なぜ彼女は立っているのか⑤
翌日。
榛菜は登校すると、まず家斉先生の様子を確認した。いつも通り榛菜より先に学校に来ており、職員室で事務仕事をしている。あいさつをすると笑顔であいさつが返ってきた。体調は問題ないようだ。
教室に入り、しばらくすると他の生徒に混じって根本が登校してきた。
「おはよう、根本さん! いきなりで悪いんだけどさ、昨日頼んでおいたこと、聞いておいてくれた?」
「おはよ! うん、ちゃんと聞いといたよ。やっぱり先輩たちも実際に見たり体験したりしたことはないんだって。私が初! 嬉しくないけど」
「やっぱりかー……」
念のため、他の吹奏楽部員に幽霊を見たことがあるか聞いてもらうよう頼んでいた。結果は予想通りだった。もっとも帰りが遅く、かつ人数が多い吹奏楽部でも、目撃者は今のところたった一人。
「ちなみに昨日はお化け出てきた?」
「いや、昨日は私が最後じゃなかったし一人でもなかったから、分からないなー。気になるなら後で当番の子に聞いておこうか?」
「ありがとう、おねがい!」
昨日出てきていたとすれば、今晩も出現する可能性は高いのではないだろうか。ただ、話を聞く限りでは昨日の当番は榛菜たちのクラスメイトではないし、家斉先生とも関係がなさそうだ。もし無関係の被害者であれば、榛菜の推理は外れていることになる。犯人の目的が違ったのかもしれないし、別の犯人、所謂模倣犯なのかもしれない。
日中は現場の階段に何か仕掛けられてないかをさりげなく確認して過ごした。前回の晶の種明かしでは、換気扇以外には特に仕掛けはなかったと言っていたが、今回はまだわからない。少なくとも職員用トイレに比べると何かを仕掛けるチャンスは多いように思われた。授業中なら人通りも少ないし、生徒・職員・男子・女子、誰でも通ることができて、違和感もない。
しかしイタズラの仕掛けやそれらしい物は見つけられなかった。
根本によれば、昨日の吹奏楽部の鍵当番も特に変なものを見たり体験してはいないとのことだった。
新しい証拠も証言もない。
せめて晶の推理を聞くことができれば良かったのだが、昨夜は結局、凛太郎からの連絡はなかった。晶の推理を聞けたのかどうかもわからないし、そもそも晶に犯人の当てがあるのかもわからない。ピンポイントで「あいつが犯人!」というのを期待するほど榛菜も楽観的ではなかったが、せめてどんな奴が犯人ぽいかくらいは聞いてみたかった。三王丸中学校は生徒がスマホを持ち込むことを禁止しているので、榛菜はスマホを家に置いている。帰ってからでないと彼らに連絡が取れない。今日だけでも持ってくるか迷ったが、もし見つかって取り上げられでもしたらえらいことだ。仕方なく諦めた。
今となっては夕方を待つしかない。
昨日のうちに準備は一応してきた。制服の下に隠したポーチには小型の懐中電灯と防犯ブザーが入っている。胸ポケットのボールペンは金属製の頑丈なものだ。あまりこれに頼りたくはないが、いざとなれば父親仕込みの護身術でグサリとやる覚悟もある。
不安な面もあったが、「自分が家斉先生を助けるのだ」という気持ちの
授業の終わりは午後四時前。幽霊が出ると言われる、人気が減る午後7時までは3時間ある。流石に3時間も吹奏楽部員がひしめく実習棟の廊下や音楽室に隠れることはできないので、まずは図書室で時間を潰した。いつもは一人で本を読んで過ごす快適な空間だったが、今日に関しては試合前の控え室みたいなものだ。緊張して本の内容は頭に入ってこなかった。
午後6時になると、図書室が閉められる。
榛菜が一番困ったのは、どこに隠れて待ち構えるかということだった。第一候補は教室棟の職員室近くの階段。第二候補は4階の階段。第三候補は実習棟の音楽室、吹奏楽部の練習場所付近。犯人はもちろん誰にも見つかるわけにはいかない。誰が犯人かも不明だし、何がきっかけで警戒されるかもわからない。
それぞれの候補をさりげなく確認したが、そもそも隠れられるような場所がなかった。音楽室がある実習棟にいたっては、各階の廊下と音楽室に吹奏楽部員がひしめき合って練習している。彼ら彼女らに見つからずにどこかに身を潜めるなどとてもできそうにない。だれにも内緒にしなければいけないので、さくらや根本に協力を仰ぐこともできない。午後6時ともなると、吹奏楽部の部員もある程度は帰宅するか帰宅準備をしているようだったが、それでも図書室から出たタイミングではどこかしらで楽器の演奏をしている音が聞こえた。
そういうわけで隠れるのは諦めて、帰るふりをして頃合いを見計らい「忘れ物をした」という体で学校に戻ってくることにした。「忘れ物は廊下のロッカーにある」といえば、校舎を歩き回っていて教員にバレても多少はマシな言い訳もできる。犯人が幽霊になりすます瞬間を見つけるのは難しくなるが、これはこれでいいやり方かもしれない、と榛菜は考え直した。
いったん学校の敷地を出て、ぐるりと校舎を一周して建物を見回した。2ヶ月も経つともうだいぶん見慣れてしまい、特に変わった印象もない。こんなところで幽霊の真似事をするなんて、犯人は一体どんな人間で、何を考えているのだろう。
学校の敷地外からも、まだ吹奏楽部の練習の音が聞こえる。音楽室は実習棟の4階、渡り廊下のすぐ近くにある。音楽準備室と隣り合わせの部屋で、通常の教室の倍の広さだ。グランドピアノだったり音楽家の肖像画だったりが当たり前に備わっていた。どうせ学校の怪談なら肖像画が涙を流すとか夜中にピアノが勝手に鳴るとか、そういうベタなものでいいのに、と退屈凌ぎに考えた。
のらりくらりと学校を3周したところで午後6時半になった。日も落ち始めた。まだ吹奏楽の練習はしているようだが、だいぶん音は小さくなった。そろそろ頃合いだと判断し、榛菜は校舎へ戻った。生徒昇降口はまだ開いている。何時ごろに閉められるかはわからないが、仮に閉められても一階共用部の窓から抜け出す分には多分ばれないだろう。上靴に履き替え、そのまま2階へ移動し、渡り廊下のトイレの個室に隠れた。
あと25分。
じっとしていると、流石の榛菜も少し不安になってきた。
家斉先生を狙っているイタズラ、学校の中、女の子のシルエット。これだけで犯人は学校内の生徒や関係者と思っていたが、実は学校外の人間だったら。
……いやいや、前の事件の時は、晶だって生徒や学校関係者だと推理していたではないか。
……でももしかしたら学校関係者を装っている誰かだったら。
……それなら幽霊の格好をする必要はないし、何のために幽霊の格好なんか。
……幽霊のコスプレが趣味の変質者で、そんな奴に限ってめちゃくちゃに凶暴だったら?
考えれば考えるほど不安になってくる。
自分自身の妄想に耐えながら腕時計をみると、やっと6時55分になっていた。
もう吹奏楽の音はしない。
足音もおしゃべりの声も聞こえない。
個室から出た時にどこかの引き戸が開いた音が聞こえたが、おそらく1階の職員室だ。大丈夫、ここには来ない。
あとは耳を澄まし、渡り廊下の教室棟、階段付近で何か物音がしないか待つだけだ。
もしくは、誰か人影がないか……。
渡り廊下のトイレから少し顔を出して教室棟を
腕時計を見る。まだ6時57分だ。時間の進みが遅く感じる。
7時を過ぎたころ、生徒たちの話し声が聞こえた。二人組で、こわいこわいと騒ぎながら上階から一階へ階段を降りていく。今日の吹奏楽部の戸締まり係の二人だろう。あの様子なら幽霊は出そうにないが、念のため渡り廊下のトイレを出て教室棟へ近付いて、目と耳を凝らした。
……特に変わったことはない。二人は一階へ無事に辿り着き、職員室へ入ったようだ。そのまま待っていると、職員室の戸が開いて二人分の足音が生徒昇降口へ移動していく。
「……はぁ……」
小さく息をついた。とりあえずは何も起こらなかった。元の場所に隠れる。
このまま今晩は何も起こらないかもしれない。それならそれで、明日の晶たちの推理を聞いて犯人を探すまでだ。
7時10分になった。
そういえば、家斉先生が幽霊を見た時は8時に近い時間だった。流石にそこまで残るつもりはなかったが、7時半くらいまでは一応、このまま待機する予定だった。家族には「学校から直接塾の自習室に行く」と伝えていたから心配はしていないだろうが、あんまり遅いと塾に連絡されてしまうかもしれない。
流石にもう今晩はないかな、と思い始めた頃、教室棟の階段の補助灯の電気も消えた。おそらく消灯時間を過ぎたのだろう。残念ながら収穫なし。今日は時間切れだ。生徒昇降口が開いてなかったらどこの窓から抜け出そうかな……と考えながら教室棟へ向かった時。
3階へ続く階段に人影が見えた。踊り場の非常灯を横切るようにしてその影は消えた。
「……いた」
榛菜は思わず息が止まった。誰かが仕掛けたイタズラだということは分かってはいた。幽霊などいない。しかし、その幽霊に成り切ろうとする誰かはそれ以上に不気味に見えた。
追いかけようとする足が震える。ええい情けない! 榛菜は思い切って足を踏み出した。なるべく足音を立てないように歩く。3階へ続く階段のそば、踊り場からは死角になる場所へ来たが何も音はしない。誰もでてこない。
そういえば、根本は3階に続く踊り場ではなく1階に続く踊り場の方で幽霊を見たはずだった。すでに暗闇に慣れた目で見ると、1階側の踊り場には誰もいないことがわかる。
あれ、と榛菜は気付いた。1階の踊り場なら、職員室と職員用トイレの間の廊下から見上げれば視野に入る。言うなれば、そこを通った人が標的なわけだ。
では、3階に続く踊り場は? そこは、いま榛菜がいる2階からしか見上げることはできない。
一体、誰を狙っているのだ?
榛菜の背筋が凍った。
そんなばかな。
榛菜の視線が、階段を這うように上がっていく。
私を?
今日は慎重に行動した。誰にも見られてない。誰にも言ってない。わかるはずがない。
見上げるのが恐ろしい。顔をあげてはいけない気がする。もう視線は階段の半分を越えた。踊り場の窓から漏れる光が見えた。四角に縁取られた、まるで額縁のような窓の光の中に————
彼女がいた。
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