第27話 眠れる獣

 深淵に入ると、重い空気がただよっていた。

 前に来た時と同じだ。俺は気にならないが、二人は嫌そうな顔をしていた。


「うわぁ、本当に来ちゃったんですね、深淵……」

「目標達成した、ぶい。けどここ、なんかヤな感じ……」


 三つのキューブが、付かず離れずの距離でついてくる。

 俺と小鳥遊が配信者なのはもちろんだが、そういえば皐月も配信者だったことをすっかり忘れていた。なんとなく気になって、質問してみる。


「そういえば皐月は、リスナーの人たちとやり取りはしないのか?」

「たまにする。けど、私の配信はあくまで後で私の動きを再確認するため」

「へぇ、ストイックなんだな」


 軽く雑談をしながら歩いていると、前方から何かが走ってくるのが見えた。


「バンダースナッチか」


 バンダースナッチはたまに深層にも出るってリスナーが教えてくれた気がする。

 折角の機会だ、二人に経験を積んでもらうか。


「小鳥遊さん、皐月、やれるか?」

「もちのろん」

「が、頑張りますよっ!」


 彼我の距離が5メートルほどになったときだった。

 皐月が動く。目にも止まらぬ速さで抜刀し、バンダースナッチの前脚を切り裂いた。

 バランスを崩し、転倒するように駆け込んできたところを小鳥遊が棍でフルスイング。グシャっという音がして顔の半分が潰れたが、バンダースナッチはまだ諦めていない。


「まだまだぁっ!」


 二撃目、三撃目。連続で棍を振り下ろした結果、バンダースナッチは見るも無残な姿になっていた。しかし、虫の息だがまだ生きている。皐月がやってきて、首筋にトスっと刀を突き立てると、今度こそバンダースナッチは息絶えた。


 良い連携だ。


 俺は拍手しながら、二人に近付く。


「凄いじゃないの。最後まで油断せず、しっかりトドメを刺したな。俺ごときが偉そうだけど、100点満点だ」


 そう言うと、二人は照れ臭そうに頬を赤らめて笑う。

 やはり彼女たちならば、俺がいなくても上手くやっていけるだろう。


 それからも度々魔物に遭遇しては、小鳥遊たちに戦闘を任せ、危ない敵が出てきたときだけ俺が対処するようにした。二人の戦闘センスは抜群で、戦いを経る度に成長している気がする。


 だが、そんなことより何より幸いだったのは、未だにあのバケモノ女と出会っていないことだった。アレは俺にとってのトラウマだ。ビジュアルもそうだし、戦闘スタイルもそうだし、声も気持ち悪い。できれば、二度と出会いたくない相手だ。


 深淵も半ばというところに差し掛かったときだった。

 ふと、俺たちは示し合わせたように足を止めた。


「なんですか、あれ……」

「分からない。この前来た時は、あんなものなかったはずなんだが……」

「凄く気味が悪い。イヤ」


 そこには、通路の右側が拓けていて、大きな空間ができあがっていた。

 さらに異質なのは、幾多ものチューブに繋がれてそこに眠る胎児のような異形。

 それが、ポッドと呼んでいいのかも分からない奇妙な水槽の中で眠っていた。


 :なぁにこれぇ?

 :でっか

 :うちのオフィスビルくらいあるやんけ

 :やばすぎ

 :まるでゲームのラスボスやんなw

 :今の内に倒しちゃったほうがいいのでは?


 そのコメントを拾い、俺は有限実行に移すことを決める。

 近くにあった手ごろな石を拾い、身体強化して全力でポッドに向かって投げつける。


 これはドラゴンの強靭な鱗すら貫通する奥の手だ。


 剛速球で投げられたその石は銃弾よりも早い速度、高い威力で投擲されたにも関わらず、ポッドに傷一つつけられなかった。


「嘘だろ……」


 思わず、そんな呟きが口から漏れ出てしまう。


「東雲さん……」


 不安そうに小鳥遊が近寄ってくる。

 その表情は怯えていた。未知への恐怖。理解できないことへの怖さそのものだ。


「大丈夫、大丈夫」


 何とか安心させようと、小鳥遊の華奢な肩をポンポンと叩いた。


 あのポッドは何なのか。そして、あの巨大な胎児は何者なのか。

 全てが未知で意味不明だが、何もせずに見ているわけにはいかない。


「最奥部まで行こう。そしたら何か分かるかもしれない」


 俺の提案に、二人は頷いた。


 長い螺旋階段のようなものを降っていく。

 が、ずっと例のポッドが視界に入っていて気味が悪い。

 今にも動き出しそうだ。


 それと、不思議なことが起きた。


 魔物が一切現れないのだ。

 ポッドを目視するまでは割とひっきりなしに襲ってきたというのに、このポッドが見える場所に出た瞬間、襲撃はパタリと止んだ。


 何の因果関係があるのかは分からないが、今はこの状況に感謝する他ないだろう。


 やがて階段をくぐり終え、通路を歩いていくこと10分ほど。

 ついにボス部屋が見えてきた。


「ついたな」

「そうですね」

「(コクコク)」


 重圧が扉越しにも伝わってくる。

 間違いなく、この先には何かがいる。


 なんとなく、俺の直感が告げている。

 ここを抜けたら、もう引き下がることはできないぞ、と。

 それでも前に進むしかない。


「皆、覚悟はいいか?」

「大丈夫です!」

「何も問題ない」


 :三人共がんばれ

 :もうやるしかない

 :ドキドキしてきた

 :一体何が待ち受けているやら……

 :主、皐月たんを頼むぞ

 :あやちゃんのこともおねがい

 :とりあえず今拡散しまくってる

 :初見です! 何が起きてるんですか?

 :初見です、がんばってください

 :お、早速来たね

 :今から主たちが深淵のボスエリア入るとこ

 :えっ、深淵ってあの深淵ですか!?

 :そうだよ


 同接は500万人。

 こんな数字、初めてだ。本来なら目ん玉ひん剥いて転げまわりたいところだが、今はそんなことをしている場合じゃない。


 一度深呼吸をして、俺は思いっきり扉を開いた。


 中の光景は、前に来た時と変わりなかった。

 ローマのコロッセオのような場所。しかし疑似天気は昼ではなく、夜だ。

 辺りは真っ暗で、トーチの灯りだけが煌々と光を放っている。


「ようこそおいでくださいました、勇気ある探索者の皆様」


 ふと、奥の方から声が響いたと思うと、人間が現れた。

 白いスーツを着て、炎のような赤い髪をきちんとセットしている。見た目だけでいえば好青年。

 だが、内から膨れ上がる敵意は隠せていないようで、ダダ洩れだ。


「ここにいらっしゃるのは、初めて……おや? そちらの男性は前回も来たことがおありのようですね。いやぁ素晴らしい。まさか人がここまで来れるとは」


 男は慇懃無礼な態度を崩さず、薄ら笑いをしてこちらを品定めするように見てくる。


「おっと、申し訳ありません。私としたことが申し遅れました、私はソロモン72柱が1、序列14番のレライエと申します」


 レライエはそう言うと、優雅な仕草でお辞儀をする。


「ソロモン72柱……?」

「旧約聖書に書かれてるおとぎ話の一部。かつての王ソロモンが従える悪魔たちのこと」

 

 疑問に首を傾げる小鳥遊に、皐月が教える。

 意外と知識あったんだな、こいつ。


「いって!」

「いま失礼なこと考えた」


 皐月に思いっきり足を踏まれて悶絶する俺。


 レライエは愉快そうに笑っている。


「それで、まーたソロモン72柱か。お前ら何が目的なの?」

「それをお答えするには、契約が必要となりますね。いかがなさいますか?」

「じゃあやめとく。お前のことボコって話させたほうが楽そうだしな」

「おお、怖い怖い。しかし、私の相手をするのは、一筋縄ではいきませんよ?」


 レライエはにっこりとした笑顔を絶やさないまま、自らの爪で腕を切り裂いた。


「何を……ッ!?」

「何か来る、気を付けて……ッ!」


 皐月の言葉通り、血が垂れた場所から魔法陣が現れる。


「来なさい──バフォメット」


 次の瞬間、元からあった魔法陣に赤い魔法陣が重なり、そこから黒い山羊頭の怪物が出てくる。その怪物は荘厳な翼を持ち、上半身は屈強な男性、下半身は獣という歪な外見をしていた。


「……ブネは過ちを犯しました。人間などという下等生物に慈愛の心を持ち、悪魔の格を貶めたッ! 私は絶対に間違えない! 貴様らゴミムシ同然の、何の価値もない愚かな生物を根絶やしにしてやるッ!! まずはそこの男、貴様からだァッ!!」


 レライエは取り繕っていた笑顔を捨て、憤怒の形相で俺を睨むと指を突き付けて戦線布告してきた。


「どうしてこうなるかなー……」


 俺はなんとも言えない気持ちになり、後頭部を掻いた。

 なーんにも悪いことしてないんだけどな、何でこんなに嫌われるんだろう。

 

 やだなぁ、辛いなぁ、苦しいなぁ、もう死んじゃおっかなぁ。


 そんなことを考えながら、無意識に後ろに下がった。

 そうすると、バフォメットの爪が目の前を横切る。


「あっぶな」


 しかし、それだけでバフォメットの猛追は終わらない。

 右フック、左フック、アッパー、尻尾での回転攻撃。

 次から次へとやってくる怒涛の攻勢に、あるときは体をずらし、あるときは剣を合わせ、攻撃をいなしていく。


「何をしている! ええいッ、早く殺してしまえッ!!」


 主人の命令にバフォメットは身を震わせると、筋肉を肥大化させた。


「え、なに。二段階目とかあんの? まだ体力も削ってないのに? ターン経過で進化とかズルじゃん」

『ゴアアアアアアアアアッ!!』


 バフォメットは咆哮を上げる。

 空気がビリビリと震え、思わず耳を塞いでしまうほどには大音量だ。


「うるっさいなぁ、もう。静かにしろよ」


 苛立ちを込めて多少本気・・でパンチを入れると、バフォメットは面白いくらいに回転しながら吹っ飛んでいき、コロッセオの観客席に激突した。


 まったく、観客がいなくてよかったよ。

 まぁこんなところに観客がいたら、そっちの方がホラーだから別に全然いいんだけどさ。


 あ、でも遠く離れた地にはこの戦いを見てる人がいっぱいいるんだった。

 さっきの咆哮大丈夫だったかな。結構質のいいノイズキャンセリングが付いてるから平気だと思うが。ちらりとコメントを確認する。


 :耳ないなった

 :あれ、急に何も聞こえなくなったんですけど?

 :なんかやな予感して音量下げといてよかったわ

 :俺氏、電車内でイヤホン着用中、無事死亡

 :成仏してクレメンス……

 :あのデカいバケモノぶっ飛ばしただけでもう凄い

 :耳取れたけど凄いもの見れてよかった

 :これ見届けたら耳鼻科行ってきます


 あちゃー。ダメだったかぁ。

 リスナーに心の中で詫びを入れ、バフォメットが吹っ飛んでいった方角を見た。。


 バフォメットは見た目通りのタフネスのようだ。

 ゆっくりと起き上がると、こちらへ向かって歩いてくる。


「いいぜ、やるならとことんやり合おう」


 双剣を抜き払って構えたところで、俺の前に二人が立ちはだかった。


「あれは私たちが相手をします、東雲さんはあの悪魔を!」

「こっちの心配は、平気。気にしないで全力でやって」


「小鳥遊さん、皐月……ありがとう」


 俺は二人の背中に礼を言うと、レライエに向き合った。


「よう、待たせたな」

「フフフ……蟻がいくら集ったところで、所詮は蟻。そんな道理も知らずに、自己満足の犠牲心で互いを助け合って、傷を舐めあって……なんて醜くて浅ましくて愚かな存在なのでしょうね、人間というのは?」


 挑発のつもりなんだろうが、今の俺の心はすっかり冷え切っていた。

 まるで、初めてダンジョンに潜ったあの時・・・のようだ。


「お前みたいな奴には、一生分からないだろうよ」


 それだけ告げると、俺はレライエに向かって走りだす。

 待ってろよ、その顔面、今すぐボコボコにしてやるからな。

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