第三章「それぞれの勘違い」1


 信じられない。何が親友だ。なにが『俺ってけっこうお前のこと知ってるつもりやってんけどなー』だ。なにが『好きな人くらい、簡単にわかったで』だ。

――俺はケイトちゃんのことなんて好きじゃない! 確かに、もう嫌いでも憎くもないけどさ。でも、俺が好きなのはコウなのに!!

 叫び出したい程の気持ちを、なんとか堪えて飲み込んだ。本当は今すぐにでも走り出して、コウを追い掛けたいのに……


 リュウトの言葉を聞いたコウは、それから弾かれたようにカフェを飛び出してしまった。

 反射的に彼を追おうとして腰を浮かせたシズクだったが、隣から伸びて来たケイトの手に腕を掴まれて身動きが取れなくなる。片腕しか掴まれていないのに、力の差が凄い。本当に女の力かと問いたいが、それだとむしろ自分が情けないくらいなので考えないことにした。

「な、何!? 俺、コウを追いたい!」

「待って! ほ、本当なのか!? シズクくんが私のことを、す、好きっていうのはっ」

「いやいや、ちが――」

「――本当やろ? シズク! さっさと告れって! コウのことは俺に任せえ」

 リュウトはそう言い残してさっさと席を立ち、そしてシズクの耳元で、シズクにだけしか聞こえない声量で、言った。

「ちゃんと告らな、お前らがホモなんクラス中に言うで」

 はっとリュウトを見上げるも、彼はそのままの勢いでカフェを出て行ってしまう。

 あまりのことに頭が沸騰しそうだったが、そんなシズクの心中等無視してケイトが更に問い掛けてくる。

「……本当、なのか?」

「いや……それは……」

 リュウトが言った『お前ら』というのは、もちろんシズクとコウのことだろう。あの言葉を発したリュウトの表情は、とても冷たくて。リュウトの『やや整った顔が、相手を恫喝する時に一番鋭く感じる』のは、今に始まったことではなかった。

 きっとこのままケイトを振ってそのことがバレたら、リュウトはクラス中にシズクとコウが同性にも関わらず両想いだと言いふらすのだろう。彼は嘘はつかないし、やると言ったら徹底的にやる男だ。良くも悪くも有言実行。自信のある人間だからこその行動力が彼にはある。

 だが、なんで彼はそんなことをしようと言うのか。

 それがシズクには理解出来ないでいた。彼が異性愛者なのは間違いないが、かといって同性愛者のことを毛嫌いしているといった話は聞いたことがない。もちろん、そんなこと考えもしないし、普通に考えて有り得ない! というタイプだっただけかもしれないが。それにしても反応が大袈裟過ぎないだろうか。

――とにかく、なんて言おう……

 シズクは自分には自信はない側の人間だ。それなりに異性からカワイイだとか付き合ってだとかは言われているが、それでも大勢を敵に回して堂々と学校に来れるような人間ではない。ましてや唯一と言っても良いリュウトに避けられてしまっては、シズクの学校生活はそれこそ終わりだ。確かに同じ境遇になればコウとはもっと深くなれるかもしれないが、彼とはクラスも違うし、そもそもそんな地獄みたいなことに巻き込むことなんてしたくない。

 自分の恋心を隠せば、きっと全てが上手くいく。シズクに出来ることは、今はそれしかない気がした。

「……本当、だよ」

「……嘘だな。それは」

 精一杯に振り絞って、上目遣いに伝えた告白は、ぴしゃりとケイトに否定された。

 告白をしたのはシズクの方だと言うのに、先程まで顔を赤らめていたケイトは、今では真顔――いや、これは半分呆れている表情だろうか。とにかく、あまり機嫌が良いとは思えない表情でシズクを見返していた。

「嘘だなんて……そんな……」

「シズクくん……リュウトくんに何を言われた?」

 ふぅっと小さく溜め息までついて、ケイトはそこでアイスコーヒーに手を伸ばした。既に氷が解け始めているコーヒーを、彼女は口に運ぶ。そこにどこか余裕を感じて、シズクも少し心が落ち着いた気がした。

「……ケイトちゃんに告白しないと、俺とコウがホモだってクラス中に言うって……」

 まるで教師にでも告げ口している気分になりながら、シズクはケイトに白状した。これ程までに『白状』という言葉が似合う機会を、シズクは今までの人生で経験したことがない。

「本当にそう、リュウトくんが言ったのか? なんだか、先程から……彼の言動が全然彼らしくないな。確かにまともに話したのは数日前からだが、私には彼が……そんなことをクラス中に言うようには思えない」

「っ!」

 ケイトに言われてシズクもはっとした。

 突然言われたリュウトの言葉に慌ててしまって、これまでの彼との学校生活で育まれた信頼関係を危うく無視するところだった。

――そうだ。あいつがいきなり、そんなこと言うなんて……きっと何か、理由があるはずだ……だって、あいつはそんな奴じゃないって、俺が一番に信じてやらないと……くそ、俺の方がリュウトとはまだ、長い付き合いのはずなのにな……

 たった数日の付き合いのケイトが、シズク以上にリュウトのことを信頼していた。そして、普段は軽薄な言動に隠された、彼の優しい心だって理解してくれているのだ。

――やっぱり、嫌いじゃないな、もう。本当に、人間として好感が持てるや。

「……ごめん、ケイトちゃん。俺、目が覚めた! リュウトがなんであんなこと言ったのか、確かめてくる!」

 今度こそそう言って腰を上げたシズクだったが、ケイトに腕を掴まれたままなので中途半端な姿勢で止まってしまった。

「シズクくん。君の好きな人の名前を、私はまだ聞いていない。いや、だいたい想像は出来てるが、ちゃんと君の口から聞かせてくれ。そうしてくれたら私は、ちゃんと失恋を飲み込んで、君達を祝福して応援出来る」

 席に座ったまま、シズクを見上げるその瞳は、美しく優しい光を宿していた。女の子らしいか弱さすら滲ませて、彼女は己の失恋をぐっと堪えて、そして笑う。

「うん。俺が好きなのは、ケイトちゃんじゃなくてコウなんだ。嘘ついて、ごめん。恋愛対象として好きなのはコウだけど、ケイトちゃんのことは性別なんて関係なく、今日で大切な友人になったよ」

「ふん……光栄だ。私も、シズクくんのことは大事な友人になった。昨日までは、その……軟弱そうな男だと思っていたんだが、謝らせてくれ。これから、無二の親友と愛する者を追い掛ける男に、そんな言葉は似合わないからな」

「ありがとう。行ってくるよ」

 力強い彼女の声は、少しだけ震えていて。そのひた隠しにされた想いには敢えて気付かないふりをして、シズクはカフェを飛び出した。

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