第3話 窮地
「みんなー! 今日もダンジョン攻略、張り切っていくよ!」
:きちゃー!
:待ってた!
:あやちゃんだー!!
:今日もかわいい
:いつになく気合入ってるね
:やったー!
無事に配信が開始されたのを確認して、私はキューブに向かってピースをする。
私──小鳥遊 彩矢は、ダンジョン配信者だ。
高校生の頃から始めたこの活動は、あっという間に色んな人に拡散されて、ありがたいことに大人気ダンジョン配信者なんて呼ばれるくらいに成長した。
これもひとえに、応援してくれている皆のおかげ。
私は自分に気合いを入れると、キューブの前で宣言した。
「今日は、神谷町ダンジョンに潜ろうと思いますっ!」
ここ、神谷町ダンジョンは、未だに踏破されていない難関ダンジョンとして有名だ。
何でも、噂では深層の更に先──深淵と呼ばれる階層まで広がっているらしい。
といっても、今の私には下層が限界。それでさえ、魔境と呼ばれて一握りの探索者でしか行けない階層なのだ。世界はまだまだ広いなと思い知る。
:有名どころキター!
:これまた難しいダンジョンきたね……大丈夫なの?
:あやちゃんのピンチ……見たいけど見たくない!
:危ないと思ったらすぐ逃げてね
コメントの皆は、私のことを心配してくれているようだ。
「ふふっ、大丈夫! 今日のために、このダンジョンのことは下調べ済みだよっ!」
大丈夫。今日に備えて、事前知識はたっぷり仕入れておいた。
どの階層でどんな魔物が出るか、どんなトラップがあるかなどだ。
調べた範囲では、今まで私が戦ってきた魔物ばかり。
問題なく、探索できるはず。
「今日は、自分にできる限界を知りたいんです! だから、行けるところまで行くよーっ!」
キューブの前で、小さくえいえいおーっと掛け声をあげる。
これは私が配信を始めるときにいつもやるポーズで、こうして自分のやる気を高めているのだ。
コメント欄もえいえいおーで埋め尽くされ、一体感を感じたところで、私はダンジョンの探索を開始した。
異変を感じたのは、中層も後半だろうという辺りに差し掛かったところだった。
「あれ、おかしいな……」
ここに来るまで、魔物に一匹も出くわさなかったのだ。
ダンジョンは不気味なほどに静まり返っている。少し怖いくらいだ。
こんなこと、今までなかったのに。
:なんか魔物ぜんぜん出てこなくない?
:おかしいね
:神谷町ダンジョン行ったことあるけど、もっといっぱい魔物いたよ
:なんか様子がおかしい
:あやちゃん、今日は引き返したほうがいいんじゃ……
リスナーの皆も、不安がっているコメントがちらほらと見え始めた。
とはいえ、撮れ高もないまま引き返すわけにはいかない。
皆が見たがっているのは、ううん、なにより私が望んでいるのは、探索者としてもっと高みを目指す小鳥遊 彩矢だから。
「もうちょっと、奥に進んでみる……!」
今思えば、この判断が間違っていたのだろう。
結局、下層に辿り着いても魔物との遭遇は無いままだった。
リスナーの指摘通り、なにか嫌な予感がする。それは、探索者としての直感だった。
けれど、もう引き下がれないところまで来てしまっている。
ここまで来たら、せめて魔物の一体でも見つけないと。
そう思っていた次の瞬間だった。
「わっ!」
突然、通路の奥の方から大きな火の玉が飛んできたのだ。
咄嗟に横に跳んで回避する。火の玉はボウッと音を立ててダンジョンの壁に激突すると、壁を溶解しながら消え去った。
明らかな攻撃。この先に、魔物がいる……!
私は手に持っていた愛用の武器、自分の身長より大きな棍を握りしめて、通路の奥の方を睨んだ。
暗がりの向こうから、また火の玉が飛んでくる。
さっきより大きい。
「もう、しつこいよっ!」
今度は回避なんてしない。
私は棍を振り払い、火の玉を迎撃した。
「く……っ!」
予想よりも重い。けど、返せない攻撃じゃない。
私の棍は、魔法の
「やあああああっ!」
声に気合いを乗せて、思いっきり棍を抜き払った。
火の玉はぐにゃりと形を歪めながら、放ってきた主の方へと向かっていく。
一瞬、その火の玉の明るさで、通路の奥にいた魔物の顔が照らされた。
それを見た瞬間、ゾクリと背筋に冷たいものが走るのが分かった。
「え……」
:なにいまの
:え
:なんかデカくなかった?
:見たことない
:なにあれ
:わからないけどヤバそうってことはわかった
コメント欄がざわついている。
けれど、それに構ってられないくらいの驚愕が私の全身を支配していた。
ネットで得た事前知識にも、あんな魔物の存在は記されていなかったのだ。
何より、あの魔物の顔──。
本能的な恐怖が、じわじわと足元から浸食してくる。
私が恐怖で固まっている間にも、それはゆっくりと通路の暗がりから姿を現した。
『ガッガッガッガッガ……』
低くしわがれた嗤い声を上げながら出てきたソレは、真っ赤な怪物としか言いようがなかった。
巨大な悪魔。そんな言葉が相応しい。
赤くひび割れた体表に、黒くボサボサに伸びた髪。
不気味に光る黄色い瞳は、ヘビのようにぱっくりと縦に割れていて、それが私を捉えた瞬間、叫びたくなるほどの嫌悪感と恐ろしさがつららのように背筋を襲った。
「いや……」
なんとか絞り出した声は、自分でも分かるくらいに震えていたのがわかる。
:なんかヤバそうなのきたああああ!
:まずいって、あやちゃん逃げて!
:逃げろ!
:デーモンだ! 深層にしか出てこない魔物だよ!
:じゃあなんで下層にいるんだよ!
:わからないけどとにかくこの状況はまずいって!
:やだ、あやちゃんが死ぬところみたくない!
:今のあやちゃんじゃ勝てないよ、逃げて!
逃げろ。
コメント欄がそれ一色に染まる。
何とか足を動かそうと試みるが、産まれたての小鹿のようにプルプルと震えて動かない。
『ガッガッガ……ガァ!』
何とか反応できたのは、奇跡と言っても過言じゃなかった。
デーモン。リスナーがそう呼んでいた魔物の右腕が光ったのを見て、咄嗟に棍を体の前に掲げたのだ。次の瞬間、甲高い音がして火花が散る。
気付けば、デーモンの持っていた二股の槍と、私の棍が交差していた。
「~~~っ!」
とてつもなく重い衝撃。
棍を持っていた腕がビリビリと痺れるほどの一撃だ。
思わず棍を取り落としてしまいそうになるが、必死の思いで握りしめる。
今、これを失ったら死ぬのは目に見えているから。
何とか初撃を防げたことで、意識がハッとしたのだろう。
私はデーモンに背中を向けると、一目散に来た道を駆け出した。
敗走だ。情けないと思ったが、これしか取れる選択肢はない。
今の私では、逆立ちしてもあの化け物には適わないと分かってしまった。
とにかく、逃げなければ。
そう思った次の瞬間──
「あぐぅっ!?」
足に鋭い痛みが走り、勢いのまま転倒してしまう。
なんとか上体を起こして振り返ると、デーモンの槍が伸びていた。
切られたのだ。
『ガッガッガッガ』
デーモンはおぞましい嗤い声を上げながら舌を伸ばすと、槍に付着した私の血液を舐め取った。
太ももがじくじくと痛みを訴える。
ちらりと見たら、深く抉れている傷跡が目に入った。血が止まらない。
「いや……いや……っ!」
涙が溢れてくる。私はこんなところで死ぬのだろうか。
分かってはいた。ダンジョンは危険なところだと。
探索者として続けていれば、いつかは命を落としてしまうかもしれないと。
分かってはいた……はずなのだ。
けれど、まだそんなつもりはなかった。
脳裏に両親や妹の姿が浮かぶ。
まだ、親孝行もできていない。
まだ、妹に楽しい思いもさせてあげられていない。
こんなところで、終わりたくない……!
デーモンは私の感情を、恐怖を楽しんでいるのか、ゆっくりと近付いてくると、顔を目と鼻の位置まで接近させてきた。
『オオオァァァアアアアア……』
生臭い血と臓物の臭いが鼻腔を突く。
それと同時に、今まで表に出しきれていなかった感情が爆発した。
「きゃあああああああっ!」
ダンジョン内に、私の絶叫が響き渡る。
:ほんとに洒落にならん
:やだよあやちゃん……嘘だよね?
:おい誰か通報しろ!
:もうした! けど間に合いそうにないって!
:うそだろ……
:誰かなんとかしてくれよ!
:ちょっとごめん……もう見てられないわ
:誰でもいいから誰か近くにいないのかよ!?
リスナーたちも阿鼻叫喚の大騒ぎだ。
皆、心配かけてごめんなさい。
涙が滂沱として止まらない。絶望に染め上げられた思考の中、そんなことを思う。
さっき転んだときに、武器も遠くへ転がっていってしまった。
立ち上がろうにも、腰が抜けてしまったのか、ぴくりとも力が入らない。
もう成すすべはない。
デーモンはひとしきり私の怯えを愉しんだのか、やがて満足そうに息を吐くと、槍を振りかざした。
これで終わりだ。
痛みに備えて目をキュっと閉じて──
「はいストップ」
どこか気の抜けたような男性の声が聞こえた。
痛みはやってこない。
「……え?」
恐る恐る目を開けると、デーモンが右手を振り上げたままの恰好で固まっていた。
その肩から先は……無い。
『……ガ?』
何が起こったのか。
思考が現実に追いつく前に、追い打ちのように先程の男性の声。
「これでおしまい、っと!」
それに続くようにデーモンの体に無数の線が入ったと思うと、次の瞬間にはバラバラと音を立ててデーモンは崩れ落ちた。
:え
:は?
:は?
:は?
:うそだろ
:なにごと
:え、なにが起きたの
:え?
:死んだ?
:デーモン一瞬で死んだ
ありえない。
どこかふわふわした思考で辺りを見渡すと、先程までデーモンが立っていたところに一人の男性がいるのを見つけた。
助かった……?
私が呆然としている間にも、男性は私の元へやってくると、しゃがんだ。
必然、男性と目が合う。
ふと、心臓が跳ねるのを感じた。
どこか憂い毛な切れ長の瞳に、後ろで縛った長髪。
全体的に陰のある感じの男性だが、その表情は優し気だ。
「えっと、まぁ、とりあえずこれで大丈夫だと思います。あ、傷の手当だけ失礼しますね。ッス……」
男性はそう言うと、腰のポーチをごそごそと漁って、桃色の小瓶を取り出す。
そして、私の傷口に液体を垂らした。
「う……っ!」
一瞬、まるで消毒液がかかったときのようなじくりとした痛みに顔を歪めてしまったが、私はもっと驚くことになる。
「嘘、怪我が……痛くない……!?」
あれだけ深く抉られていた傷が見る影もなく、痕さえ残っていないのだ。
それに、全然痛みを感じない。
「あー、まぁポーションなんで、ハイ……」
男性は胡乱げにそう言うが、こんな即効性のあるポーションなんて聞いたことがない! あるとしても、よっぽどの高級品だ。それを惜しげもなく使ってくれるなんて、この人は一体……?
そう考えていると、男性は自身のキューブを確認し、次の瞬間声を荒げた。
「うるっせ! 誰が陰キャだ、誰が! ほっとけい!」
:草
:草
:笑う
:何か向こうのリスナーに煽られてんじゃねw
:さっきのイケメンっぷりとギャップがすごいわwww
:でも確かに人馴れしてなさそうw
すっかり安心したリスナーたちのコメント欄を見て、私もクスッと笑ってしまう。
男性に気付かれていないようで、安心したのは内緒だ。
男性はリスナーたちと何やらやり取りをしているようで、面白いくらいに表情がコロコロと変わる。
「ってか何、知ってるって。どゆこと?」
何の話をしているのだろう。
正直、助けてもらった手前、私としてはすぐにお礼を言いたい。
けれど、彼も配信をしているようだし、邪魔をするのは申し訳ない。
大人しく待っていると、男性はバッとこちらを振り向いてきた。
「え、嘘」
何かは分からないが、ここがチャンスだ。
「あの、助けていただいてありがとうございました。私、小鳥遊 彩矢っていいます」
そう告げた瞬間の彼の顔を、私は忘れることができないだろう。
だって、さっきまでキリっとしてカッコ良かった彼が、あんぐりと口を開けてこの世の終わりのような表情をしていたのだから。
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