平和を愛した魔女

阿_イノウエ_


 ずっと誰かに私を認めて欲しかったのです

 いつも誰かからの愛情を夢想していました

 だから、

 私がいて幸せだと笑った彼女を私は愛さずにはいられなかったのです

 それが無知ゆえだったとしても




 ***


 序 すべてのはじまり


 一人の女がベッドに横たわって死に瀕している。

 周囲には老若の女たちが集い、彼女の死を悲しんでいる。新たに産まれた命を喜ぶ暇もないほどに、彼女は産後すぐに危篤状態となっていた。

「嗚呼!陛下お気を確かに!」

 産婆が産まれたばかりの子をあやしながら、必死に女に語りかけるが、返事は鈍い。

 女のそばに最もいた世話係は彼女の傍らに跪いて、その手を強く握りしめて離さない。力無くされるがままの女王陛下の手に縋り付いて、顔を伏せ肩を揺らして泣いていた。

 お産のためによその部屋に追い出されていた男たちが駆け込んでくる。

 王配である男はその中にあって、逆に落ち着いた足取りで妻に歩み寄る。その顔は、目元を腫らして、今にもまた泣いてしまいそうに表情を歪め、ちっとも平気そうではないが。

 しかし、覚悟を決めていたのだろう。妻と話し合っていたのかもしれない。

 彼女たちはそもそも晩婚であったから、子を産むとなるとそれだけ危険性が増すのはわかりきっていたことだ。

 それでも女は子を産んだ。自分の意思で。自身の能力を頼りにしている周囲の反対を説き伏せてまで。

 若い頃であれば考えられなかった。

 まだ成人する前に起きた革命で、女の両親は亡くなった。

 父親は直接民衆に殺され、母親はその心労でこの世を去った。

 その革命の主導者は女ということになっていた。

 女には生まれつき不思議な力があった。

 失せ物を探し当て、天気を予報し、あらゆる吉兆や不幸を言い当てる。その能力を皆は千里眼と呼び、女を神の力を与えられた者、あるいは現人神として見た。

 当時の王族もまた神の血を引く者と信仰されており、だのに彼らは何の力も持たなかった。

 信仰と信仰がぶつかり合うのは必然だっただろう。

『そうして神の子孫を詐称していた悪しき王は討たれ、彼らを討った英雄が新たな女王になりました。めでたしめでたし』で済めばよかったのだが・・・。

 女の父親は当時の王弟だった。女は王弟殿下の庶子だったのだ。

 彼は野心がない穏やかな人で、時たま母子に会いに来ては、何くれとなく手配をしてくれていた。

 父は争いの種となる母子のことを隠していたが、母子の生活は決して苦しいものではなかった。

 たまに来る父のことを女はそれなりに慕っていた。

 女に謀反の煽動など心当たりもなかった。

 不幸なことに、女がことを知ったのは、もはやどうにも後戻りが出来なくなってからだった。それぐらい民衆の熱気は恐ろしいものだったのだ。

 他人のどうでもいいことにはよく働く千里眼は、こんな時には何も見えず。

 女は―――朝比奈彼方は、当時、何もかもを呪った。

 人々も。神も。自分も。

 何もかもが許せなかった。

 しかし、母の遺言が女に命を絶やすことを許さず。

 怒りは、憎しみは、時とともに風化し、旧王族の処刑に関係のない人々や、己を気遣う優しさばかりに触れ、そうして今に至る。

 女は自分の意思で愛した人の子を、己の子を産んだ。それこそ命懸けで。

 賭けには負けてしまったが、それでも女は満足だった。

 女が死ぬことを多くの人が悲しみ、不安がる。

 女の力無くして、自分たちはどうやって生き延びればいいのだろう。

 老若男女の声なき声が部屋に広がり、皆の落ち着きをなくす。赤子の泣き声が皆の不安感を煽った。

 ふと女が微かに目を開いた。

「・・・ぁ、」

「陛下!」

「こは、子は無事・・・?」

「もちろんでございます!お子はここに!」

 傍らに控えていた産婆がすぐに反応する。

 産まれた子供が元気に泣いている姿を目に入れて、女は微笑んだ。その笑みはひどく幸せそうであり、同時に悔しそうでもあった。

 無事に産まれてよかった。その成長を見ることができそうもないのが悔しい。

 女はほろりと一粒の涙をこぼした。

 その涙を見た夫と世話役がそれぞれ彼女の手を強く握る。

「カナタ、」

 王配の男が彼方に呼びかける。

 彼方は彼に応えて、息も絶え絶えに子供のことを頼んだ。

 子供の一番の味方はあなただと、そう言って。

 彼方は産婆の抱える赤子を見つめる。産婆は子を見やすいように腰を落としていたので、ベッドの上からでもよく顔が見えた。

 赤子の赤ら顔と目があって、彼方は一瞬迷うように目を彷徨わせた。

 しかし、それも瞬きの間のことで、彼方は意を決したようにまた口を開いた。

「よく聞いて・・・予言をいいます。遠く・・・近い未来で、この国を・・災厄が・・・。けれど・・・魔女が、命を、もって・・・助けてくれるから」

 最後の力を振り絞っているのだろう。予言はひどく聞き取りづらかった。

「災厄とは一体・・・」

「いつそれが来るのですか?」

「魔女とはどんな・・・」

 皆が一斉にさまざまな疑問を彼女に問うが、彼方はもはや応えてはくれなかった。

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