第2話 面白い人間。

面白い人間といえば思いつくのはだいたい、「芸人」とか、炎上や悪質によって笑われ者になった2種類の人間がいるだろう。


僕は、人を笑わせている人、その人にとても興味がある。どういう人生をいきてきたのか。どういうきっかけがあったのか。笑うという行為は人に感情を与えるという受動的な気持ちを与える。もっと科学的にいえば、ストレスという鎖が切れ快感を感じるような現象である。


そんなことが、こうも簡単にできて、それが当たり前だと思っている君、そのままでいてほしい。


芸能人といわれる人は、きっと、誰かを笑わせた経験があるから、今のステージにたっているはずだ。逆に、誰も笑わせず、自分を面白い人間だと決めつけることは・・・・まぁ、自己肯定感が大きいのだろう。


僕は、は面白い事に気づいた。「芸人」という言葉に。例えば、障害者を見て笑う人は恐らくいない。その背景には、普通の人が持っていないギフテッドを抱えているからだ。誰もそれを口にしない。それは、優しさや、深刻な状況をうかがえて絶句しているなどの理由が考えられる。しかし、芸人なら、当たり前のように笑って、許される。芸人の方からも、笑ってほしいと思っている。これらには、大きな差がある。

なら、もし障がい者が芸人になって人を笑わせたいと思ったら。我々は、笑うという選択肢を採るだろか?


正解は ”笑う” だ。なぜなら、彼らの希望を尊重するのなら、笑ってあげるのが一番の、状況であるはずだ。それに対して、「笑うなー」という人はきっと、一面的なものしか見ていないのだろう。


今の現実、映像を見て一部始終を見通すことができる人は、多くはない。

例えるなら、自分が投資詐欺を受けているのに、それに気づかず、笑ってそんなことないと否定している。これが今の社会の形かもしれない。


こう考えると「芸人」という、言葉は面白いと思わないかい?

寛容な言葉だと思っている。


そして、芸人そもそもの人も寛容な人だと思っている。例え、傷つく言葉を言われても、その場の雰囲気を読み取り、対応する。また、一人の芸人が冷めた雰囲気(すべる)を作ったとしても、何かしらの助けが入る。


今の社会に必要なのはこういう人たちなのではないかと思っている。

学校という組織では、下ネタばかりいって、少数の笑う人たちを育てるのではなく。

すべってもいいから、少数の人を笑わせたりする。今のうちに、経験しておくべきだ。すればきっと、大きな力になるだろう。パクリだっていい。模倣してもいい。


面白い人間になれ。




僕は、こう考える。

























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物を語る 九十九 一八 @Yamazaki99

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