第一章「戸惑いの帰り道」2


 シズクの家は平屋建ての“ごく普通”の一軒家だ。決して裕福でもないが貧しくもない。ごく普通の仕事に就いている父親が大黒柱の、ごく普通の家庭である。なので、金持ちの坊ちゃん校に通うには、少しばかり親が無理をしていることだってシズクもわかっている。

 あまり広くないリビングと同じく、その奥にあるシズクの自室もあまり広くはない。むしろ狭い。家具も一人用のシングルベッドと勉強用の机を置いたらぎゅうぎゅうだ。生活スペースはもっぱらベッドの上になる。

「あー、マジで俺、コウと話したんだ……」

 くだらない母親とのやり取りで現実に引き戻された気分になったシズクだが、むしろそのおかげで先程のファミレスの一件が素晴らしい出来事だったと再認識出来る。

――明日からは、コウと話せるのかな。あー、こんな時に携帯電話でも持ってればなー。家に帰ったこの時間も、コウの声を聞いてられるのに……

 最近一般家庭の間にもニュースになっている携帯することを目的とした持ち運び用の電話――携帯電話はまだ庶民が持てる代物ではない。連絡手段が居間や廊下に置いてある電話機だけしかないシズクの家庭では、愛しい彼との通話は筒抜けになってしまうので論外だ。

「持ってない物を羨んでも仕方ないし、なんとか会える場所を増やさないとなー」

 んー、と頭を捻る。幸い、同じ学校で同学年だと向こうも認識しているようなので、もしかしたら学校内で出会えるかもしれない。わざわざ仲良くなろうと話し掛けてきたくらいなので、もし偶然にでも出会えれば、そこから立ち話くらいならすることも出来るだろう。

――あ、でも……友達がいるか……

 バイト先でのコウの周りには、いつもたくさんの友達がいた。多分みんな同級生っぽいので、同じクラスだったりして共に行動していることだろう。それに、友達がいるのはコウだけではない。

 シズクだって学校には友人がいる。同じクラスの男友達に対して恋愛感情なんてものは全くないが、常に一緒に行動している友人が一人いた。

「明日、あいつに話すかなー」

 友人の名前はリュウトといって、高校に入ってからの仲だがそれなりに仲が良い。席がたまたま隣同士だったからこれだけ仲良くなれたのだろうなと思える程には、リュウトはシズクと違って社交的だった。男のシズクから見ても“やや”イケメンと思える見た目で、クラスの女子達も寄ってくるタイプだ。

 シズクと同じく髪色を染めており、高校を決めた理由が『頭髪に規制がないから』だというから恐ろしい。お坊ちゃん学校だからとか、学びの環境がどうこう言わないのは、真に秀才であるが故だ。痩せているという印象を与えがちなシズクとは異なり、彼は“細身”で筋肉質。おまけに褐色の肌に軽薄そうな笑みまで浮かべているので、シズクの好みとは真逆である。

「……さすがに恋してるってのは……言えないなー」

 それなりに腹を割ったつもりの友人だが、やはり自身の恋愛対象が男だとは言えそうになかった。これだけはきっと、愛しい相手にしか言うことはなさそうだ。

――俺……コウに言えるのかな?

 好きな相手が出来たら告白する。そんな単純で簡単なことが、男子高校生にとっては最大の試練であり関心事である。それはシズクだって同じだ。しかしシズクの恋愛対象は、男だ。大多数の男子高校生達とは違うのだ。

 言えない、かもしれない。むしろ、玉砕してからのことを考えるなら、下手に言わない方が良い。玉砕する確率なんて、普通の告白の比ではないだろうし。

――話せたからって舞い上がってたけど……俺って、告白すら出来ないのか……?

 彼への想いを天秤にかけるつもりなんて、今の今まで考えてもいなかった。でもどうだ? 現実は、天秤にかけるべき『平穏な学校生活』がある。せっかく出来た友人も、クラスメート達からも孤立するのは、さすがにシズクだって避けたい。

「おいおい……マジかよ。仲良くなるって、なんなんだよ……」

 二人で話した時に彼が言った『仲良くなれる気がする』という言葉だけが、頭の中で何度もリピートする。彼はいったいなんでそんなことを言ったのだろう? まさか? いや、でも……

 悶々とするシズクを母親が夕飯に呼びつけたのは、それから二時間が経ってからだった。

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