空に焦がれる

阿_イノウエ_

序 母の死


「どうかあの人たちを恨まないであげて」

「あなたが何者であれ愛していたわ」

「生きて」

「生きて幸せになって」

 慈愛の笑みを浮かべて、母は息を引き取った。


 まだ私が幼い日の、肌寒さが残る初春のことだった。

 私一人に看取られて、母は高熱を出してそのまま。父も異母兄も使用人たちも顔を見せないうちに、ひっそりとした最期だった。

 その年の春はようやく暖かくなってきたと思った矢先に寒さがぶりかえし、風邪が流行していた。

 母はもともと体が強い人ではなかったから、余計に容体は酷かった。


 冷たくなっていく母の手を握りながら、私は憤怒と憎悪に身を焦がされていた。

 私は異質な子供だった。ぼんやりとした受け答えをし、人を遠ざけ、知識のみを欲する。妙な子供だったろう。

 母譲りの美しい顔立ちも相まって、人形じみた不気味な子供だったはずだ。

 実際その頃の私はぼんやりと曖昧な感情しか持ってはいなかった。

 私は母が死んだその時に激情を抱き、この世に産まれたと言っても過言ではない。私は憤怒によって自我を取り戻した。

 あんなに強い感情を抱いたのは後にも先にもあの時だけだ。

 私は不気味な子供だった。それは今でも変わらない。それでも、母は、母だけは愛してくれた。

 最愛の母を寂しく死なせた父も、異母兄も、平民だった母を軽んじ病弱な彼女を追い詰めた使用人たちも許せなかった。


「母様、母さん、母上」

 私の初めての、最愛の、母。

「私を置いていかないで」

 独りにしないで。

「母様」

 貴女以外誰も信じられない。

 すっかり冷たくなった母の手にすがり、私は泣き崩れ嘆いた。

 ああ!思い出した!思い出してしまった!私が何者であったのか。

 霧が晴れるように私は前回の生涯を思い出した。意識が覚醒する。まるで今までは泥の中で生きていたようだ。

 重苦しいもやが晴れた瞬間、しかし私は絶望した。希望なんて見えなかった。裏切られて一度死んだ私が、死に戻った嫌われ者の私が貴女以外一体誰を信じればいいというの。


 前回の私は生まれながらに王だった。

 魔王ヴィオラ。雨上がりの大気から生まれ、裏切られて死んだ女王。

 誰も信じられない。誰かを信じてまた傷つくぐらいなら、私は独りきりで生きていく。

 そう強く心に決めて、私は母の冥福を祈った。


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