二 実力試験
「入学式典を無断欠席なんて前代未聞だぞ」
呆れた声で藤峰先生がため息を吐く。周りの先生たちが一瞬こちらを振り返るが、彼に一任しているのだろうか。彩乃を見ると、面倒ごとに関わりたくないとばかりに視線を逸らす。
担任である藤峰先生は、上の立場の者にも物怖じしないと話題の先生で、実際家の爵位が上位である彩乃のことも躊躇いなく叱れる先生であるらしい。
そして、そうでありながら、社交界では立場をわきまえた殊勝な態度をとると噂で、精悍な顔つきと相まって人気の高い男性貴族だ。
生憎子爵である彼に嫁ぎたいと豪気な女性はおらず、表面上の人気に留まっているが。
彩乃はそんな社交界で人気の憧れの先生に怒られて凹んでいるふりをしていた。
実際には昨日の式典の無断欠席を反省もしていなければ後悔もしていない。むしろ式典に出なかった時間で手頃な場所を見つられたので満足している。
しかし長年の猫かぶりで、本心を隠すのなんてお手のものだ。
職員室の空気が弛緩し許してやっても良いのではという雰囲気に変わってきた。
藤峰先生は訝しげにしながらも、解放してくれる気になったらしい。
「今日の試験は参加するようにな」
呆れた言葉と共に彼は彩乃をようやく送り出してくれた。
彩乃が廊下に出れば、廊下はシンと水を打ったように静まり返り、やがてさざ波のように喋り声が広がる。嫌な空気だ。
昨日彩乃が式典を無断欠席したことは既に広まっているらしい。ヒソヒソと漏れ聞こえてくるのはその話ばかりだった。
彩乃は彼らを鼻で笑ってあしらうと、余裕の足取りで教室に向かった。
教室は教卓を中心にすり鉢状に席が並んでいる。規模は小さく、二十人ほどが入れそうなくらいだ。まあ同級生はその半分程なので十分余裕がある。
彩乃が教室に入れば、先程のように嫌な視線が集まった。彩乃は慣れた視線を無視して、名簿順に指定された席に座る。
朝彩乃が来た時はまだ誰もいなかったが、担任に呼び出されている間に幾人か登校してきていた。
彩乃は注目を浴びながら、努めて無視をして、持ってきた小説を開いた。彩乃は読書家だが、人前では恋愛小説に限っている。
それというのも、彩乃の表向きの性格の設定が、恋に恋するワガママ令嬢だからだ。無能で夢見がちな害悪令嬢を演じることで、目的を果たそうとしてきた。近頃はあまりに手応えがなさすぎて、希望が見えないけれど。
彩乃は自由になりたい。
社交が義務の貴族なんて辞めて、どこかでひとりきりで暮らすか、独りで旅をしたかった。
彩乃の母は元々平民だ。彩乃に貴族の血なんて半分しか入っていない。だから平民として暮らしていくのに問題はないのだ。父さえそうと決めてくれれば。
なのに、父は未だに嫌われ者の彩乃を放り出してくれない。嫌われすぎているから政略の駒としては使えないのに。母の死に際にも来ず、彩乃に干渉もしてこない無関心のくせに。
彩乃の目はいつの間にか文章を滑り、彩乃は考え事に耽っていた。
「彩乃様、」
おもむろに声をかけられて、彩乃は顔を上げる。
気づけば傍に二人の令嬢が立っていた。
貴婦人達が催す茶会で、嫌われ者の彩乃に媚びを売ってきた令嬢だ。
のっぽな方が辺境伯の長女の大森奈津美で、そばかすで三つ編みをした大人しそうなのが矢野侯爵の次女、矢野景子だったはずだ。
「お久しぶりでございます。お元気そうで何よりです」
カテーシーをする二人に彩乃は微笑み返した。
「そちらこそお元気そうで何よりですわ、奈津美さん、景子さん」
一応不機嫌ではない彩乃に安堵したのか、二人はお喋りを始めた。
「昨日あったことは窺いましたわ。あんなことがあったなら、式典に出たくなくても当然です」
「藤峰先生も真面目すぎますよね。式典を放り出したくらいで呼び出しなんて」
「でも彼、格好よくありませんこと?長身でがっしりとなさっていて、頼りがいがありそうで。その上顔も良くて、思慮深いんですもの」
「こう言ってはなんですが、お叱りとはいえ、彼と一対一でお話なんて彩乃様が羨ましいです」
黄色い声で藤峰先生の噂話をする二人は幸せそうだ。
彩乃も適当に話を合わせておく。
「あの程度でお叱りなんてと思っていましたけれど…そうですわね。あの藤峰先生とお話出来たんですもの。良しとしますわ」
機嫌を持ち直した振りをして、黄色い声で賛同する。
他の生徒はそれを冷たい目で見ていたが、彩乃はいつも通り気付かないふりをした。
友人を名乗る令嬢二人が後で彼女らの悪口大会に素知らぬ顔で加わって彩乃の愚痴を吐くことをそうと察していても。
担任の藤峰先生が入室して、教壇に立つと、教室は黄色い声で溢れた。噂程度では彼が担任だと知ってはいたのだろうが、実際に見ると違うらしい。
彩乃は先ほどの呼び出しで多少慣れた体にして、うっとりと惚ける程度にとどめた。
彼は教壇から己に歓声をあげる生徒たちを険しい顔で見上げ、声を張り上げた。
「静かに!本日は実力試験を行う。筆記と実技に分けて、皆の今の実力がどの程度なのか見ていくので、真剣に行うように。それじゃあ、まずは筆記から」
続けていくつかの注意事項を述べて、藤峰先生は用紙を手ずから配り始めた。
同級生に順に試験問題が配布される中、彩乃はどの程度の実力を出すか思案する。
前の生の知識と力を使えば、それなり以上にはできるだろう。なんせ魔王だったのだから。
しかしできてしまっては困るのだ。
優秀であると父に思われてしまうと手放すのを惜しまれてしまう。
やはり何もできない落ちこぼれのふりをしよう。悪名は今更だからどうということはない。
彩乃は方針を決めて、解答用紙に向き合った。
藤峰先生の合図によって始まった筆記試験は一般教養と基礎の魔法知識を問うものだった。簡単な計算や文字を習う学舎しかない平民ならばともかく、英才教育をされる貴族ならば解けて当然のもの。
それをあえて彩乃は誤った答えを書いていく。悩み悩み記入している演技を忘れずに。
出鱈目な答えや惜しい答え、まれに正解を混ぜながら彩乃は回答を埋めていった。
そうして回答をほぼ埋めたところで、終了の号令がかけられる。
「手を止め、ペンを置きなさい。回答を回収するので、動かないこと」
藤峰先生はそう言って、名簿順に解答用紙を回収していく。
彼は私の回答を回収した時、一瞬眉を顰めたが、すぐに次にいく。
まあ皆余裕そうに解いていたから、それはそうだろうな。
一目見て出来が悪いのがわかるだろう。おそらく解答が全て埋まっていないのは私だけだろうから。
藤峰先生が退出すると、教室の空気は一気に弛緩した。
しばしの休憩時間だ。その間に訓練場に行っておかなければならないため、あまりゆっくりとはできないが、試験特有の緊張感は一旦たち消えた。
今から訓練場に向かっても、暇を持て余すだろう。
彩乃は先程と引き続き本を読むことにした。話題の綾瀬史人という作家のものである。明るい雰囲気の甘い作風で、しかし設定や描写は緻密で引き込まれるものがある。
「彩乃様、何を読んでいらっしゃるのですか?」
大森奈津美が話しかけてきた。矢野景子も一緒だ。相変わらず身分と立場が逆転した二人だな。
「史人様の新作『愛する獣の君』ですわ」
彩乃は栞を挟んで本を閉じ、表紙を掲げて二人に自慢した。
反応したのは、読書家の矢野景子の方だった。目を見開いている。
「史人様の!?凄い・・・よく買えましたね。私も頼んだのですが無理だと言われてしまって」
「噂を聞いた時、侍女を本屋に走らせましたの。予約するのは大変でしたわ。もうすでに行列が出来てて」
上機嫌に微笑む彩乃に二人は顔を引き攣らせた。綾瀬史人が新作を出すと噂になったのは、真冬だった。寒空の中、行列に並んだのは侍女である。彩乃は侍女をこきつかったと平然と言っているのだ。
内心ため息をつく。侍女への罪悪感とはもう慣れっことはいえ、申し訳ないことに変わりはない。目的のため行動を変える気はないが。あの子は匿名で贈ったケア用品を使ってくれているだろうか?
「そ、そうだわ。そろそろ訓練場に行きませんこと?」
「そ、そうですね。もう時間じゃないかしら」
動揺から少し焦ったように二人が急かしてくる。彩乃は残念そうに頷いて、本をしまい、席を立った。
訓練場は屋内ながら土の床だった。奥の一面の壁には木偶人形が一列に並べられている。
藤峰先生はもう来ていて、生徒たちの列の前に立っている。
「遅いぞ」
先生に一言注意される。彩乃たちは速やかに列に混じった。
「よし、全員揃ったな。それでは試験を始める。前にある人形に得意な魔法で攻撃しなさい。まだ自分の魔法適正を知らないものは言うように。では名簿順に呼んでいく。芦原裕子、前に」
名簿一番の令嬢が前に進み出る。次に大森奈津美。彩乃も早くに呼ばれた。
彩乃は時間をかけて風の魔法を展開し、木偶人形に魔法をぶつけた。旋風は人形を浅く傷つけたち消えた。
大仰な魔法展開の割にあまりにも浅い傷口に生徒たちから小さく失笑が漏れる。
藤峰先生も眉間に皺を寄せる。態度に表さないようにしているのだろう。それは一瞬のことだった。
「よし、次」
次の生徒の名前を呼ぶ先生に促されて、彩乃は下がった。
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