密談
「おねがい。おねえちゃんのこと、もっと知りたい。灰野くん達に手伝って欲しい」
一部始終を聞いた二人は顔を見合わせた。同い年の女の子の、全く予想をしなかった切実な頼みに二人はすぐに言葉を出せない。晶も凛太郎も、身を削るような女の子の願いに答えたことなどないのだ。
その場を誤魔化すように、ほとんど空になっている缶コーヒーを
「ふむ。あの上靴、白崎さんのクラスで『となりに立つ少女』の噂を流行らせるのが目的だったのか」
「わたし、絶対にばれないと思ってて。灰野くんが探偵だと聞いたから、『少年探偵でも解けないから、やっぱり幽霊のせいだ!』ってしたかったんだけど」
「残念ながら解かれたってわけだ。しかも本来なら無関係だった倉持くんの恋心まで、偶然にもあばいたと。……つくづく気の毒だなそいつ」
「ごめんなさい」
さくらが俯いて謝った。黙って利用しようとしていた榛菜、晶、凛太郎と、思いがけず恋心を晒された倉持少年へ。
「なあ、10年前だとちょっと計算があわなくないか?」凛太郎が指折り数えて聞く。「10年前だと家斉先生は中学3年か高校生になるんじゃ?」
「正確には、11年と10ヶ月前に事故は発生している。ほぼ12年前だ」晶は答えて、さくらを振り返る。
「僕はてっきり君の父方の姓が花田だと思ってた」
「ちがうよ。おねえちゃんとは血が繋がってるとかじゃなくって、お母さんの友達の子供で、ご近所さんだったの」
「ふむ。また外したな」晶は嘆息する。
「ううん、やっぱり名探偵だよ。あの換気扇のこと、わたし以外は絶対に気付かないと思ってた」
「僕の家は安普請だから台所の換気扇は付けっぱなしにしないとすぐ逆流するし、中からも外からも音が筒抜けになるんだよ。いつもはうるさくて敵わないけど、今回は役に立った」
「あ、わたしの家もそうなんだよ。古い家だとそうなるのかな?」意外な共通点が見つかって少し笑った。
「知ってても気付かれるわけないと思ってたのに。ちょっとくらい違ってても十分すごいよ」
「凛太郎にもこのあいだそうやって慰められたよ」
「お前、微妙にずれるよな。名探偵はまだまだ遠いぜ」
「そもそも目指してないけど」晶は肩をすくめた。
「科学は試行錯誤が大事だから、別に多少の失敗は構わない。にじり寄ってくまでだ」
晶がコーヒーの缶をベンチに置く。
その缶を眺めながら、凛太郎がつぶやく。
「しかしなー。ちょっと無茶が過ぎるんじゃないか。先生だって素直に事情を話せば教えてくれるかもれしれねーし。それに、脅したところで本当のことを話すとは限らないぜ」
晶は「お前がいうなよ」と喉まで出てきたが黙っていた。
「でも、でも、先生が犯人かも知れない。そうだとしたら、どんな説得をしても絶対喋ってくれない。でも、お姉ちゃんの幽霊にだったら、何か……ごめんなさいとか……そんな言葉でもいいから、言ってくれるんじゃないかって……」
「事故ではなく事件であると疑うに足る十分な理由が、花田さんにあるということなのか?」
「理由は……花ちゃんが辛そうだったから聞けなかった。だけど……。何故、先生は教えてくれないの? 事故だったらはっきりそう言えば良いのに、何か知っているみたいなのにどうして教えてくれないの?」
「ふむ」
「お願い。花ちゃんを助けたい。お姉ちゃんがどうなったのか、本当のことを知りたい。名探偵と刑事なら、きっと……」そこでさくらは言葉を詰まらせた。
さくらの願いは二人にとっては得でも何でもないし、もちろん義務でもない。聞く必要はないし、聞いたところで解決できなければ気まずいだけでなく、子供を失った女性の傷に塩を塗りかねない。
名探偵たちに解決する責任を負わせようとしているのではないか?
さくらは明確に言葉にすることはできなかったが、自分がとんでもなく厚かましいお願いをしていることは分かっていた。
「ごめんなさい……」それ以上の言葉は続けることができず、頭を下げた。
晶と凛太郎は目を合わせる。
「ま、もう遅いから、今日はこれくらいにするか。とにかく、乗りかかった船だし、俺は付き合うぜ。名探偵は?」
「迷探偵でよければ付き合うよ」
さくらは頭を下げたまま、肩を震わせている。
絞り出すように言った。
「ありがとう」
凛太郎は優しげに微笑んで、慰めるように彼女の肩をたたいた。
「色男の
「なんか難しい言葉言ってるがいいところ台無しにするなよ」
さくらは目元を拭うと、ゆっくり顔を上げた。
「本当に、ありがとう」
「ところで、この後は何かプランはあるのかな」
「……ううん。まだ、具体的にはなにも」
「……。そう。とりあえず、今後は白崎さんは巻き込めないな。彼女も当事者と言っても良いし、事情を話せば協力してくれるかもしれないが、どうも家斉先生を信頼しているようだから」
「だな」
「うん……」
「山岸さん、今はまだ作戦を考える必要がある。急がないほうが良いと思う。そして、花田さんがなぜそこまで事件の可能性を疑っているのか、聞きにくいかもしれないが聞いておいてほしい。僕の方は家斉先生が疑わしいかどうか、僕なりに調べてみる」
「そんなことできるの?」
「事件や事故ならたぶん裁判があっただろう。刑事事件なら誰でも裁判記録を見ることが出来るんだそうだ。僕の兄が言ってたことだから本当かどうか怪しいけど、一応は法学部の学生だし、可能なら調べてもらえるように頼んでみる」
「よし。それじゃ今後の作戦はいったん晶に任せておいて、今日は帰ろうぜ。流石にもう遅いしな」
「ああ。もうコーヒーを買うお金も無くなってしまった」肩をすくめる。
「山岸さん、本当にお母さんと待ち合わせしてるなら送ってくぜ」
「大丈夫、2つ先の駅からすぐの病院だから。あ、夜勤だっていうのも本当だよ。……もういくね、今日はありがとう」
さくらはぺこりと頭を下げて、地下鉄の入り口を降りていった。
二人は駅前で彼女を見送ったまま、しばらく動かなかった。二人の視界から消える瞬間まで、彼女は目元を拭っていたように見えた。誰でも泣いているところなんて見られたくないだろうし、彼らもどんな言葉をかけるべきかわからない。
晶が、今度こそ空になった缶コーヒーを呷った。もう一滴も残っていないに違いない。
「お前よくそんなもの飲めるよな……カッコつけすぎじゃないか?」
「コーヒーか? ゆっくり飲めば苦味以外の味がすることにも気付けるんだが」
「あんなもんゆっくり飲めねーよ。ポカリでいいや」
凛太郎は自転車のスタンドを立てて、晶の隣に座った。
「で、お前、どこまでわかってたんだ?」
「何のことだ?」
「とぼけんな、10年前の事故のことだよ。俺、何も聞いてねーぞ。さくらちゃんの父方の姓が何とかいってたろ」
「ああ、あれは口から出まかせ言ったんだ。あのままだと気まずくて、何か話題にできないかと適当に言った。言い方は悪いがハッタリだよ」ため息をついた。
「僕が読んだ記事では、山岸姓は一つも出てこなかったから、あんな展開になるなんて思いもしなかった。もともと、前の下駄箱の件で気になったから概要を調べただけなんだ。逆算すると事故のあった当時は家斉先生が中学生くらいだったから、そのあたりで何かあるのかなとは考えたけどね。もうほとんどその場の思いつきだ。僕が本当に名探偵で、山岸さんが母子家庭だと知っていたら、亡くなった花田知世さんと彼女との関連性も見つけられたかもしれないが、実際は僕はただの中学生だよ。もしくは少年迷探偵」
「ふん。……まぁ、なんか、思ったより濃ゆかったな」
「ああ。エスプレッソだ」
「……わかりやすい例えで頼むわ」
「5倍濃縮くらいのコーヒーだ」
「あー、不味そうだってことはわかる」
「別に不味くはないと思うが」
会話が途切れた。
晶はじっと空になったコーヒーを見たまま、何か考え事をしている。凛太郎は駅前の眩しい商業施設のビル群を見ていた。車の行き交う音や、まばらになりつつある雑踏が二人の前を通り過ぎていく。
「たぶん」晶が言った。
「たぶん、彼女はまだ何かを用意しているはずだ」
「さくらちゃんが?」顔を前に向けたまま凛太郎が答えた。
「すりガラス越しの幽霊じゃ、何の話も聞けない。彼女は下準備をして、十分に幽霊の存在をアピールしてから、家斉先生の前に出るつもりだった。まずは担任のクラスに噂を立てる。本人の前に幽霊の姿をちらつかせる。事故の話を山岸さんに聞かれた家斉先生は、花田知世さんを意識している。その上で、効果的な演出で花田知世として姿を現し、反応を見る」
「……」
「何か意味のある反応を得られたら、探偵に分析、刑事に調べてもらう。そんな筋書きなんだろう」
「だろうな」
「だけど、お前が言った通り無茶がすぎる。期待した反応が返ってこないかもしれないし、単純に見破られるかもしれない。今回の窓ごしの幽霊には腰を抜かすほど反応したから彼女は期待しているかもしれないが、危なっかしいことに変わりはない。下手をしたら警戒されて今度こそ何も聞けなくなるかも知れない。さっきは釘を刺したけど、彼女は案外衝動的に動いてしまう気がする」
「まぁ、そうなったら仕方ないだろ。俺たちが何を言っても、あの子は止まらんと思う」
「そうなんだが」はぁ、と今日何度目かのため息をついた。
「やっぱり探偵気質なのかもしれない。10年前の真実ってのが、僕も気になるんだ」
そう言って恥ずかしげに顔を伏せる晶を、凛太郎は初めて見た気がした。
「お前、やっぱ分かりやすいよな」思わずニヤける。
「本当はさ、ただ助けたいんだろ。さくらちゃんも、花田さんも、死んだ女の子も」
「……分かってるなら言うなよ」
顔を上げずに、晶が答えた。
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