五 前世の記憶

 魔王とは魔族の王と一般的に認識されているが、本当は種族のことだ。

 魔王族は自然現象のようなものであり、産まれるのではなく発生する。そして己が生まれたものを操れる。これは固有の能力であり、魔法とはまた別のものだ。

 例えば、朝露から生まれたものは液体を操る。血液も。

 古木から生まれたものは植物を操る。毒の胞子すらも。

 鉱物から生まれたものは金属を操る。鉛玉も意のまま。

 私は雨上がりの大気から生まれた。

 山がちで天気に恵まれない国を憂いて、王となり、天気すら操って国を豊かにした。

 彩乃は教会で窓の外、雨の降っている森を眺めながら、前世に思いを馳せていた。


 しばらく前の連休明け、彩乃は双子からとある噂を聞いた。

「は?私が春宮に嫌がらせを?」

「そう。噂になってんだ」

「聞いた時は反応に困りました。彩乃さんが目的もなくそんなことをするとは思いませんが、逆にいえば、目的があればするように思えましたから」

 確かに私は目的のためには手段を選ばない。選んでいられない。しかし———

「それで直接聞きに来るところが君らだね。私はしてないよ。私の目的にあの子は関係ないから」

 あの子に何かしたところで、父が反応してくれるとは思えない。ならそんなことするだけ無駄だし、興味もない。

「あの子に嫌味を言うのは、演技の関係上そうせざるを得ないからだ。あの子を観察しているのは、兄を恨んでいるから放っておくこともできなくて。でも筋違いとも解っているから手を出すほどじゃない」

 単なる根も葉もない噂だろうと一蹴した彩乃は、すぐにこの噂を頭の隅に追いやってしまった。

 由紀と和樹の双子だけが何やら不穏になっていく彩乃の周りに眉根を寄せていた。


 梅雨に入った王国は、湿度が高く陰鬱な空気が漂っていた。

 彩乃は近頃教会に避難することが増えていた。

 雨の時期には前世を思い出す。魔人族たちの国も土地柄か雨が多かった。

 前の生のことを思い出すと、必然的にその最期を思い出し、もはや演技をする気力がなかった。屋敷にいた時のように人払いをしたくても学園ではそれはできない。

 とにかく一人になりたかった。



 彩乃は雨の降る森を窓越しに見ていた。その目はぼんやりと淀み、何も捉えてはいない。

 彩乃は、いや魔王ヴィオラは百年前に嫌われた末に裏切られて殺された。側近の企みだった。

 彼を信頼していた。親の代から私に仕えてくれていた子だった。

 けれども、彼は平和は飽いたと、人間と仲良くする私は悪だと、いい加減にくたばれ化け物と言って私を殺した。

 ヴィオラは天気を操って国を豊かにした。しかし、その恩恵は世代交代により飢餓を知らないものも出てくると軽んじられていった。

 その上、国力を豊かにして、ヴィオラは人間の国々と平和協定を結んだ。戦争をしなかった。生まれながらにして、戦闘民族であった魔人族には不評だった。

 何より、ヴィオラは歳をとらなかった。寿命も人族より魔人族よりずっとずっと長かっただろう。最期の方は不気味に思われることの方が多かった。

 そうして、魔王ヴィオラは殺され、なんの因果か、早乙女彩乃として産まれた。

 天気を操る力はなぜだか今でも使える。適正だって前と同じで五属性全て使える。(魂由来の力なのだろうか?)

 能力が一緒なら、歳だってとらないかもしれない。

 早く早く独りにならなければ。焦る思いばかり積もっていく。


 雨が降っている。

 澱んだ空気を洗うように降る霧雨は、しかし彩乃の憂いを洗い流してはくれなかった。

「彩乃サマ、今日も窓の外見てっけど何か面白いもんでもあんの?」

 由紀が顔を顰めて問いかけてくる。彩乃は億劫そうに顔を上げて、由紀に振り向いた。

「いや。ただ昔を思い出していて」

「昔?」

 和樹が訝しそうに首を傾げる。

「昔は昔さ」

 それ以上のことを答える気はないと言外に匂わせ、彩乃はまた窓の外に向き直った。

 彩乃を心配していた二人は、頑なな彩乃に顔を見合わせ困った顔をした。

 彩乃の知らぬところで、春宮への嫌がらせは悪化の一途を辿っていた。

 彩乃が一笑に付した噂話もまことしやかに囁かれていた。


「ねえ、あの噂聞きました?」

「ええ。彩乃さんが平民の子をいじめてるって本当かしら」

「春宮玲さん、確かに嫌がらせをされてるそうよ。彩乃さんに嫌味を言われたことも何度か」

「公爵令嬢ともあろうものが弱者に嫌がらせなんて、ねえ。確かに春宮さんは目に余るけれど・・・」

 令嬢たちの噂話はいつしかまるで本当のことのように広まっていった。

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