよ」

「なっ、みっ見つめてなんて!」

 慌てて否定をする莉子の声なんてもう染井の耳には届いていないようで「まあ、でも」と言いながら空を見上げる。つられるようにして莉子も顔を上げると、そこには雲一つない青空が広がっていた。

 適当に言ったにしては本当にいい天気だった。こんな日は──。

「こんな日はどこか遠くに行きたくなるよなぁ」

 考えていたことを染井が口に出しドキッとする。そんなどうようを気取られないように「そうだね」と素っ気なく返事をした。

 染井は少し無言になったあと「よし」とうなずいた。

「サボろっか」

「は?」

 染井は莉子の手を摑んだまま、学校とは逆方向に向かって歩き始めた。

「ちょ、ちょっと待ってよ」

「待たない」

「じゃあせめて手をはなして」

「離したら死にそうな顔して一人学校に行くだろ? だから離さない」

 莉子の行動などお見通しだと言わんばかりの染井の言葉に何も言えなくなる。仕方なく染井に手を引かれたまま歩いた。

 時折、同じ学校の生徒が真逆の方向に向かって歩く莉子たちを不思議そうに見ている。今の時間はまだ忘れ物をしたんだと言い訳ができるけれど、これから始業時間を過ぎても制服姿で外にいればきっと補導されてしまうだろう。どうするつもりなのか。

 スマホを取り出して何かをんだあと、再びそれをポケットへと戻した染井に莉子はたずねた。

「ねえ、今どこに向かってるの?」

「行きつけの古着屋」

「古着屋?」

 莉子は思わず聞き返した。

 古着屋、と言われて頭の中にはテレビで見たヴィンテージの服を取り扱うお店がおもかぶ。一着十万円ぐらいするような服やブランドものなんかを置いているイメージだった。そんなところが行きつけだなんて意外だ。

「今、なんか変なこと考えただろ?」

「え? そんなことは」

 ごまかそうとする莉子に「顔に出やすすぎでしょ」と染井は笑う。

「古着屋っていっても莉子が想像しているような感じじゃないと思うよ」

「そう、なの?」

「まあ行ってみたらわかるよ」

 自信満々に言う染井に連れられて、莉子は駅近くにある小さなショップへと向かった。

 そこはたしかに莉子のイメージとは全く違っていた。古着屋、と言われなければつうの服屋としか思わなかっただろう。いろんなメーカーの服がところせましと並べられている。

「すみません、開店前なのに開けてもらっちゃって」

「いいよ、いいよ。はるたのみだからね」

 どうやら来るちゆうにスマホを操作していたのは、目の前に立つこの人にれんらくをするためだったようだ。眼鏡をかけたやさしそうな男性は「ごゆっくり」と手をひらひらさせると、開店準備があるからと奥の事務所へと戻っていく。

 染井は手慣れた様子で店内の服を物色し始めた。

 莉子はどうしていいかわからず、その隣に並ぶ。

「この辺とかどう? あ、スカートとパンツどっちがいいとかある?」

「え、あ、ううん。どっちでもいいけど」

「そ? じゃあこの辺かなぁ。これとこれならどっちが好き?」

 わいい系のワンピースとパンツの上に合わせる感じのロングのTシャツを染井は差し出した。少し考えて莉子はロングのTシャツを選ぶ。ワンピースは可愛かったけれど、莉子のふんとは少し違う気がした。

 莉子の答えに染井は満足そうに頷く。

「うん、俺もそっちだと思った」

「じゃあなんでワンピースも出したのよ」

「似合うかなって」

「え?」

 染井の言葉に莉子はパンツを選んでいた手を止めた。染井の方を見た莉子に、優しくみをかべると染井は口を開く。

「このワンピース着た莉子、きっと可愛いだろうなってそう思って」

「なっ……!」

 そんなことを言われると思ってなかった莉子はずかしさで顔が熱くなるのを感じる。

「変なこと言わないでよ!」

「変なことなんて言ってないよ。似合うだろうな、可愛いだろうなって思ったから言っただけで」

「そんなわけないでしょ! こういうのは可愛い子が着るから似合うの。私なんかが着たって似合わないよ!」

 否定をする莉子に「そうかな?」と首をかしげると染井は手に持ったままになっていたワンピースを莉子に重ねるようにしてみせた。

「うん、やっぱり可愛い」

「可愛くない!」

「なんで俺が思ったことを莉子が否定するの? 可愛いって思う気持ちは俺の自由でしょ?」

 くつだ。

 けれどこれ以上言い返してもきっと莉子に染井を言い負かすことはできない。結局「勝手にして」とうなれるしかなかった。

 そのあと染井も自分の服を選び、莉子のものと合わせて会計をした。二人合わせて七百円。破格すぎてこの店の経営が心配になる。

「ねえ、いくらなんでも安すぎない?」

 えて外に出た莉子は、同じく私服姿になった染井に尋ねる。ちなみに染井はうすのセーターとデニム姿だ。黒のセーターがよく似合っていて、近くを歩くお姉さんが隣にいた人と染井を指さしながら頰を染めているのが見えた。

「あれは学生価格だよ」

「学生価格?」

「そ。俺らぐらいの子どもでも自分のづかいのはんで好きな服を選べるようにって、ケンちゃんが。あ、さっきの店長が」

「そうなんだ」

 たしかにあの値段であれば莉子たちの小遣いでも十分に服を買うことができる。例えば莉子であれば一ヶ月の小遣いは三千円だ。服を買おうとするとよくて二着。プチプラ以外のものを買おうとすれば一着買ったらマイナスになる、なんてこともあるぐらいだ。

 親と一緒に買い物に行けば金額を気にせず買えるだろうけれど、その場合莉子だけの意思ではなく母親の好みも混ざってしまう。自分の気に入った服と母親が選んだ服が異なったときに、自分の好みをとおせる子ばかりではないのだ。

「さて、それじゃあ行きますか」

「どこに行くの?」

 学校ではないことはわかっているけれど、染井がどこに向かう気なのか莉子にはわからなかった。

「どうしようかな」

「え? まさかノープラン?」

「もちろん。プラン決めてサボるやつなんていると思う?」

 いると思う? と聞かれたところで、そもそも莉子は学校をサボるのが初めてなのだ。何がスタンダードかなんてわからない。

 隣に並ぶ染井の姿を、そして自分の姿を見る。古着屋に入るのもこんなふうに学校をサボるのも、悪いことをしているようでドキドキする。

「でもさこんな天気のいい日に学校で授業を受けるなんて馬鹿らしいでしょ」

「あ……」

『こんなに天気がいいんだもん。教室にもって勉強なんてしてられないよ』

 かつて、が同じようなことを言って笑っていたのを思い出す。あのとき、莉子はその背中を追いかけることはできなかった。けれどもしもあのとき一緒にサボっていれば何か変わっていたのだろうか。

「ねえ」

「え?」

 だまんでしまった莉子のすぐそばに染井の顔があった。

「わっ」

「なに変な顔してんの?」

「変な顔なんてしてない! ってか、顔近いから!」

 のぞむように莉子の顔を見る染井の身体をかえす。染井は笑いながら「はいはい」と軽く返事をすると莉子から顔を離した。

 思ったよりも近かったきよに心臓がうるさい。急におどろかせないでしい。

 隣でひようひようとしている染井は、きっと女の子と至近距離で話すことなんてにちじようはんなのだろう。けれど、莉子にとっては、明日音以外では友人とでさえあんなに近くで話したことなんてない。男子ならなおさらだ。

「で、さ。この辺ってどこかいいとこないのかな?」

「いいとこって?」

「サボってもバレないような場所。具体的に言うと、補導員が来ないところ」

 そんなところがあればすでにサボりスポットにされているか、気付いた補導員のような大人がパトロールしているのではないか。そう思うものの、何かあっただろうかと考える。

 サボってもバレない、ということはあまり人が来ることなく、さらにこの晴天がまんきつできそうな、そんな場所──。

「あ」

「なんかあった?」

「ちょっと歩くけどだいじよう?」

「もちろん」

 染井の返事を聞いて莉子は歩き出した。明日音と行った思い出の場所へ。


 そこは駅から山手の方に歩いたところにある山の上の展望台だった。普通だったらロープウェイで上がるぐらいの高さを、階段だけを使って展望台まで登る。初めてここに登ったのは中学に入ったばかりのころに行われた遠足でだった。体力を付けたり、一緒に一つのことをげることで仲間意識を芽生えさせたりするというねらいがあったようだ。けれど、ただただ苦痛だったことしか覚えていないから、あの遠足は失敗だったと思う。

 でも。

「着いたよ」

「へえ。すごいじゃん」

 開けた場所から自分たちの住む街を一望──というには少し高さが足りないけれど見下ろすことができる。

 あのときも明日音と二人でこんなふうにここから街を見下ろした。明日音が少しだけ元気がなくなって、学校に来ない日が増えて、放課後様子を見に行ったあの日。ここに登りたい、と言ったあのときかのじよはどんな表情を浮かべていたのか今はもう思い出せない。

 笑っていたのだろうか。苦しそうだったのだろうか。莉子に何を伝えたかったのだろうか。

「莉子?」

「あ、うん。ごめん、ボーッとしてた」

「俺にれてたのかと思った」

「バーカ」

 フェンスに足をかけながら親指をあごに当て、わざとらしく格好つけるようなポーズを決める染井に思わず笑ってしまう。そんな莉子を染井が見つめている。

 その表情があまりにも優しくて、莉子はごこの悪さを感じて目をらす。どうしてそんな表情で自分のことを見つめるのか理解できなかった。

「はー、それにしてもほんっといい天気だな」

 転落防止のためのさくに手をかけ、染井は街を見下ろす。その目はどこか遠くを見つめているようにも見えた。

 染井はどうして今日、学校をサボろうと思ったのだろう。

 天気がいいから、なんてそんな理由で本当にサボるだろうか。莉子のため、そうも思ったけれどこの表情を見ているとそれだけじゃない気がしてしまう。

 あのころ、明日音は学校という場所からげるために、今の染井と同じようなことを言っていた。当時の莉子はそれに気付くことができずにいた。その結果、彼女は自分の命を絶ってしまった。

 もしかすると、染井も──。

「ねえ、もしかして学校に行くのがいやなの?」

「……なんで?」

 染井はこちらを向く。その表情がどこかしんけんで気まずく感じる。その目から逃げるように顔をそむけると、柵を背もたれにして寄りかかった。

「や、なんとなく。そう思っただけだけど」

「ふーん」

 染井は同じように柵にもたれかかると、そのまま地面にすわんだ。莉子もするように隣に座る。

 そよそよと風が木々をらす。十一月も半ばが近づいているというのに、今日はまるで残暑のような日差しで、風がここいい。

 そのまま空を見上げて染井はポツリと言った。

「別にそんなんじゃないよ。……たださ、あと三ヶ月で死ぬっていうのに、学校に行くなんてもつたいないなって思っただけだよ」

 染井の言葉に、莉子は何も言えなくなる。

 やっぱり、染井は本当にどうびようなんだ──。

 聞いていたはずなのに、今までどこか現実味がなかった。それどころか、この期におよんでまだ少しだけうそをつかれているんじゃないかとさえ思っていた。でも、この表情を見ればわかる。染井は本当に鼠動病で、そして三ヶ月後に、死ぬんだ。

 むねおくが重く苦しく感じる。何か、何か言わなければ。

「どう、して」

「え? 何が?」

 絞り出した莉子の言葉に染井は少しだけ不思議そうな表情を浮かべ、それから「ああ」と頷いた。

「どうして自分が鼠動病だってわかったのかってこと?」

 先程のどうして、に何か意味があったわけじゃない。けれど染井が莉子の言葉に意味を持たせてくれたから、莉子はまるで初めからそうだと思っていたかのように頷いた。

 真凜たちと一緒にいるときもよくこうやって頷いていた。なんとなく笑って、なんとなく同意して頷いて、そうやってやり過ごしてきた。そうすれば相手は勝手にかんちがいしてなつとくしてくれたから。

 けれど、そんな莉子の態度に染井は「ホントかよ」と笑う。

「今、適当に話合わせただろ?」

「そ、そんなこと」

「隠そうとしたってダメ。すぐにわかるんだから」

 どうして染井には気付かれてしまうのだろう。どうして染井は、わかってくれるのだろう。

「莉子?」

「……ううん、なんでもない」

「そ? ……ま、いっか。で、なんだっけ。ああ、そうだ。どうして鼠動病だってわかったか、だ」

 莉子が話を合わせただけだというのはわかっているのに、笑いながら染井は続ける。

「春にさ、健康診断があったの覚えてる? 高校に入学してすぐのやつ」

 そういえばそんなものあったな、と莉子は頷く。入学直後にあった健康診断は、身体測定だけでなく心電図や尿によう検査などいくつかの検査があった。でも、それがどうしたというのだろう。

「あれでさ、要再検査ってなったんだ。何が引っかかったかとか教えてもらえなくて、とにかく一度、大学病院で検査をしろって。変だろ? 親も先生も深刻な顔をしていたのに、俺にはなんの説明もしてくれないの。さすがにおかしいって思うよな」

 たしかにそのじようきようでは自分の身に何か大変なことが起きているのかもしれないと、不安になっても不思議ではない。

 隣に座る染井の顔をそっとぬする。その表情からは何を考えているのか莉子にはわからなかった。

「それからこの半年、いろんな検査を受けたよ。血もいっぱいかれたしCTとかMRIとか、とにかく色々。それで、つい先日ようやく診断が下りたらしく、担当医と両親がじゆうに満ちた顔をしながら俺に説明したってわけ。今まではもしかしたら違うかもしれないってみんなが思っていた──ううん、思いたかったんだ。でも、可能性が確信に変わって、さすがに俺にもう打ち明けないとってなったんだろうな。三ヶ月後に死ぬってなったら心の準備とか、色々いるだろって……。笑っちゃうよ」

 言葉通り笑いながら言うけれど、染井の表情はこわばって見えた。つらくないわけがない。悲しくないわけがない。なのにこの人は笑うんだ。こんなときに、笑える人なんだ。

 ……ううん、違う。笑うことしか、できないのかもしれない。笑ってないと、こんな話できないのかもしれない。

 全部、莉子の勝手な想像でしかない。でも、きっと莉子が同じ立場でも笑ったと、思うから。

「噓、みたいだろ」

「……うん」

 だから、へらっとした笑みを見せる染井に、莉子は頷くことしかできなかった。

 莉子も病気の存在は知っていた。けれど身近にその病気になった人はおらず、テレビの中の新病、びよう、その程度のイメージでしかなかった。

 どこかごとのような、遠い世界の話にしか思ってなかった自分にいやが差す。だって、鼠動病という病名は知っていても、具体的にどういう病気なのかはいつさい知らないのだ。

 思わずうつむいてしまう莉子の頭を、染井は優しくでた。

「そんな顔するなよ」

 隣を見ると、染井が困ったような笑みを浮かべていた。

「最初に言っただろ。俺のことを好きじゃない奴がいいんだって。莉子はさ、さいまで俺に興味がないままでいてよ。……辛い顔をさせるのなんて、両親だけで十分なんだからさ」

 その言葉に、莉子は明日音の両親の姿を思い出した。明日音のそうしきで、悲痛な表情を浮かべ参列者に頭を下げる父親。そしてひつぎきついたままさけぶ母親の姿を。

 子どもに先立たれ、辛く苦しいおもいをする二人を前に「明日音ちゃんは親不孝者だ」と、えいの中で笑う明日音におこったのは誰だっただろうか。

 たしかに、のこされた明日音の両親は子に先立たれ辛く苦しかっただろう。けれど、先立つ明日音も、同じぐらい辛くて辛くて仕方なかったのかもしれない。

 大切な人に置いてかれるのと同じぐらい、大切な人を置いて逝くのだって辛いはずだから。

「私の友人も、そう思ってたのかな」

 自分で命を絶った明日音と、病で命をうばわれる染井を同じにしてはいけないのかもしれない。けれど、染井を見ているとどうしてか、明日音のことを思い出してしまう。

「……その子は?」

「…………」

 無言のまま首をる莉子に、染井は何かを感じ取ったようで「そう」と小さくつぶやいた。

「もっとしてあげられることがあったんじゃないかって、今も思っちゃう。思い上がりもいいところだってわかってるんだけどね」

 莉子が気付けなかっただけで、あのときの明日音もこんなふうに辛く苦しかったのかもしれないと思うと、染井の姿に明日音を重ねてしまう。あの頃、何もできなかった、そして何もしようとしなかった罪の意識が胸を過る。

「──本当に、好きにならないまま付き合っていればいいの?」

「うん、それが一番うれしい」

「……わかった」

 かつて明日音にできなかった、辛いときや苦しいときにそばにいること。それを染井にすることで、自分の中の罪悪感を少しでもぬぐおうとしているだけなのかもしれない。それでも、いいのだろうか。

「ね、今何を考えているか当ててあげようか」

「え?」

「自分の気持ちの整理のために、俺のことを利用していいんだろうか。そう思ってるでしょ」

「どうして……」

 どうしてわかったのだろう。だって、明日音の話は今まで誰にもしたことがない。なのに、染井はどうして──。

「顔に全部書いてある」

「噓っ」

 思わず両手を頰に当てる莉子を染井は笑った。

 からかわれたことに気付いて莉子はムッとする。そんな莉子に「ごめん、ごめん」と笑うと染井は口を開いた。

うらないと一緒だよ。それっぽいことを言っておけば、だいたいの人は自分の中の何かに当てはめて当たってると思うんだよ」

 そんなもの、なのだろうか。当てずっぽうで言ったにしてはあまりにも的を射ていて、まるで莉子と明日音の間にあったことを知っているかのようだった。

 でも、そうか。それっぽいことを言っただけ。そっか。

 かつて、自分が友人を見捨てたことを知られていたわけじゃないとわかり、莉子は小さく息をした。

「それにしても、ここ気持ちいいな」

 そう言ったかと思うと、染井はその場にころがる。いくらなんでもそれは、と思うけれど寝転がったまま空を見上げる染井が妙に楽しそうで、莉子はつられるように隣に寝転んだ。

「服、よごれるよ?」

「そっちこそ」

「まあ、制服じゃないし」

「だね」

 顔を見合わせて笑うと、もう一度空を見上げた。

 けるそよ風が心地いい。いつもなら色々と考えてしまうことも、このしゆんかんだけは頭の中から消え落ちていく。

 そっと目を閉じると、耳には草木の揺れる音だけが聞こえ続けていた。

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