一 入学式
春の盛りの暖かな風が吹き抜ける校門で、早乙女彩乃は義兄の彰人を待っていた。
「兄様、どうなさったのかしら?」
独り言を口にして首を傾げるも、彰人がやってくる様子はない。
本日は栄えある学園の入学式である。人間族の国・聖春陽帝国最大の学舎であるこの学園は帝都に建っている全寮制の魔法高等学校だ。
新入生である彩乃は仲のいい兄が校門まで迎えにきてくれると言うので、待っていた。ここまで連れてきてくれた使用人はとっくに帰ってしまっている。
端末を取り出し、義兄から連絡が来ていないか確認するが、何もない。
風に靡く髪を押さえて、彩乃はため息を吐く。まあここにいても暇だし、行ってみようか。
彩乃は校門の内側に足を踏み入れた。
校門からは舗装された大通りが伸びている。前方には中庭が広がり、中央には噴水があると聞いている。大通りを両脇に逸れた道にはそれぞれ男子寮と女子寮があり、噴水を超えて真っ直ぐ行けば本校舎だ。
大通りをのんびりと歩いていれば、だんだんと通行人が増えてきた。噴水のあるあたりだろうか、生徒たちは前方に人だかりを作っており、今やってきた生徒たちもその野次馬に吸収されていく。
彩乃も興味を惹かれて、顔を覗かせてみる。
野次馬の円の中心には義兄の彰人が騎士科の制服を着た少女と見つめあっている。お互いに夢中らしく、人だかりができ始めているのに気づいていないようだ。
しゃがみ込んだ少女に手を差し伸べて、義兄は固まっていた。そのやけに血色のいい表情を見て、彩乃は冷たい目を二人に向けた。
義兄は恋をしたらしい。私が知る限り義兄は女性を泣かせてきたことは数あれど、恋愛経験はない。遅い初恋だろう。私がとやかく言えることではないけれど。
「兄様、」
彩乃が兄に声をかけ進み出ると、彩乃に気づいた生徒たちは道を開けてくれた。その視線は好意的なものばかりではない。むしろ嫌悪に染まっているものが多かった。
彩乃は義兄に寄り添って、彼を窺う。
「兄様、どうして約束を破ってこんなところにいらっしゃるの? 私校門で待っていましたのよ」
拗ねて文句を言う彩乃に彰人はぎこちなく振り返った。その一瞬の素の顔を見てとって、彩乃は内心驚いた。
おや?お優しい兄上の演技が剥がれている。よほど彼女に夢中だったとみえる。どうやら本気らしい。
そうなると少女に興味が惹かれて、まだ座り込んでいる彼女に目をやる。誰ぞにぶつかったのか、膝を怪我していた。なかなかの美少女だ。桃色の髪に甘そうな蜜色の目、愛らしい顔立ちで、男性であれば庇護欲をそそる見た目をしていた。
へえ、兄上殿はこう言うのが好みだったのか。通りで美人揃いの令嬢に靡かなかった。
「彼女はだあれ? 見ない顔ねえ」
彩乃の嫌味な物言いに、少女は顔を引き攣らせ、されども素早く立ち上がり、丁寧に礼をした。
「初めまして、春宮玲と申します。本日魔法騎士科に入学します。よろしくお願いします先輩方」
春宮玲ね。義兄の大事な人ならどうでもいいと放っておくこともできない。覚えておくことにしよう。
春宮の挨拶にますます惹かれているらしい義兄を他所に彩乃は目を眇めた。彼女の礼が庶民のものだったからだ。
彩乃は表向き庶民を見下す害悪型の貴族令嬢を装っていたため、観衆の手前そのように振る舞った。
「初めまして、平民の方。鋭いのね。でも残念なことに、私も貴女と同じ新入生でしてよ。ネクタイの色が一緒でしょう。それに随分と勇敢なこと。カテーシーの一つもできないで、この栄えある学園に入学して来ようなんて、私にはとても真似できないわ。入学おめでとうと言っておきますわ」
軽快に投げられた彩乃の皮肉に春宮は顔を顰めた。
鋭い蔑視の視線が彩乃に突き刺さる。想定より多いそれに、何食わない顔をしながら意外に思う。
春宮玲はこの一瞬で随分な人数を味方につけたらしい。無論それは彩乃の態度のせいもあるだろうが、貴族ばかりのここで平民の彼女に味方するものがこんなに多いとは思わなかった。嫌われ者の彩乃に味方すると考えていたわけではないが、大半のものは他人事で傍観するだけだと思っていたのに。
平然とした顔で彩乃は兄を振り返り、エスコートのための手を差し出した。
「さあ行きましょう、兄様。入学式典が始まってしまうわ」
彩乃にとって鈍いふりをして悪意の真っ只中で微笑むのは慣れっこである。誰も彼もに蛇蝎のごとく嫌われようと、本当の自分とはかすりもしない性格を演じるのに疲れても、目的のためならなんだってする。
彰人は仲がいいはずの妹の手を丸っと無視して、春宮玲に改めて向き直り、ハンカチを渡した。
当然のようにエスコートされると待機していた彩乃は羞恥に肩を怒らせ、自身の脇をすり抜けていった兄を振り返る。
「愚妹がすまなかったね。僕は早乙女彰人。魔法騎士科の三年だよ。今年度から若輩ながら生徒会長も任されたから、困った時は声をかけてくれ。さ、養護室に行こう。膝を怪我している」
愚妹。あのお優しい義兄が私をそう称したことに演技関係なく驚いてしまう。嫌われ者のわがままな妹に、それでも優しくしてしまう兄という構図で今まで同性からの同情を買ってきたくせに、急な路線変更である。・・・なるほど。春宮玲への本気の度合いが透けてみえる。一目惚れでそれほど惚れ込むとは恋愛下手なのか、それほど自分の見る目に自信があるのだろうか。
彩乃は唇を噛み、微笑み合う二人を睨みつけた。女性のように繊細で柔和な顔の兄に優しくされ、春宮は頬を赤く染めた。その姿は文句なく愛らしい。二人並ぶと一枚の絵画じみた完成度だ。お似合いだけれど、私は内外問わず複雑な心境だった。
「兄様なんて知りませんわ!」
妹の自分を差し置いて平民の少女を大事にする兄に彩乃は怒りを露わにし、踵を返した。向かうのは人気のない方向。目論見通り、誰も彩乃を呼び止めなかった。野次馬も騒ぎが終わったと散っていく。
今から式典が始まるというのに、一人明らかに大通りを外れて行く銀髪の美少女に、声をかけようとしたものもいるにはいた。しかし、彩乃が怒気を込めて睨みつけたり、他の生徒にあの早乙女公爵令嬢だと教えられ、そそくさと去っていった。
まんまと面倒な式典を無断欠席した彩乃は、令嬢にしては荒々しかった足取りを落ち着かせ、のんびりと散策を始めた。
側頭部でそれぞれ括った髪を解き、肩にかかった束を払う。塀の内縁に沿ってしばらく歩くと、木が生い茂った裏庭に出た。
彩乃は在学中独りになれる所が欲しかった。寮の自室は侍女が控えているし、寮内には常に人がいる。論外だ。そんな場所で気を抜くなんて無理な話。
森の中ならそうそう人は来ないだろうし、手頃な場所もあるかもしれない。彩乃は迷わず森に入っていった。
学園内の森なだけあって、人の手は定期的に入っているらしい。木々は元気に陽光を浴びて、木漏れ日を彩乃に降らせた。これは多少の人の出入りは覚悟すべきか。
長閑な森の中を進んでいくと、古い教会があった。所々外壁がかけていて見た目は悪いが、十分問題ない範囲だ。
中に入って確かめると、窓ガラスが無事なのが不思議なほどに寂れていた。木製の机や椅子たちは端が朽ち始めている。緋毛氈は染みだらけ。しかしそれらは使わなければいい話だ。
全体的に埃っぽいが、掃除さえすれば、むしろ好物件だろう。
手始めに人よけの結界を張り、近くにきても教会の存在を認識させないようにする。幻覚ではないので見えてはいるが、背景のように目に入っていない感じになるはずだ。
次に、清掃。風魔法を使い、一気に空気の入れ替えをする。ついでに邪魔な机や椅子を横に退けてしまう。
最後に土魔法を使って、教会内を植物園風に変える。床に芝生を生やし、木々や花を壁際に配置する。
満足のいく仕上がりになって、彩乃は微笑む。
そうこうしている内に時間は過ぎていき、頃合いになる。
彩乃は服についた埃を払い、教会を出た。薄暗くなってきた森を抜け、入学式を終えた生徒たちの群れにそっと合流する。
女子寮に向かう令嬢の列に紛れ、寮の談話室に着く。寮長であろう女子生徒が前に立ち、注目を集めた。
「静かに! 我が学園に入学おめでとう諸君。私は女子寮の寮長である灰田理央です。隣は副寮長の遠坂竜胆。困ったことがあれば、一人で解決せずに相談すること。これから何点か寮の決まりを説明します」
灰田寮長はその名の通り灰色の髪を馬の尾のように結んだ騎士科の生徒だった。副寮長は紫の目をして金髪を肩口で結んだおとなしそうな女性。魔法士科のローブを着ている。どちらも立ち居振る舞いから自信が滲み出ており、相当の実力を持っているのだと察せられる。
灰田寮長の告げる寮の決まりは生活上の諍いにならないための最低限のものであり、難しいものはなかった。
そう待たずに解放され、最後に告げられた自室に向かう。扉には名札が下げられていた。
室内は広く、天蓋付きの大きなベッドやソファが置かれ、浴室や侍女部屋に繋がっているのだろう扉がある。白色や木目を基調としており、清潔な印象を見るものに与える。
部屋には侍女が一人待っていた。
入ってきた彩乃に頭を下げ、祝辞を述べたあと、部屋の使い方の案内をしてくれる。
一通り使い方を聞いて、彩乃はソファでくつろぐ。
侍女はお茶をお持ちしますと言って給湯室に行った。
どうやら食事こそ食堂に行かなければならないが、入浴は手狭だが部屋でできるようだ。侍女も生徒一人につき一人付けられており、基本的に寮部屋での世話をしてくれるらしい。私たちが学舎にいる日中は、侍女部屋で書類仕事をしているとのことだ。
便利がいいけれど、一人になりたい時には自室は向かないということがわかった。
やはりあの寂れた教会を見つけたのは英断だった。
侍女が持って来てくれたお茶を飲みながら、内心で自画自賛する。
「もうしばらくすれば、夕食の鐘がなるはずです」
二杯目のお茶を注ぎながら、侍女は言った。ソファに偉そうに深くもたれかかった彩乃には何も触れない。
二杯目のお茶をゆったり飲み干した時、侍女の言葉通り鐘の音が聞こえた。
「食堂にご案内いたします」
頭を下げる侍女に頷いて、その後ろをついていく。寮内は広い個室を個々に与えているだけあって広大だ。個室が並ぶ廊下と食堂、談話室ぐらいしかないのだから、早々に覚えて迷いはしないだろうが。
寮の食堂は二、三人がやっと座れるような小さなテーブルが整然と並べられていた。全部で五十人ほどは座れるだろうか。従業員だろう揃いの腰エプロンをした男女が食堂内の各所で控えている。
彩乃付きの侍女は彩乃を空席に案内すると、席に置かれていたメニューの載ったバインダーを差し出してきた。
「あら、ありがとう」
メニューには本日の選択メニューが二つ書かれている。
顔を上げて注文を告げようとすれば、侍女はとうに下がっており、従業員が寄ってきた。
「お決まりでしょうか?」
「メニューAにするわ。できるだけ早くね」
Aは基本的にメインが肉料理、Bが魚らしい。
彩乃は式典を無断欠席したことに言及されないうちに、さっさと食事をすませ、席を立った。
廊下はまだ静かなもので、彩乃はゆったりと自室に向かいながら昼間の出来事を思い返していた。
義兄の春宮玲を見つめる顔は明らかに初対面とは思えないほどの熱い情が篭っていた。
一目惚れ・・・恋ね。恋だの愛だのくだらない。人などどうせ裏切るものなのに。
彩乃は一人ひっそりと嗤った。
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