六 義兄の忠告


 テスト明けのある日、噴水前で彩乃は兄の彰人に呼び止められた。

 兄と一緒にいるのは春宮玲だった。やけに元気がない。さっきから俯いている。

「あら、お兄様。何用でしょうか?」

 彩乃が向き直ってそう言うと、彰人は彩乃を精査するようにじっと見た。

 彩乃は一挙手一投足を見張られているようなその眼差しに、居心地の悪さを感じて身じろぎしてしまう。

「お前にある疑いがかかっている」

 兄は険しい声で言った。

「春宮に対する嫌がらせの犯人たちを僕が訪ねたのは知っているかい?」

「ええ。わざわざ訪ねて忠告をなさったとか」

「そうだ。僕の寵愛を受けるものを虐げるなら、僕が許さないと。そう言いにね。そして、その者たちが口を揃えて言うんだ、『彩乃様に命じられてやった』と」

 彩乃はしばらく前から不仲だった兄が自分をわざわざ訪ねてきたことに合点が入った。つまり、兄は私にも忠告に来たわけか。

「まさか兄様はそれを信じると? 口裏を合わせているのかもしれないのに?」

「その可能性も考えたが、人数が人数だったしね。それにお前は春宮さんを好んでいないだろう。何度か嫌味を言っていたのは見ている」

 まあ半分当たっている。しかし、表向きがそうなだけで、彩乃は特段春宮のことはなんとも思っていないけれど。むしろ好感を持っている方だ。

「人間好き嫌いくらいありますわ。まさかお兄様はその程度もお許しにならないと?」

「そうではないが、彼女にとって害になるなら話は別だ」

「・・・それで、結局何がおっしゃりたいんですの?」

 訝しそうに聞く彩乃に、彰人は言った。

「今回の件の首謀者として春宮さんに謝ってもらう。今ここで」

 彩乃は思わず周りを見回した。

 目立つ三人が揉めているので、周囲はいつの間にか人だかりができていた。端末を掲げて動画を撮っているものまでいる。

 嫌われ者の彩乃の謝罪劇という見せ物に観衆はざわめいていた。なるほど。

「見せしめでしょうか」

 貴族は基本的にプライドが高い。その中でも特に彩乃は山のように高いプライドの持ち主を演じてきた。

 こんな人前で、動画を撮られて、囃し立てられながら、下のものに頭を下げる。なんて屈辱的な。

 見せしめなら、一定の効果が見込めるだろう。

「そうともいうね。それくらい僕は本気だよ」

「そうですか」

 彩乃はちらりと春宮を見る。伏し目がちにこちらを窺っていた春宮は、目が合うと肩を震わせて怯えた。

 すかさず兄が間に入って庇い立てる。

 春宮の姿が義兄の背に完全に隠れるまでの一瞬。

 彩乃は目を疑った。

 見間違いでなければ、春宮は顔を俯かせたまま嗤ったのだ。

「あまり彼女を怖がらせないでくれ」

「あら、私は何もしておりませんわ。彼女が勝手に怖がっただけでしょう。それにおかしいですね。彼女に謝ってほしいのでしょう? どこを見て謝ればいいのかしら? まさか彼女のことで兄様に謝れとでも?」

 兄は驚いた顔をした。私が嫌味とはいえ、素直に謝る姿勢を見せたからだろう。

「まあ、謝りませんけれど」

 彩乃は彰人にこれまであまり向けてこなかった冷ややかな表情で言った。途端に非難の声が降ってくる。

「どうしてやってもいないことで謝らなければなりませんの? 話はそれだけですか? では、ごきげんよう」

 彩乃は優雅に挨拶をして、さっさと去ろうとするが、野次馬が邪魔をして帰れない。

「何ですの? そこを退いて」

 睨みつける彩乃に対抗するように、観衆たちも冷たく睨み返す。大勢いることで気が大きくなっているらしい。

「謝れ」「謝ってやれば」「謝りなさいよ」

 一人が口にしたのをきっかけに、多くのものが同じセリフを言う。

 春宮に謝らせたいだけならば、妙な怒気だった。正義感? それとも嫌悪から?

 彩乃は面倒になって、一瞬怒気を出してしまった。彼ら彼女らは怯えて黙り込む。

「そこを通しなさい」

 そう入って微笑む彩乃に後退りするものが出て、ようやく空いた隙間を通って、兄の手を払い除け、彩乃は寮に帰った。

 去っていく彩乃の背を何人かが疑惑の目で見ていた。


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