5.嗅覚過敏
「よし、片付け終わった。先風呂入っていいよ」
「え、いやいや、家主が先でしょ」
「別に。風呂掃除も同時にできるから、先は行ってもらった方が助かるんだよ」
「……分かった」
彼女は洗面所に入っていった。刹那、くしゃみが出る。
「ちょっと今日の夜は冷えるか……あ、パーカークローゼットだったな」
一瞬悩んだが、やはり義理は通した方がいい。
「あの、物取りに部屋入っていい?」
「いいよー」
ドア越しに彼女の声が聞こえ、すぐに風呂のドアが開く音がした。
「お邪魔しまーす」
部屋の中は、この前より生活感ある雰囲気に包まれていた。まだここで夜を過ごしたこともないのに、すっかりなじんでいる。
「少し前までは荷物だらけだったのになー……っと」
クローゼットの中を探って、なんとかパーカーを取り出すことに成功する。
「そういえば、あいつ上着とか持ってるのか? まあ、もう一枚ぐらい出しておくか」
ついでにもう一枚、同じグレーのパーカーを取り出す。
「あれ、パソコンつけっぱなしだ」
画面をのぞき込む。
「へー、思ったよりちゃんとしてる。フリーランスで食ってるって言ってたけど、本当だったのか」
「まあ、住めてないんだけどね」
「わあ!」
後ろから声がし、振り返ると、まだ髪が濡れている彼女がいた。黒に水色のラインが入ったジャージに身を包んで、首にはタオルをかけている。
「ドライヤー、使っていい?」
「い、いいけど」
「ありがと。どう? 私の絵」
「いや、ちゃんとしてるなって」
「それさっきも聞いたー」
「……どこから見てた?」
「クローゼットから出てきたところから」
「ああ、そう」
「何か隠してるものでも?」
「ないよ!」
「あはは!」
彼女は髪をタオルでわしゃわしゃさせて笑い、洗面所からドライヤーを持ってきて、コンセントに刺す。
「まあまあ、どうぞお座りになってくださいよー」
「ここ、僕の家なんだけど」
「でもここは私の部屋なんでしょ?」
「……はぁ。じゃあ、失礼します」
地べたに正座し、パーカーをたたみ始める。
「もしかして、ドライヤーしてなかったの? 髪の毛結構ぼさぼさしてた気がしたけど」
「まあね。備え付けのエアコンの風で頑張ってたから」
「あー、だからか……」
「……もしかして、その、臭って、た?」
彼女は顔を赤らめる。言うのをためらってしまう。しかし、相手は空き巣犯だ。別に、本当のことを言うだけだ。
「………………少し」
「うーわ、本当に言っちゃったよこの人」
「仕方ないでしょ。昨日からなんだかんだ密着することが多かったんだから」
「どんなにおいした?」
「汗の臭い」
「はーあ、これじゃ彼女もできないわ」
「前科持ちが語るな」
「何をっ……待って」
「なんだよ」
「今私、臭ってるか、チェックしてくれない?」
「は、はぁ?」
「だって気になるもん。ていうか、君が気にさせたんだから、責任取ってよ」
「えー?」
「ほら」
彼女は四つん這いでこちらににじり寄ってくる。僕は彼女のためにパーカーをかぶせて抵抗するが、それに構わず近づく。
「えぇ……?」
「ほら、ちょっと吸うだけだから」
「言い方……はあ」
観念して、鼻から空気を吸う。
「どう?」
「……石鹸とか、シャンプーの匂い。ちゃんとしてる」
「そうなんだ。よかったー……あれ、どうしたの?」
「いや、僕も普段こんな匂いしてるのかなーって」
「そ、そうなんじゃない?」
心臓の音がまた大きくなる。これはシャンプーだけじゃないのかもしれない。
「何の匂いだろう。フレグランスとか、そういう……」
「さ! 入っておいでよ。まだ話したいこともあるんだから、ね」
彼女に半ば追いやられるような形で部屋を追い出される。もしかしたら僕も汗臭かったのだろうか。そもそもこの家自体が臭う可能性もある。
「芳香剤でも置こうかな」
かごの中に入れられた彼女の服を隠すように、慌てて自分の服を入れて風呂場のドアを開けた。
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