六 寮母

 目が覚めたら、全てが整っていた。

 激しい怒りを覚えて、限界を迎え、気を失ってしまったのだろう。

 目を覚ましたら、見慣れない部屋でベッドの上にいた。

 ”災禍”は胡乱な目で、周囲を見回す。

 扉が二つ。ベッドに机、棚一つ。

 牢より狭く、あまりゆとりのない部屋。

 これが一般的な部屋なのだろうか?


 身じろぎをして、首元に違和感を覚えた。

 触ってみると、いつもの無骨な枷ではなく、細いリングタイプの抑制装置に変えられている。

 最近実験させられたやつだろう。

 その時与えられた痛みを思い出し、苦い思いをする。

 今回だって、・・・抵抗らしい抵抗もできなかった。

 結局向こうの思惑通りにことが運んでいる。

 ”災禍’には、もはや苛立ちもなかった。

 胸にあるのは、強い自己嫌悪と、ちろちろ燃え続ける国への憎しみ、嫌悪感。

 彼女にできることはもう何もなく、ただ茫然自失としていた。



 こんこん。

 ベッドの上で半身を起こして、膝の上で拳を握りしめていると扉を叩く音がした。

 ”災禍”が警戒して身構えていれば、やがて「入りますよ」の声の後、ふくよかな女性と、腰に剣を下げた男が入ってくる。

「起きているじゃありませんか。

 起きている時、ノックをされたら、返事くらいなさい」

 エプロン姿の中年の女は、おっとりとした声で注意した。

 二人を冷たい目で見やって、私はすぐに窓の向こうに視線を戻した。

 あいにくの雨で、好きな空や鳥は見えない。


 女たちの後ろ、扉の向こうから、高く騒がしい声が聞こえる。

 おそらく子供の声。

 ずいぶん楽しそうな声・・・私がどんな思いをしてきたのかも知らずに。平和だこと。

 ”災禍”が鼻を鳴らすと、自分がバカにされたと思ったのか、女がつかつかと寄ってきた。

 そのすぐ後ろを男が剣に手を添えながら、付き従う。


 ?

 気が変わって、私を殺す気にでもなったのだろうか?

 ここまで準備をしておいて?

 ——それはないに違いない。おそらく私を痛めつけることで上下関係を叩き込もうとしている。

 私は襲いくるであろう暴力に備えて、体を硬くし・・・


「初めまして、魔女様。私はここの寮母をしている清水カヲルです」

 女はベッドの横に立って、私を見下ろし、なぜか丁寧に名乗った。

 私も流石に面食らって、目を丸くしたが、すぐにちょうど目の前の女の手が小刻みに震えていることに気づいた。

 怯えている。


「まず魔女様は眠っている間に当校に運ばれ、その間に、診察、力の封印、戸籍の取得、編入手続き、並びに生活用品の準備。全て終わっています。

 ずいぶん無理をされたようで。ぐっすりでしたよ」

 女は丁寧な口調であるのに、妙にトゲトゲした言葉だった。

 私が無理をしようがしまいが、ちっとも関係ないだろうに。

 それとも、これからそういうことがあれば、監視役の自分が割を食うからだろうか?


「・・・何から説明しようかしら?

 ——まず、当校の説明からしましょう。

 当校の名は、国立朝比奈占術学院。

 五歳から一二歳までの幼等部、一三から一五までの中等部、一六から一八歳成人までの研究部で編成されています。

 幼等部では例外的に一般教養を学びますが、うちは占術の専門校。中等部で占術の基礎を学び、腕を磨き、研究部ではより詳しく学術的な深みを持ってもらいます。

 幼等部、中等部で卒業していく生徒も多いですが、高い教養が必要な宮殿占術師を目指す人や、研究熱心な子は高等部まで残ります。

 まあ通っているうちにある程度わかってくるでしょう。

 編入は明日の予定です。

 ギリギリですが、なんとかなるでしょう。

 明日みんなの前で挨拶をしてもらいますから、考えておきなさい」

 女はそう一方的に語って、一息おいた。

 大して興味もなく流し聞いていたが、女の次のセリフには、”災禍”も思わず彼女を降り仰いだ。


「あなたに名前が用意されています」


 私に名前?

 ———ああ、そうか。

 普通に生活するなら、名前がいるか。

 ・・・こいつらは、私が普通に生活すると思っているのか。

 今まで禍、悪いものとしてしか扱ってこなかったくせに、虫がいいようだ。


「あなたの名前は、玖珂飛鳥。

 あなたは飛ぶ鳥をいつも見ていたそうですから、それででしょう。

 いい名をもらえてよかったですね」

 良い名・・・なのだろうか?

 本当に?

 こんな、正体を隠すために、その辺の子を装うために用意されただけの名の、どこが素晴らしいのだろうか?


「良いですか?

 正体を明かすのは絶対に避けてください。

 もし誰か一人にでも告げようとした時は、監視役があなたの抑制装置を操作して、強制的にやめていただきます。

 あなたも痛いのは嫌でしょう?

 大人しくしているのが、賢い手ですよ」


 ?

 こいつらは何を勘違いしているんだろう?

 私から話すわけがない。

 私だって、好き好んで怯えられたいわけじゃないし、万が一にも救国を期待されたら吐き気がする。

 説明を続ける目の前の女に内心で舌を出す。

 冷めた目で彼女を見つめ返した。


 目の前の寮母とかいう女は、普段は穏やかに笑んでいるのだろう顔を精一杯険しくして、説明しているが、全く怖くない。

 生来の人の良さが声や表情に滲み出てしまっている。

 唯一、女の後ろにいる帯剣した男が恐ろしげではある。

 この施設で私のことを知っているのが、この二人だけなわけはないから、偉い人に説明役を押し付けられたのかもしれないな。

 そして、私に舐められないように、とでも言われたのだろう。

 だいぶ頑張っているようだけれど、この人には根本的に向いていないだろう。

 飛鳥と名付けられた少女は、だんだん胡乱な目になっていくのを隠さなかった。


「ええと、それから、」

 何かあったかしら、と首を傾げる仕草は可愛らしいと言って差し支えない。

 これがこの人の素だろうか?

 飛鳥はため息を吐いた。

 まさかこの人を使って、私を絆そうという作戦なのだろうか?

 だとすると、私の憎悪の感情も侮られたものだなあ。

 ここまでくると、いっそ目の前の茶番に呆れてくる。


「それで、」

 二人が入室してから、初めて口を聞いた飛鳥に、二人は表情をこわばらせ、警戒の姿勢に入った。

 帯剣した男が寮母を庇い、剣を抜き払う。

「私はこの部屋から、ガッコウとやらに通えば良いんでしょう?

 わざわざ言われなくとも、暴れたりしません。

 ———どうせ、無駄だもの。

 もう十分わかったから、出ていって。

 あなたたちだって私のそばにはいたくないのでしょう?

 用が済んだのなら、一人にして」

 私は二人を睨みつけた。

 慌てて二人が部屋から出ていく。


 ため息をもう一つ。

 なんだって私がこんな目に遭わなくてはならないのだろう。

 いや、もう理由は知ったけれど、納得はできていない。

 預言。

 カナタ様とやらが吐いた戯言がなんだってこんなに影響力を持つんだろう?

 私がこれまでに会った人たちは例外なく私を怖がっていたから、きっと多かれ少なかれ預言を信じている。

 いや研究所の人間ばかりだから、魔術のことを恐れている可能性もあるけれど、なんとなく預言のことも無関係ではない気がする。

 本当になんとなくだけれど。



 兎にも角にも。まずは部屋を調べないと。

 この部屋を根城とするしかない以上、妙なものが仕掛けられていたりしたら、冗談じゃない。

 まずは・・・と。

 飛鳥は目についた背の高い棚を開けた。

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