妖のいる日常

@yoshimunekuroe

第1話 日常と非日常が織り交ざる朝

「もう朝よ」

ドンドンドンと部屋の扉を強く叩く音が聞こえてくる。

「煩いなあ」

ぼそっと恨み節をささやきながらも、真田一は意識を徐々に覚醒させ、ベットから飛び起きる。

彼にとって寝ている間は何事にも悩まされない至高の時間である。「一日の間で一番好きな時間は何ですか?」と質問されたら、即答で「睡眠時間です」と答える位、寝ている時間が好きだった。

だからこそ、真田一は本来であれば寝起きが悪く、梃子でもベットから離れようとせず、そのせいで鬼のような形相となった母親にたたき起こされるのが常日頃の日課であった。

兎に角朝に齢真田一が今日ばかりは自分で起きたのにも理由がある。

急いでぼさぼさの髪を整え、新品の制服に袖を通す。

始めて締めるネクタイにちょっと苦戦しながらも、何とか格好を整えリビングに向かった。

すると、新聞紙を広げながら朝食を待つ父親の姿があった。

普段は会社が早いため、朝食の場にいないのだが、今日は息子の晴れ姿を見送るべく、わざわざ朝食を共にしているのだ。 

息子が来たことを慌ただしい音から察すると、読んでいる新聞紙を下げて真田一の全身を見る。

「おう、よく似合っているぞ」

と、父親は息子に対してぶっきらぼうに語り掛ける。

人をほめることをしない父親が、精一杯の愛情を込めて語り掛けてくれてくれたのだ。

母親も食卓につき、朝食を皆で囲む。

真田一は地域の進学校である綾鹿学園(あやしかがくえん)に無事合格し、今日がその入学式の日なのだ。

新しい学園生活を真田一は楽しみにしていた。

よく見るアニメや漫画の舞台であり、青春を謳歌する場所。

もしかすると、万年彼女がいない自分でも、素敵な恋愛ができるのではないのかと思うと、否応なしに気持ちは高まってしまうのだった。

「いただきます」

手を合わせると、さっそく焼き立てのトーストへと真田一は手を伸ばす。

香ばしいパンの焼けた匂いが食欲をそそるが、その手は途中で止まってしまう。

先程まで湧き上がっていた食欲は急激に衰退していき、腹の内側を殴りつけるような、強い不快感に見舞われてしまう。

焼けたパンにはハエのような虫が止まっている。

だが、その虫は到底ハエと呼べる見た目をしていない。

芋虫のような体の先からは赤い筋のような管がにゅるりと生えている。

ぶらぶらと宙を揺れる赤い管の先には人間の小さな頭蓋骨が付いていた。

目玉だけは充血した新鮮な状態で360度回転しながらあたりを見渡しているのがミスマッチでおぞましい。

芋虫の体からは6本のミミズのようなぬめぬめした触手が生えそろっており、ひだが波打つようにして動くことで、食パンの上を這いずり回る。

虫の体からは紫色の粘液がじわりと広がっており、ペチャペチャと音を立てていた。

決して食するものにはついてほしくない、この世には存在しない化け物の姿にたじろいでしまう。

しかし、真田一は大きく三回ほど深呼吸をすると、無理やりパンを口の中に詰め込む。

『コレハイナイコレハイナイコレハイナイ』

心の中で必死に念じながら食べる。

せっかく母親が作ってくれたものを視えている事を理由に食べないなんて真田一にとって到底できない事だった。

「大丈夫?」

真田一の母親は顔を真っ青にしながらほおばる姿を見て、心配そうに聞く。

「今日は、そんなに視えないし、大丈夫だよ」

過度な心配をさせないように、笑顔を浮かべて努めて明るい表情で話す。

そう、目の前にいるハエのような化け物は真田一にしか視えていないのだ。

真田一は昔から“視えてしまう体質”だった。

物心ついたときからこの世ならざるものがはっきりと視認しまう。

それは日常の中に当たり前のように存在していて、形容しがたい不快感をあおって来る。

昼夜問わず視えるそれに慣れようとした過去もあったが、どうしても真田一にとって無理な事だった。

それから逃れる術はない。

厄介な事に一度いると視えてしまうと、目を閉じてもその存在がはっきりと脳裏に映ってしまうからだ。

心を殺し、視えている現象を認知しないことでしか、この逃れようのない恐怖から逃げる術がない。

何とか朝食を胃の中に詰め込むと「いってきます」と大きな声で挨拶をした後、綾鹿学園へと向かうべく家を出る。

両親はあくまでも元気よくふるまう息子を心配しながらも玄関まで見送っていた。

父親も母親もは息子の悩みを知っていたが、化け物の姿を視ることはできなかった。

事情は知りつつも、息子が本当に視えているものを共有出来ないし、その痛みを知る事が出来ないことに、歯がゆさを感じていた。

「私たちにできることって、一が安心して帰ってこれる場所を作る事よね」

「ああ、不安を抱えながらもこんなにも立派に育ってくれているんだ。心が休まる場所くらい作ってあげよう。学校でいい友達ができるといいな」

「ええ、本当にそうね」

せめて高校生活は明るいものになりますように。

そう祈りながら、真田一の元気に過ごす姿をただただ祈る事しかできなかった。

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