なぜささやくのか ただし犯人は問わない ⑤

 結局その授業は出てこずに、次の授業との休み時間に戻ってきた晶の第一声は、「だいたい分かった」だった。


「ただ、決め手に欠ける。まだ悪戯とも偶然の錯覚とも言い難いな」


「ジュゴンもいなかったしトリックもなかったってこと?」


 榛菜は気怠げに返事をする。結局は骨折り損のくたびれもうけだったわけか、と顔が語っている。


「見間違いの可能性は低い。写真を見たが、薄暗かったことを差し引いてもそれっぽいものはないようだ」


「写真? え? 私たち撮ってないけど。学校のホームページか何かの写真?」


「凛太郎に送ってもらった」


 そう言って晶が見せたスマホの画面には、学校の外観、職員室の前からトイレの前までの写真が並んでいた。夕暮れ時の淡い陽光が窓から差し込んでいて、なかなか良い写真になっている。それに加えて、陽が落ちた夜中の写真も混ざっていた。ご丁寧に時間差で写真を撮ってくれているようだ。


 が、そんなことは問題ではなく。


「ちょっと! 勝手に学校の中で撮影したの!?」


「そのようだ」


「そのようだって……本当にもう! 誰かに見られたらどうするの! 私の名前出してないよね?」


「誰にも声をかけられなかったらしいから大丈夫だと思う。少しノートに追記してもいいかな?」


 かな? と聞いた割には二人の返事を待たずに鉛筆で項目を追加した。


・窓のレールにはホコリや汚れが溜まっており、最近掃除をしたり開いた様子はない。クレセントじょうは問題なく動作する。

・上下開口型フードが付いた逆流防止換気扇がある。

・写真を見る限り、人影と見間違えるようなものは現在はない。当日にあったとすれば撤去されている。


「それなりに材料は揃ったから、何とか推理はできそうだ」


「……それはよかったね。私は推理とかどうでもよくなってきた」


 いよいよ榛菜はなげやりだ。


「推理……ってことは、幽霊じゃないの?」さくらの声が小さい。


「ああ。さっきの追記とこの写真があれば、まぁ何パターンかは思いつく。先日は外観の写真を撮るのを頼みそこねてたんだ」


 写真は、問題のトイレの窓を敷地外と敷地内からそれぞれ撮影している。


 普段は全く意識していなかったが、敷地外からでは植え込みなどが邪魔をしてほとんど窓が見えない。一応はプライバシーに配慮した設計になっているのだろう。


 逆に敷地内だと植え込みは建物から3-4メートルは離れているので、あまり遮蔽物としての役には立たなさそうだ。トイレの中から外を見たときに身を隠すには良さそうだが、遠すぎる気もする。


 他にも問題の窓の近くから校舎を見上げた写真もあった。4階建てで、2階、3階部分はいわゆる「みんなのトイレ」となっているが、写真からはわからないのでその点はさくらが補足して説明した。4階は大教室の一部となっている。


 夜中に撮影したほうの写真は当然薄暗く、校舎の外観を照らすのは周辺の街灯だろう。例の職員用トイレの周辺もまったくの暗闇ではないが、もし誰かが植え込みに隠れていたら角度によっては気付けないかも知れない。


「ただ、さっきも言った通りまだはっきりしない部分がある。そして、仕掛けた犯人を絞ることもできない」


「じゃ、まだ幽霊が出た可能性もあるってこと?」


「決め手がない、と言う点で見れば」


 俄然がぜんさくらの目が輝いた。


「ただし」遮るように晶が続ける。

「トリックや見間違いじゃないとしても、幽霊がいたことにはならない。そもそも幽霊の存在の証明ができない以上、存在しないことを否定するか、それ以外のすべての可能性を否定する必要がある。それはとてもむずかしいんだ」


「女の子の幽霊がいた証拠か、いないわけがない証拠がいるってこと?」


「……。そういうこと」


「ふーん」


 半目で頬杖をつく榛菜を、晶は見つめている。


 さくらは二人を見比べてキョロキョロしている。どちらにも何かを言いたそうだが、きっかけが掴めないようだ。


「参考までに聞きたいんだけど、山岸さんは幽霊だと思う? それとも見間違い? それとも誰かの悪戯だろうか?」


 急に話を振られてさくらはぴくりと体を震わせた。


「わ……わたしは」勇気を出して言葉を絞り出す。晶の視線は遠慮がなく真っ直ぐだ。


「わたしは幽霊じゃないかなぁと思う……こんなにちゃんと聞いて回ったの初めてだったし、頑張ったつもりだけど、見間違いそうなものやイタズラの証拠もそれらしい人もいないし……」


「うん。そうだね。白崎さんは?」


「わかんない……見間違いかなぁ……」


「なるほど」晶は頷いた。

「白崎さん、僕らに言ってないことがあるね?」


 晶の真っ直ぐな目に、今度は榛菜がびくりとした。榛菜の眼の奥にある、心や頭の中を覗き込もうとするような、深い瞳だった。


 さくらは驚いて晶を見た。一瞬だけ榛菜に視線をやって、すこしだけ上を見上げて、また晶を見た。


 晶は視線を外さず、榛菜の目を見ながら言った。


「昨日この話題が出たとき、僕が『また女の子の幽霊なのか?』と聞いたら、『自分が見たわけじゃないからわからない』と言ったね」


「え、うん」目をぱちくりさせながら返事をする。

「言ったかな。それは、本当にわからなかったし」


「さらに、『幽霊になんか関心がない私や先生のところに出て迷惑』とも言った」


「そ、そんなこと言ったかな? でも……ただ、そう言っただけで、本当に出たわけじゃなくって、そういう言葉というか、表現になっただけだから」


「そしてさっきは、『女の子がいた証拠が必要なのか』と言った。どうして女の子だと知っているんだい」


「え、あ、そうだっけ? それは、ほら、『となりに立つ少女』かもってさ、さくらちゃん言ってたし」


「彼女はまだ、幽霊が女の子だと断定してない。『クラスの友達が言ってたからたぶん例の女の子』と言っただけだ。そもそも君はその意見に懐疑的かいぎてきだった。ついでにいうと、僕は本人の言葉でないと信用できないという旨の反論をした記憶がある。それを聞いていた君に幽霊が女の子だというすりこみがあったとは思えない。さらにノートには一言も人影が女の子だと書いてないし、山岸さんは調査以降は一度も人影が女の子だと言ってない」


「……」


「もともと『関心がなかった君』が、『自分が見たことがない』のに、『先生のところに出た幽霊』が『女の子』だと、どうして思ったんだい」


 ほとんど言いがかりのようなものだ。しかし榛菜は反論ができなかった。


「さっき僕は、見間違いの可能性は低い、何故なら見間違うような対象がそもそもないからだ、と言った。同じようなことを山岸さんも言った。それなのに君は見間違いだと思う、と言った」


「……」


「君は可能性が低いと言われたにも関わらず、しかも見間違いそうなものがないと友達と一緒に確認したにも関わらず、なぜジュゴンがいると思ったんだろうか」


「……」


「僕のはこうだ。本当は先生は言ってたんだ。『女の子の幽霊を見た』と。だけどその人影は『気のせいか見間違いだと思う』と」


「うう……」


「さぁ、先生が何と言ったのか、教えてくれないか。僕も君にずるい質問をさせてしまったが、君は嘘をついた。これでおあいこだよ」


「おあいこじゃないよ……。私ばっかり損してる」


 晶は微笑んだ。いままで見た中で一番笑顔らしい笑顔だった。なんのつもりの笑顔なんだろう、と思った。なごまそうとしてるなら逆効果もいいところだ。


「すまない。好奇心に勝てないんだ。僕も凛太郎と同じかもしれない」


「本当……男子ってみんなそう。本当にむかつくよ」


「すまない」神妙に頭を下げた。こいつの謝罪もイマイチ信用できない。


 さくらは榛菜の手を優しく握った。何故か彼女が申し訳無さそうな顔をしている。榛菜は彼女の小さな手を、開いているもう片方の手で握り返した。


「内緒にしてごめんね。先生には他の人には言わないでってお願いされたんだ。さくらちゃんには言っておけばよかった」


「ううん、大丈夫。全然大丈夫だから」そういうさくらの手は暖かかった。


 もうすぐ休憩時間が終わる。あと少しで次の授業の先生が教室に入ってくる。さっさと終わらせてしまいたかった。


「名前を呼ばれた気がして振り向いたら、私達と同じくらいの背格好の女の子が見えたんだって」


 晶は頭を上げた。


「わかった。ありがとう」目を閉じ、うなづきながら、まるでコーヒーを味わうように言った。


 そうして、二人を交互に見て言った。


「トリックがわかった。しかけたのが誰かはまだわからないけど。詳しいことは帰るときに話すよ」






 3人は塾の近く、駅前まで来た。凛太郎が合流するまで待つことになったのだが、塾の建物近辺は明かりが十分ではなく、女の子2人が不安がるのではないかと晶が配慮したのだ。


 この駅の近辺には大型の商業施設、博物館、地方の裁判所などがあり、少し足を伸ばせばこの地域で最も大きな公園もある。もともとが城下町だったため商業も発展しており、今も新旧含めて様々なお店が並ぶ。多少雑多な印象もあるが、明るく人通りも多い。


 ただ、せっかくの気遣いも榛菜にはあまり届いてないようだ。こういうところで気を使わなくてもいいんだけど、とまだ機嫌が悪い。


「すまない。自分が気の利かない人間だというのは自覚している。なるべく気分を害さないように気をつけているんだが」


「もういいよ」と、口では言いつつも目も合わせない。


 さくらはただでさえ小柄な体をさらに縮こまらせて困っている。


 空いているベンチがあったので女の子二人に勧めると、そのまま晶は自販機に向かった。無糖コーヒー、カフェオレ、紅茶花伝。どういうわけか二人の好みを把握していたみたいで、温冷の判断が難しい今の時期でもちゃんとホットを選んでいる。


「どうも……」受け取る時は流石にお礼を言った。


 まだ少し冷える時期なので、甘い飲み物はとても美味しかった。


 3人がそれぞれの飲み物を飲み干したころ、やっと凛太郎が自転車に乗ってやってきた。スピードが出そうな、タイヤが細い派手なスポーツ用の自転車だ。こんなので中学校に乗り付けたら絶対目立つだろ、と榛菜は眉間にしわがよる。


「おまたせー。なんだ、ずいぶん空気悪いな」


「黒川くん、また私の中学に行ったんだって? 行かないって約束だったじゃない!」


「あれ、そうだっけ? でもまぁ、写真がなかったっていうし、ちょうど良かったじゃん」


「よくない! 誰にも見つからなかった?」


「話しかけられてはないけど、見つからないってのは流石に無理だろ。でも、校舎の中では誰にもあわなかったからそこは安心してくれ」


 まったく安心できなかったが、校舎の撮影中に教師に見つからなかったのは不幸中の幸いだ。あとはクラスの、特に女子に見つかってなければなんとか面倒は避けられそうだ。


「まぁ……それなら大丈夫……かなぁ」


「だろ? さぁ、それより、幽霊の正体がわかったって?」


「正体というか、トリックの方だ。いや、いたずら、というべきなのかな。設備周りの写真を見たが、人やそれに類するものに見間違えるようなものは見当たらない。誰かが何かを仕掛けて、幽霊を演出したと考えるべきだ」


 晶は、空になった缶をゆっくりと回しながら話し出した。

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