四 春の連休

 春の連休が間近にやってくると、生徒たちは浮き足立ってきた。

 連休は家族と旅行に行く生徒も多く、男女問わず旅行の計画を話し、楽しげにしている。

 宰相である父は忙しく、我が家は旅の予定はないし、デビュタント前の彩乃は貴婦人たちの開くお茶会の参加くらいしか計画していない。

 取り巻きの二人もそれぞれ旅行はないらしく、領地に帰るよりお茶会に参加しやすい学園に残るようだ。悔しげにほかの令嬢を眺めている。

「でも安心しましたわ。彩乃様も学園に残られるのですね」

「ええ。父は宰相ですから忙しくて。領地も兄様が都度顔を見せて管理するそうですわ」

 早乙女公爵家の領地は王都から近い。領地の屋敷へは魔道車で飛ばして半日経たずに着くほどだ。

「彩乃様は旅行に行きたくはなかったんですか?」

 周囲の生徒を羨むことも無く、機嫌が良さそうな彩乃に矢野景子は不思議そうにする。

 彩乃は彼女たちに向けて首を傾げて微笑んだ。

「旅行に行けないのなんて毎年のことですもの。そんなことよりお気に入りの場所ができたんですの。場所は生憎お教えできませんけれど」

「お気に入りの場所…ですか」

「彩乃様が時々何処かに行っていらっしゃるのはそれで?」

「私にだって一人になりたい時がありますのよ」

 意外そうに瞬く二人に、彩乃は「失礼ね」と言いながらも上機嫌を崩さない。

 それほどいい場所なのだと仄めかすことで、よく姿を消しても疑問視されないように。

 嘘には真実を織り交ぜるといいらしい。

「連休といえば、お聞きになりました?あの噂」

「私は聞きましたわ」

 矢野景子が何かを思い出して、話を切り出した。大森奈津美も知っている様子で、話題に乗っかる。わかっていないのは彩乃だけだった。

「噂? なんのことですの?」

 自分だけ除け者なことにちょっと機嫌を損ねて彩乃が聞くと、二人は顔を見合わせて、内緒話をするように顔を近づけてきた。

「なんでも早乙女会長が春宮玲をデートに誘ったらしいんですの」

「そのデートが連休中だという話です」

「兄様が?」

 驚きを露わにする彩乃に、二人は神妙に頷いた。

 今までは偶然を装って春宮に接触していた義兄が、ついに行動に移したのか。

 平民の少女が相手であるのに、噂になるほど行動に移すとは、やはり本気らしい。一時の火遊びではないのだろう。

 表向き平民嫌いのブラコンの彩乃は一気に機嫌を降下させたふりをする。

「兄様ったら何を考えているのかしら!」

 怒る彩乃に取り巻き二人はタジタジになりながら、賛同した。


 その日の昼頃、食堂に向かう道中で、春宮玲を見かけた。

 あの噂を聞いた後で、放置することができず、彩乃はツカツカと彼女に歩み寄る。

「春宮玲さん、」

 名前を呼ばれた彼女は振り返って、彩乃を見留めると、顔を顰めた。

 入学式の日以来大して絡んだことはないけれど、既に悪印象だったらしい。あるいは彩乃の数ある悪評でも聞いたのかもしれない。

「貴女、兄様にデートに誘われたんですって?まさか身の程知らずにもお受けしたとは言わないわよね? 兄様はお優しいから貴女のようなものでも気にかけるけれど、町娘程度がお相手になれるような存在ではないのよ」

 眼差しだけで蔑んでいるとわかる彩乃の冷たい視線に、春宮は怯みながらも毅然とした態度で言い返した。

「早乙女会長の妹さんだか知りませんけど、そんなこと言われる筋合いはありません! 相手になれないかどうかなんて、会長自身がお決めになることだと思います」

 口答えをしてきた春宮に彩乃は驚いた。

 いくら学園内が無礼講とはいえ、のちの禍根を恐れて目上のものには礼儀正しいものばかりの中、圧倒的に身分が上のものに言い返してくるとは。

 随分と勇敢で愚かな少女だ。内心彩乃は感心する。

 彩乃は怒りに眉を吊り上げて、春宮に詰め寄った。

「貴女は黙って質問に答えなさい。誰が口答えを許したのかしら? 兄様や私の身分をわかっていて? 私たちの生家は公爵家でしてよ。貴女のような町娘程度が口答えできるような立場ではないのよ」

 母様も平民出身ではあるのだが、彼女は貴族になってから、公爵家に嫁に来ているので例外である。

 今現在平民のままである春宮と公爵家子息である義兄の恋は危険なことは確かだ。いくら春宮が優秀でも、複数属性持ちでもないのでその血に価値があるわけでもない。

 まあ私にはそれほど関係はないので、本当は義兄が相手ということ以外には興味はないのだが。

 実際周囲の女子生徒の目は冷たいものだった。男子生徒もいってしまえば可愛いだけの春宮のために、公爵令嬢である私に歯向かうような者はいない。

 ほら、結局自分が一番なんだから、信用しない方がいいのだ。

 周囲を盗み見た彩乃の目に一瞬仄暗い色が宿るが、すぐに覆い隠されてしまう。

「・・・・」

「早く答えなさいな。貴女の味方はここにはいないのよ」

 私の味方もいないけれどね。男子たちからの冷たい視線を受けながら、彩乃は勝ち誇って笑う。

 その時だった。義兄の声が鋭く割って入ったのは。

「そこ! 何をしているんだい?」

 彩乃が緩慢に振り返れば、そこには義兄と二年の有栖川双子の姿がある。藤峰先生の姿も後ろに見えるから、生徒会の集まりでもしていたのかもしれない。

「あら、兄様。何もしておりませんわ。彼女にとある質問と忠告を少々。兄様、彼女をデートに誘ったんですってね。火遊びはあんまりなさらない方が宜しくてよ」

 悪びれず兄に向き直る彩乃に、義兄は顔を引き攣らせた。後ろに控える双子は猫かぶる彩乃を面白がってニヤニヤ笑っている。

「火遊びも何も、彼女のことは本気だ。お前こそいい加減に性格を改めなさい。彼女に何もしていないだろうね?」

「まあ! 本気! 本気ですって! 身分差はどうなさるおつもりかしら? 父様が聞いたらなんておっしゃるかしら? お兄様、正気でいらっしゃるの?」

 歌うように彩乃は問うた。首を傾げるその姿は愛らしく、それゆえになおのこと彰人は腹が立ったことだろう。

「正気だよ。お前の母のような前例もあることだし、父上も許してくださるだろう」

 苛立って公然の秘密を出してきた彰人の発言に、知らないものは目を見開いた。

「彩乃、お前の母だって平民出身なんだ。それを娶った父上がいまさら駄目とは言わないだろうさ」

 鼻で笑って馬鹿にするようにいう彰人に、彩乃は最愛の母を馬鹿にされたように錯覚して一瞬本気で苛立った。

 ピリと殺気を含んだ緊迫感が通り過ぎ、人々は一瞬本能的に彩乃を注視する。

 ほんの瞬きの間表情を全て落とした彩乃は、すぐに余裕の笑みを浮かべる。

「だからなんですの? 母様は確かに平民出身ですが、きちんと貴族になってから、父に嫁ぎました。ですから、私は生まれついて貴族です。確かに半分は庶民の血やもしれませんが、私を平民にするもしないも父の判断。兄様、貴方でもまだ当主でない限りどうともできませんわ。馬鹿にされる謂れはありません」

 彩乃の言葉にその場では誰もが反応できなかった。妙な緊迫感が満ちていた。

「興が覚めました。もういいです。失礼いたしますわ」

 彩乃は綺麗なカテーシーをして、場を辞した。一緒にいた取り巻き二人は追いかけてこず、その代わりに有栖川双子が遅れて追いついてきた。


 連休に入ると、彩乃はほとんど毎日のように教会に通った。

 その日も彩乃がランチボックスを片手に教会に行くと、そこには有栖川双子がくつろいでいた。

「よお、彩乃サマ」「こんにちは、彩乃さん」

 それぞれに挨拶をしてくる双子を無視して、教会の奥に向かう。彩乃が定位置に腰を下ろすと、双子は気にした風もなく寄ってくる。

 有栖川双子は交流会のあった日から教会に通ってくるようになった。どうやら彩乃のことを面白がっているらしい。

 教会に通ってくると言っても、彩乃とそんなに話をしているわけではない。

 彼ら———特に由紀の方は———好きに振る舞っていて、学術書を読む彩乃の隣で、寝ていたり、研究をしていたりする。

 今も有栖川由紀が彩乃のランチボックスに手を伸ばしていた。目当ては今日もお茶菓子だろう。

 彩乃は教会に来る時、食堂に寄ってお茶を頼むようにしていて、その時厨房の使用人たちが気を利かせて毎回お菓子をつけてくれる。しかし、彩乃はお茶菓子の有無には拘らないので、別段由紀に取られても怒らなかった。

 由紀が横でクッキーを頬張るのを冷ややかな目で流し見て、彩乃は遠見の魔法を展開した。

 今日も映るのは春宮玲だ。

 彼女は花柄のワンピースを着て、薄水色の上着を羽織っていた。早めの夏を感じさせる格好だ。近頃暑い日が続いていた。画面の中の彼女も暑そうに汗を拭っている。

 今日は噂になっていた義兄のデートの日だ。

 春宮は早めに待ち合わせの噴水前に来たようで、端末を眺めてはため息をついている。

 周囲の生徒も人待ちをしている彼女の様子に噂のデートが今日だと察したのだろう。女生徒の中には彼女を睨むものもいた。じきに彼女に声をかけるものも出てくるだろう。

「春宮さん、」

「会長! おはようございます」

 そうなる前に義兄が待ち合わせにやってきた。春宮は待っていたことに言及せず朗らかに迎え入れた。

「今日は会長じゃなくて、名前で呼んでほしい。今日過ごすのは校内じゃないんだから」

 義兄が春宮の目を見つめて言うと、彼女は顔を赤らめて必死に頷く。

「は、はい! で、では、彰人さん」

 春宮が勇気を出したといった風情で呼びかけると、義兄も顔を赤らめた。驚愕していることから察するに、「早乙女さん」と姓で呼ばれるものとたかをくくっていたのだろう。

 義兄と春宮は多くの生徒から注目されながら、揃って城下町に繰り出していった。

 春の連休は花見には少し遅いが、比較的過ごしやすい天気であることもあり、街に人が多い。

 義兄はそつなく車を手配していたようで、校門のところで車に乗り込んだ。

 他愛無い話をして仲を深めていく二人を他所に彩乃は複雑な思いで二人を見ていた。

 表向きの性格上、平民である春宮は気に入らない存在だが、別にそれだけで嫌っているわけではない。むしろ義兄の思いびとという点の方が心境複雑であった。

 だからと言って、嫌味以上のことを行う気はない。

 彼女に嫌がらせをしたとて、父は彩乃を放り出してなどくれないだろうし、ならばそんな悪趣味を行うほど彩乃だってクズではなかった。

 春宮と義兄はまず雑貨屋へ向かった。

 雑貨屋は平民の春宮玲でも比較的手を出しやすい価格帯の店だった。

 二人は店内に入り商品を見物していく。店内は兄が手配したのか、貸切だった。二人の後ろには兄の護衛がついている。

 雑貨屋で春宮が目に留めたのは、使いやすい髪留めなどではなく、魔導式のオルゴールだった。

 木箱に入ったオルゴールは、蓋を閉めるとアクセサリケースのように見えなくもないほど美しい装飾が施されていた。

 これは手頃な店とはいえ、春宮には手が出せないだろう。

 実際彼女はオルゴールに目を奪われてはいたが、彰人に話しかけられて、我に返りその場を離れた。

 安い髪留めを見ている春宮を尻目に、義兄は何事か思ったらしい。オルゴールを前に思案していた。そして店員にこっそり話しかける。

 どうやら春宮に贈るらしい。

「へえ、会長あの女とデートしてんだ?」

 由紀がいつのまにか彩乃の背後から遠見の魔法を覗き込んでいた。

「近い」

 まるで肩に頭が乗るほどの近さに、彩乃は身をひきながら苦言を言う。

「で、なんで彩乃サマはあの女なんて見張ってるんだ?」

 由紀は嫌な顔をする彩乃を物ともせず、顔を寄せて話を続ける。

「会長なんて執着するほどいいものには見えねえけど。あの人元々あんたに優しかったわけじゃねえだろ」

 義兄に執心しているからその想い人が気になるのだと、そう思われているらしい。

 当たらずも遠からずかな。

「有栖川由紀、私はあの兄が好きなのではないよ。許せないんだ。許さなければならないのに、どうしても。だから彼が幸せになることが複雑でね」

 彩乃は膝の上にある拳を強く握りしめて言った。

 画面の中では車の中に戻った二人が微笑みあっている。

 二人はこの後カフェーに行こうと話していた。春宮の手にはオルゴールの入った紙袋がある。

「許せない?」

 由紀も和樹も不思議そうな顔をしている。

 実際あの兄は猫被りではあるが、悪い男ではない。春宮に出会うまで、同性との円滑な交友関係のため私を利用している節はあったが。まあその程度迷惑料だろう。

 私の恨みだって本来ならば筋違いなものだ。

 私の最愛の母は、兄にとってはただの父の後妻であり、むしろ彼の母にとっては忌々しい存在だったことだろう。彼にとっても歓迎できる存在ではなかったはずだ。

 解っている。解っているけれども。

 母だって「恨まないであげて」と言っていたけれど。

 でも、兄のために手を尽くしていた母を、受け入れて貰えず寂しそうに笑う母を覚えているから。

 だからそんな彼女を寂しく死なせたことが許せない。

 また拳を強く握りしめてしまっていた。

「筋違いな恨みだ。それでも私は早乙女彰人が、父が、使用人たちが許せない」

 唇を噛み締める私の様子に何を思ったのか、双子は画面の中の二人を見遣った。

 その後も、二人のデートはつつがなく進み、何もアクシデントが起こることもなく終わった。

 噴水前で別れようとして、名残惜しくなったのか、兄が春宮に申し出て女子寮までの道を歩いている。

 もう日が暮れてきて、夕日が二人を照らしていた。

「またこうして誘っても、君は受けてくれるかい?」

 兄が恐々とそう尋ねると、春宮は頬を赤らめて頷いた。

「春宮さん、頬が・・・」

「ゆ、夕日のせいですよ。彰人さん」

 一日ですっかり様になった名前呼びで二人はそんなやりとりをして別れた。

 彩乃はすっかりながら見になっていた遠見の魔法を解除し、本を閉じた。

 凝り固まった肩をほぐし、痺れの来ていた足でなんとか立ち上がる。

「あ?彩乃サマ帰んのか?」

 寝ていた由紀が目を開け、大あくびをしながらこちらを見上げる。

 その向こうで、和樹も指南書から顔を上げた。

「もう夕方だ。そろそろ寮の食堂も開くだろう。今日のところは君らも帰ったらどうだい?」

 連休はまだある。彩乃は明日貴婦人たちの茶会に参加するためいないことを告げて、教会を辞した。

 最後はなぜか双子は嬉しそうに笑っていたけれど、なんだったのだろう。

 その答えに彩乃は湯浴みの際に気づいた。

 私としたことが、すっかり双子に絆されていたらしい。歓迎するようなことを言ってしまった。

 後悔のため息を吐く彩乃を担当の侍女だけが見ていた。


 翌日、とある貴婦人が開いた茶会で、彩乃は同年代の子たちに除け者にされていた。

 どうやら連休前の兄との会話のせいらしい。

 元から彩乃は嫌われ者だが、その半分の血が庶民のものとあって軽んじられているのだ。取り巻きだった大森奈津美と矢野景子も寄ってこない。

 見咎めた主催の貴婦人がそばに呼んでくれたが、表の性質上気分を害したふりをして、体調を崩したとして早退させてもらった。

 彩乃としても人付き合いなど勘弁願いたかったし、願ってもない展開だ。あとは父が私を追い出してくれさえすれば・・・。

 彩乃の休暇はそんなふうにして、彩乃に希望を残して終わったのだった。

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