第32話 支えになりたいから
──時は少し前に遡る。
私、如月 皐月は人生に疲れ果てていた。
ある日のことだった。中学のクラスの担任が慌てて教室に入ってきて、私を呼び出した。特に何か怒られるようなことをした記憶もなかったので、一体なんだろうと思ったのを今でも覚えている。
私が連れていかれたのは、生徒指導室。
普段悪いことをした生徒が連れてこられて、お説教を受ける場所だ。
「あの、先生? 私、なにかしちゃいましたか?」
だが、担任は返事をしてくれない。よく見れば肩がプルプルと震えている。
「せ、先生。何か言ってくれないと、私不安になっちゃいますよ?」
それから数分後。
ようやく振り返ると、担任はギリっと唇を噛んで、沈痛そうな表情をして言った。
「如月。君のご両親が、ついさっき事故で亡くなられた」
それを聞いた瞬間、頭の中が真っ白になる。
お父さんと、お母さんが……死んだ?
「やだなぁ。そんな趣味の悪い冗談、言わないでくださいよ」
「くっ……」
だが、担任は私の問いかけにも反応せず、スーツの裾で涙を拭っている。
気付けば、私も泣いていた。
涙が止まらない。拭いても拭いても、どんどん溢れてくる。
担任の先生が私を抱きしめて「ごめんな……ごめんな」と連呼するのを、どこか上の空で聞いていた。
それから、私の心は氷で暗く閉ざされた。
高校に入学してからも、誰からも寄り付かれないように喋り方を変え、人を近づけさせないオーラを見に纏った。周りは楽しそうに過ごしている中、私は独りぼっち。
寂しかったが、それよりもこれ以上自分の周りの大切なん人が死ぬのは見たくないだけだった。今日も空は曇っている。私はとぼとぼと帰路に着き、自宅の鍵を開けて中に入る。
両親たちと住んでいた家だ。
幸い、両親たちはもしものときのために私への遺産を遺していてくれたため、生活には困っていない。制服を脱ぎながら脱衣場に向かうと、シャワーを浴びた。
するべきことを終え、スマホを開く。
私にはもう両親がいないため、叔父さんが協力して買ってくれたものだ。
なんとなく、SNSのmutterを開く。
そこには、東雲 千紘という名前やそれに関連するものがズラリと並んでいた。
少しだけ気になってそのトレンドをタップすると、無数にタイムラインが流れてくる。その中には【無名ダンジョン配信者さん、ディーバドラゴン瞬殺wwwww】などという呟きがあり、何となく、別に釣られてもいいやと思い、動画を再生してみる。
「…………え」
それを見た瞬間、私は固まってしまった。
合成でもCGでもない、獰猛そのものであり食物連鎖界のトップであるドラゴンを、軽々と投げ飛ばしたあげくお腹に大穴を開けて一瞬で倒してしまったのだ。
すっかり彼の虜になってしまった私は、次から次へと彼に関連するものを調べ漁っていく。ほとんどのつぶやきは眉唾もののくだらないものだったが、中には興味深い呟きもいくつかある。そして何より驚いたのは、たったひとりでの深淵踏破。
動画をタップすると、大柄で筋肉質な男性と東雲 千紘が話しているところが目に入った。それから程なくして、戦闘勃発。両者引けを取らない戦いの中、勝利したのはやはり東雲 千紘だった。それから東雲 千紘は満身創痍のボスの元へと向かい、何かを話している。次の瞬間、ボスの体がグネグネと変形し、緑色の巨大な龍が現れた。
だが、それさえも倒してしまったのだ。
「…………すごい」
その光景は、ダンジョンに潜る者の理想ともいえる極致だろう。
彼はどんな人なのだろうか。
彼はどれくらい強いのだろうか。
彼はどんな目で私を見てくれるのだろうか。
知りたい。とにかく会って知りたい。彼の全てを知ってみたい。
そう思い、探索者用の装備に着替えると、私は家を後にしたのだった。
◇◆◇
完全に油断していた。
下層の魔物程度、簡単にあしらえるだろうと思っていた結果がこのザマだ。
そもそも、下層からは魔境と呼ばれる危険地帯で、初心者が入るのは強く非推奨していたというに。
今、私の周りには狼型の魔物、クレセントウルフが群れで私を囲んでいる。
今にも噛みついてきそうな勢いだ。思わず冷や汗が額を流れる。
『ガウッ!』
その内の一匹が私に向かって飛び掛かってきた。
「ッ!」
何とか反射神経で躱し、すれ違いざまに脇腹を刀で切り裂いた。
仲間がやられたことに苛立ったのか、あるいは血の匂いで興奮したのか。
クレセントウルフたちは次々と襲い掛かってくる。
何度か対処するうちに、牙や爪がかすってしまう。
でも、大丈夫。これくらいなら倒せる。
刀を握る手に力を込めた瞬間、クレセントウルフは遠吠えを上げた。
ぞろぞろと集まってくる魔物たち。戦況はあっという間にひっくり返った。
もはや、これだけの数の魔物を相手にする体力はない。
万事休す。終わりだと思った瞬間、奇跡が起きた。
「おい、助けはいるか!?」
その声に、私は藁にもすがる思いで一も二もなく頷いた。
男性と女性の二人組。彼らはあっという間に魔物の群れを殲滅してしまった。
その二人の顔を見て、私は絶句する。だって、それは探索者のほとんどが知っている国民的美少女、小鳥遊 彩矢と、私の心の中のヒーロー、東雲 千紘だったのだから。
本当なら狂喜乱舞したいところだが、そういうわけにはいかない。
この二人には、これ以上みっともない真似など見せたくなかったのだ。
:やっと推しに会えたな
:おめでとう!
:無事でよかった
:ほんと、あの時はヒヤヒヤした
今まで見る余裕のなかったコメント欄も、私を祝福してくれている。
私は二人に見えないようにピースサインを作る。
それから少しやり取りをして、彼らと一緒にダンジョンに潜ることになった。
さっきチヒロ
それにしても、歯がゆい思いは消せない。
本当はアヤにもチヒロにもフレンドリーに話しかけたいのだが、中学のときのトラウマが心の枷になって上手く話せない。そんな私をリスナーたちは『無口なクール系美少女』と評しているが、それは全くの勘違いだ。
私はモヤモヤした気持ちを抱えながら、二人の背中を見つめた。
それから紆余曲折あり、それでも難なく深淵の最奥部まで辿り着いた。
信じられないことだ。だって、日本人で深淵に到達できたのは、公に発表されているのはチヒロだけなのだから。そんな凄い人と今、私は隣に立っている。
そう考えると、武者震いしてしまった。別に、私が戦っているわけではないのに。
私たちは二、三個ほど会話をし、遂に深淵のボス部屋に入る。
そこには、気味の悪い男が立っていた。
「ようこそおいでくださりました、小さく勇敢な方々。わたくしはソロモン、72柱が1、序列14番目のレライエと申します」
一目見ただけで分かる。
そいつはツカツカとチヒロの元まで歩みより、何か言葉を交わすと、次の瞬間には鬼の用な形相で自分の腕を思いっきり切り裂いた。溢れ出る血は地面に流れ落ち、そこに魔法陣が現れる。
「来なさい──バフォメット」
魔法陣の中から出てきた黒い山羊のような獣。
バフォメット。あのいけ好かない男がそう呼んでいた魔物は、人間ほどもある巨大な手を使って、その爪でチヒロを切り裂こうと攻撃を繰り返す。
だが、チヒロは全ての動きを見切っているかの如く、紙一重で全撃回避する。
:すっご
:バケモン
:バケモノにはバケモノぶつけんだよ!
:あの男ひきつった顔してんじゃん
:ほんまや
:つよい(確信)
「ええい、バフォメット! 何をしている、そんなドブネズミ、さっさとつぶしておやりなさい!」
男の怒声に呼応するようにバフォメットが叫ぶと、一瞬耳がキーンと鳴り、あまりの声量に思わず耳を塞いでしまった。
だが、最悪なのはそれだけじゃない。バフォメットの体は筋肉が膨張し、体が肥大化し、まとっていた重圧がさらに重苦しいものになった。
だが、チヒロはそんなことを意にも介さず、バフォメットの腹部を殴りつける。
それだけで、バフォメットは面白いくらいに吹っ飛んでいって観客のいない観戦席に激突した。だが、まだその命の灯は消えていないようで、立ち上がると野太い咆哮を上げながらチヒロにゆっくりと近付いていく。
見れば男の方も笑みが消えており、薄ら寒い目でチヒロを見ている。
このままでは、挟み撃ちにされて死んでしまう。
そう思った私は、アヤとアイコンタクトを取る。どうやら同じ気持ちのようだ。
私たちはバッと駆け寄り、チヒロを庇うようにバフォメットと相対した。
「あれは私たちが相手をします、東雲さんはあの悪魔を!」
「こっちの心配は、平気。気にしないで全力でやって」
アヤと一緒にチヒロに向かってそう言うと、チヒロは礼を言ってから。レライエの方へ向き直る。決闘に横やりを入れられて怒ったのか、あるいはただの威嚇行為か。
バフォメットは大声量で叫んだ。
真偽は不明だが、私たちは一旦向きを変えて、バフォメットに、向きなおる。
バフォメットは何かを呟きながら魔法陣の構築を始める。
だが、アヤのスピードに勝てる者はいない。それに、私の補助もついている。
ついぞバフォメットは魔法の発動に失敗し、魔法陣は砕け去った。
小鳥遊は束の間の休息に、安堵の溜息を溢す。
魔法を阻害されたバファメットは、憤怒に顔を歪めながら叫ぶ。
でも、これだけで終わるとは思わないでほしい。
「
回復魔法でありながら、回復することが目的ではない魔法。
それは代謝や細胞の働きを過剰に促進させて、相手の体を内側から壊す魔法。
そんな魔法を使ってアヤはバフォメットに向かって一撃を入れる。
その傷は浅かったようだが、これで集中は完全に私たちに向けられた。
背後でも、激しく争う音が聞こえてくる。
振り返りたい気持ちを何とか抑え、私はバフォメットが防護魔法を放つ前に、攻撃魔法を撃った。
途端、剣戟の音が聞こてくる。向こうの戦いも激しさを増してきたようだ。
激しい攻防の音。それにつられて、私はついぞ振り返る。
見れば、レライエの胸から剣が生えていた。
チヒロは大丈夫。そう思った私は、再びゆらりと立ち会がるバフォメットに目をやった。
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